甘い親

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「こんな事を朝の朝礼で言えば、近所の人は不快に思うかもしれない。しかしあえて言わなくてはならない。トイレの使い方が酷い。使ったら流さない。それどころか、ウ○チを使って、落書きまでしている」
 
 中学校の朝礼で、学年主任の先生が怒っていた。マイクを使っていたから、近所の人にも聞こえたことだろう。やったのは悪ガキどもであった。
 
 最近の小学校では、子供の、そして親の「訴え」に応える形でウォシュレットなどをわざわざ導入する学校もあるそうだ。「汚いから子供が学校のトイレに行けない」などという訴えだ。
 
 子供に辛抱することを教えずに、甘やかす親。叱ることすらできない。正々堂々と叱ることができるのは、他人ではなく親のはずである。喜怒哀楽を形成するのには、何でも与えることではない。あえて与えないのもしつけだ。社会に出たら自分の思い通りにならないことだらけだ。それに耐えたり、解決すべく道を探る。大人はそういう機会を失わせてはいないだろうか。
 
 ファミレスなどで走り回っている子供を注意できない親。歪んだ愛情が歪んだ人間を成長させることにはなっている。アメとムチは非常に大切な技術。子供だけではない。大人の社会でも必要であり、コミュニケーションの潤滑油になることを忘れてはならないが、何かに恐れてその腰は重い。
 
 
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★ 【溶けゆく日本人】「安全」という保身 成長阻む逃げの姿勢(産経新聞・07/3/20)
 
 

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