紙の思い出
何もない紙に文章を書く時、とっかかりがあれば書きやすい。そこを突破口に文章をつなぐのだ。
小学校1年の時、このとっかかりを作る授業があった。「お手紙交換」だった。ルールは折り紙に誰宛に何を書いても良いから一言メッセージを書く。それを相手に渡したら受け取った方は必ず返信しなくてはならない。最終的に多くの返信をもらった人が勝ち、というものだった。
1番になりたかったが強敵がいた。クラスで1、2位の女の子に人気のある男の子だ。こいつだけには負けたくなくて書きまくった。内容は他愛のないもので、「○○ちゃん、家が近いし今度遊ぼう」「いつも仲良くしてくれてありがとう」といった一言である。帰ってきたメッセージは「何でNono君は私のことゴリラって呼ぶの?」や、お手紙交換の順位が上がってくると「がんばって!」というものもあった。
机の上には折り紙メッセージがたまっていった。もう誰に何を書けばいいのかはネタ切れの領域に達していたが、それでも書きまくった。その男の子に勝ちたいがためにだ。しかし、最終的に2、3通の僅差で負けてしまった。紙に書かれる文字というのはその人の顔が見えて面白い。字の個性も人それぞれだし温かみがある。
小学校の先生は、毎週わら半紙にクラス報のようなものを作り、保護者に配布していた。ワープロもなかった時代だったので手書きだ。ミニ新聞のような構成は子供の私が読んでも刺激された。質の悪いわら半紙は半年もすれば色あせてしまうし、消しゴムでこすれば破れてしまう。あの独特な匂いも幼い頃の思い出である。
紙は伝達手段としてその役割を担っている。メールなどの電子化が進んでいても書いた方が速いことは多い。手に持ってじっくり読める本も味わい深い。紙は永遠になくなることはないだろう。そうなれば紙リサイクルの重要性は大きくなる。市販の封筒やコピー紙に含まれる古紙割合が偽装されていることが分かった。買うことで森林保護に貢献していたと思っていただけに、あの大学ノートもニセモノだったかと思うと残念である。
偽造問題は何が偽物なのかではなく、誰がニセモノかということである。こうなると、天然素材のわら半紙が懐かしい気もするが、今となっては普通紙よりも割高なのだそうだ。
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★ 王子製紙の再生紙9品で偽装、古紙配合率「ゼロ」も(読売新聞・08/1/18)