2013年との新しい出会い
コンクリートのすき間から生えている植物などを「ど根性○○」などと読んで話題になったことがあった。ときどきそういうような植物を見かけるが、なるほど、ど根性という言葉が似合う。そして確かにこちらから見れば凄いことなのかも知れないが、植物がそこで根を張るのは必然なのである。種がそこにたまたま着地したからそこに生きることになった。生き物が生きるというのは、そうした時のいたずらが全てを決定づけることになる。
だから、淡々と生きることが当然なのであって、ひたすら強くなることが必然なのであって、そこできれいな花を咲かせたことによって感動させることができるのは偶然なのである。
悲痛な叫びに耳をふさぐべきではないし、相手が訴えているその表情から目を背けてはいけない。どんな状況におかれても、悲観するのではなく、夢や希望を語るべきであり、相手が幸せになる言葉を発するべきである。他人を悲しませるような言葉は相手に届ける価値はない。
花はいつか散ることになる。自ら散るか、他人に散らされるかは分からないが、一つだけ言えることがある。大輪の花を咲かすことができれば、それを散らす者はいない。他を圧倒するような大きな花びらは見る者の人生をも触発することになる。
僕らに決めることができるのは、何色の花を咲かせるかということだけである。
本年も言葉のリサイクルをお読み頂きありがとうございました。来年も皆さまにとって、少しばかりの時間を拝借してブログの運営を続けていきたいと思います。みなさまにとっての2013年は、光に包まれた花が多く咲く時間であることをお祈りします。
Nono
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★ 2011年3月11日(本ブログ・11/12/31)