記憶+感情=思い出
都内で94歳の女性が初めて受け持った小学校の教え子と対面しているテレビを見た。元教員の女性は高齢にもかかわらず元気でブログも書いているという。女性のひ孫である女子大学生が奔走し、再開を実現させた。
女性の勤めていた小学校で教え子と対面したが、「ちょっとまって、思い出すから。○○ちゃん!」と当ててみせた。教え子も「この年になって先生に再会できるとは思わなかった」と感激する。
教え子の一人である男性は、「先生にお礼を言いたい」と切り出し、「悪いことしてなかったのに、別の先生に廊下に立たされた。その時、先生が『もういいから帰りなさい』といってくれた。ありがとうございます」とすると、女性は「ああ、そう」と返していた。
男性もよく覚えているものだが、元教員の女性もよく覚えていた。おぼろげな記憶に感情が加わると、思い出という記憶として定着するようである。
そういえば、つきあいの長い友人というのは、喜怒哀楽の感情がしっかりついている。ケンカもしたけれど、楽しい時間をたくさん過ごした。楽しかった思い出が多く残るのは、一緒に思い出を作ってきたからであり、それを会うたびに話すことができるからである。
これから先、何十年と時が流れる。黙っていても時間は経過する。同じ時間を過ごすのであれば、この時間に乗って過ごしたい。そうすれば未来は自ら作ることになるし、今過ぎ去ってゆく一瞬が思い出になる。
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