節目の年に伝えなくてはならない15年前【阪神・淡路大震災】
95年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を震源とする「兵庫県南部地震」が発生した。いわゆる「阪神・淡路大震災」である。1日が稼働する早朝を襲ったこの地震で5,500人以上のかたが犠牲となった。事態が掌握され、全国に速報となったのは午前6時半ごろだった。テレビで見る神戸市内はまるで戦場のごとく高速道路は倒れ、古い家屋の多かった長田区は甚大な被害が顕著となった。
マグニチュード7.2。この災害で指摘されたのは政府の危機管理意識の希薄さだった。自衛隊の出動は遅れ、ライフラインは寸断して被災者の生活はマヒ状態となった。震災後も市民の生活は穏やかではなかった。独居老人の孤独死が報告されたほか、心のケアの大切さが課題となった。
今年の1月12日、中米ハイチでは20万人以上が犠牲となる大地震が発生した。そこでは山積みにされた多数の遺体が屋外で異臭を放ち、人々は略奪を繰り返した。崩壊した刑務所からは3千人以上の囚人が逃げ出した。夜間は発砲音が鳴り止まず、警察機能もマヒしたままだ。人口の半数近くとなる450万人以上が1日1ドルで暮らす貧困国を襲った地震の恐怖である。
地震国である日本にいる限り地震から逃れることはできない。備えが必要なのは非常袋などの物質的な物の他に心理的なものもある。いざというときにどんな行動を取るかで生死を分けることになる。そのことだけは忘れないでおきたい。こうした”余裕”の論調も日本だからなのかもしれない。暴動も起こすこともなく、整然と配給に列を作った日本人に対して欧米諸国のマスコミは賞賛していたことを思い出した。悲惨な歴史に鎮魂の祈りを永遠に。
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★ 阪神大震災から15年 通信・放送各社、「震災」意識したサービス提供(産経新聞・10/1/15)