小満の判決
人はどの程度、中立でいられるか。中立でいられるのは利害関係が無いとき。自らの身に及ぶことが何かあれば中立を維持することは困難。
それでは裁判とは誰のために存在するのか。それは判事のためではなく、検察のためでもなく、弁護士のためでもない。被告人のためでもない。
法廷内は常に無罪推定の空気を保たなければならない。何が正しいことなのか、その追求をするのに検察や弁護側が熱くなることはよいことだ。裁かれるのは物理的には被告人であるが、無罪推定の空気という”温度管理”がなされることが前提だ。
社会で生きるためにルールは必要であり、そのために法令が存在する。しかし本来、常に正しくあろうと人が努力すべきなのである。我々を取り巻くのは法令ではない。物事の善し悪しと常日頃考えようとする意識こそが社会の良識を構成するのであって、それを心の刻む必要がある。裁判所には、その中立性維持を今後も切望する。
本日は二十四節気の「小満」。「草木が周囲に満ち始める」(広辞苑)という意味。東京は雨が降ったが、雨が降ってふさぎ込む気持ちもあれば、解放される夕焼けのような心もあるはずだ。
小雨降り 拭う地上の 汗知らず アヤメ シャクヤク クロフネツツジ
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