早足の順位
今はさ、なるたけみんな平等にっていう時代でしょ。運動会なんかでも一〇〇メートル競走やめようって言うんだよ。みんなで手をつないで一緒にゴールインしようとか。こんなバカな話ないって。そのくせ偏差値はつける。偏差値なんていちばんの差別じゃない。
— ビートたけしの名言 (@takeshimeigen00) 2015年1月1日
先日、都内の駅に向かっていると近くを若い女性が歩いていた。女性の髪は茶髪で肩までくらいで20歳くらい。ショートのジーパンを履いていた。その女性、歩くのがとても速くて見ていて「負けてはいられない」と感じた。目の前に人がいると抜かさないと気が済まない私も早足なのである。抜くと次の角で抜かれてまた抜き返した。
世の中に競争は必要か。これに対して、ビートたけしさんは上記のようにコメントしたようである。自分の得意な分野で競争して一番になる事を目指す気力というのは、どんなときにでも持ち合わせていないといけない自己啓発の要素だ。
最近では運動会のリレーの類いで、1位や2位といった順位を決めないそうである。いじめのきっかけになる事などを危惧しての事なのであろう。ただ、いずれ進学や就職、実際に社会人となったときに競争はつきものである。将来のそこまで意識しなくても、勝敗を意識して発憤して挫折する心のバイオリズムを作る機会を奪っていいことはない。
誰も他人を傷つけたくないと思っているのと同時に、自分が一番でいたいと考える。その両方の考え方をバランス良く保てるかどうかで人格というのは決まる。他人の事だけ考えていると自分が傷つく。しかし自分の事ばかり考えていると世渡りができなくなるからだ。
信じる者は救われる、という言葉は自分のためにあると思ったが違った。他人を無条件で信じてあげればその人は救われる。その寛容さを培う経験を未来の子供たちにはさせたい。
冒頭の話の続きだが、早足の女性を追い越してから駅に着いて電車に乗った。勝利に酔いしれながら途中で乗り換えて自宅最寄り駅方向に電車が向かっていると、少し手前の駅でその早足の女性が降りた。乗り換えたにもかかわらず同じ車両にいたとは知らなかった。女性は私のほうをちらりと見ると、足早にホームの階段に向かった。勝ったような負けたような。
(写真は東京・千代田区内・男坂)