御巣鷹山の日本航空123便 事故から21年
「埼玉県内の山頂で火の手が上がっている模様です。現在、埼玉県警秩父署員が現場に向かっています」
85年8月12日夕方に消息不明となった日本航空123便は翌朝、群馬県上野村の御巣鷹山で原形をとどめない形で見つかった。520人が犠牲となった史上最悪の航空機事故の発生から21年になる。
それ以降、国内では大きな航空機事故は記憶している限り起きていない。交通社会から受ける恩恵は多いが、時々それが悲報となって伝わるのは心苦しい。事故はちょっとした油断やミスから、無関係な人を多く巻き込むことになる。
ちょっとしたミスが遺族のかたに与えたものは、520を基数とした無限倍数となって一生ついて回る悲しみの数である。
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