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マイケルジャクソン King of Popの死

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マイケルさんの自宅(=写真より奥に位置する・Googleストリートビューより)
 「スリラー」などが世界的にヒットし「ポップスの王様」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが25日正午(日本時間26日午前4時)過ぎ、ロサンゼルス市内の自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれたが心不全で死亡した。50歳だった。
 
 詳しい死因は不明で後に検視が行われる。カリフォルニア州のマイケルさんの自宅から通報があり、救急隊が駆けつけたが、すでに呼吸をしていなかった。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)付属病院に搬送されたが、現地時間25日午後2時26分(日本時間26日午前6時26分)に死亡が確認された。
 
 兄のジャーメイン・ジャクソンさん(54)は「とても辛い。死因は検視が行われるまで分からない。神がマイケルといつもあらんことを」と話した。マイケルさんは自宅で倒れているのが発見され、専属の医師らが1時間ほど蘇生術を試みた。しかし回復しなかったことからロサンゼルス消防本部に通報、救急隊員が病院に搬送中も蘇生を試みた。病院に到着した後も医療スタッフが懸命な措置を施したが死亡が確認された。
 
 マイケルジャクソンさんの自宅は、ビバリーヒルズに近い閑静な住宅街にあり、報道陣やファンらが詰めかけている。また警察関係者も自宅に入った。
 私の初めてのマイケルジャクソンは、84年に見たショートムービー「スリラー」だった。当時は音楽ビデオもレンタルされていたが、現在のようなチェーン店はなく、近所のレンタルビデオ屋で当日800円という価格設定だった。ビデオ自体もDVD主流の現在とは違い、VHSかBETAが用意されており、セルビデオ自体も1万数千円する時代だった。
 
 「スリラー」はそれまで洋楽に接したことの無かった私を引き込んだ。ちょうどその頃「死霊のはらわた」「The living of dead (ゾンビ)」「バタリアン」などのホラームービーが流行っていた時期でもあり、「スリラー」の内容は人々を魅了するのに時間がかからなかった。
 
 軽快なテンポの楽曲とそれに合わせて踊る”ゾンビ”たち。それまでダンスを同じ振り付けで踊る(ユニゾン)をまともに見たことがなかった上に、ダンサーはみなそれぞれの”ゾンビ”の姿でいるのはまさに”異様”であった。「スリラー」の中で踊る彼らのステップ音、摩擦音、そんな躍動感が当時の洋楽ファンを魅了した。
 
 ”Thriller”はシングルレコード1枚とジャンボシングル1枚を持っている。ちょうどそのころ、レコードがCDに入れ替わる時期でもあり、日本では洋楽ブームに乗りレコード版、CD版などいろいろなバージョンが出たことでも恵まれた時期であった。”ソ連”出身の20代のある男性は「欧米では日本のようにさまざまなアーティストのCDの入手が困難。日本が羨ましい」と言っていた。
 マドンナ、シンディーローパー、プリンスら多くのスターと、そんな一時期を飾った彼がわずか50年でポップス界から姿を消した。King of Popは、Legend of Popとなってしまった。本当に残念。どうぞ、安らかにお眠りください。
 
 
☆ When you leave here, remember the children.=「会場を出るときも子供たちのことを忘れないで」(Michael Jackson・86年、”We Are The World”のグラミー賞受賞時のスピーチ)
★ マイケル・ジャクソンさん専用チャンネル-You Tube 
★ さよならマイケル、アメリカは追悼ムード一色(読売新聞・09/6/26)
★ マイケル・ジャクソンさん急死「スリラー」1億枚(朝日新聞・09/6/26)
★ M・ジャクソンさん死去:世界の首脳も悼む(毎日新聞・09/6/26)
★ CDショップ相次ぎ追悼、ジャクソンさんのCD追加発売は15万枚

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