言葉のリサイクル

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児童虐待を目の当たりにしたらどうするか

 
 児童虐待という報道が多くされているが、なかなかその実態を見ることは少ない。手を挙げただけでも暴力だが、幼い子の頭に蹴りが入ったその瞬間を見ることがあったらどうするか。
 
 映像があった。駅構内で、未就学児と見られる女の子が座り込んで泣いている。その前には母親とおぼしき女性が立って怒鳴っている。「行くの帰るのどっち?」「速くしろよ!」というと、母親の後ろをついて行く女の子。すると母親は「ふざけんなよ!」と怒鳴って、女の子の頭に蹴りを入れる。女の子が倒れ込んだときの音が頭から離れない。
 
 こうした映像が公開されると「撮影して、なぜとめない」という意見がある。もっとものような意見であるが、こういう映像がなければこの手の事実を知ることはなかなか出来ない。
 
 「使者を撃つな」という言葉がある。英語で言うと、”Don’t shoot the messenger who brings bad news.”であり、悪い知らせを持ってきただけの使者を責めてはいけない。攻めたところで問題解決にはならない、という意味である。
 
 投稿者に批判的なコメントをする人たちは誰しも「助けたい」「ひどい」と思うのであって、今何もできないのがもどかしいという自然な感情なのは理解できる。ただ、現場にいない我々が映像を見て「なぜとめないのか」「私だったら子供を助ける」などと言うのは意味が無い。
 
 映像投稿者は「個人情報の流出になるので賛否をいただくのも理解の上投稿します」としている。投稿者は「おい、警察呼ぶぞ」「ビデオに撮ったぞ」と母親に警告している。他人の空間に他人が入るのは容易ではない。他人に対してカメラを向けるだけでも勇気のいる行動である。証拠を残すのも害悪に立ち向かう1つの形なのである。
 
 女児は母親に抱えられて改札に向かったようであるが、公の場で堂々と暴力がふるわれているとなると、帰宅してからも同様の暴力が行われるであろう事は想像に難くない。恐怖と苦痛で泣け叫ぶ子供の姿は本当に辛い。女児の身を案じてしまう。
 
 児童虐待は家庭や学校などの屋内で行われることが多い。被害者は訴え出ることもままならない子供たちであり、周りの大人が行動をとらなくては助けられない。絶対に助けられない。助からない。
 
 我々が老いて最期を迎えるときにお世話になるのは、この女児のような子供たちである。未来を愛おしみ、豊かな気持ちを育むことを忘れてはならない。
 
 この映像を見て学ばなければいけないのは、こうした状況に遭遇したとき、我々のとれる行動は1つであることを常に考えておくことである。
 
 暴力を目の前にしたら我々は立ちすくむ。きっと現場から離れたいと考える。我々は見て見ぬふりが得意な傍観者であり続ける。
 
 しかし、それでいいのか。
 
 
 
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