言葉のリサイクル

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泣いている小さな子供がいたら声をかけるべきか無視するべきか

 泣いている子供を見たら声をかけるべきか、そんな話が議論になっている。
 
 男性がツイッターで「110番を利用した」とするのだが、夜泣いている女の子を見かけて迷子ではないかと声をかけようかと思った。しかし「声かけ事案扱い」されることを恐れ、不審者になるのは嫌だという思いから110番した。
 
 通信司令室から「近くの交番まで連れてきて欲しい」と言われると上記理由で通報しているのでできないと断る。「せめて警察官が到着するまで待っていて欲しい」と言われると、「子供の近くにいたら不審者扱いされる」と断り、結局通報してその場を立ち去った、とのことだ。
 
 私自身、自治体からの不審者情報メールを受信しているが、不審者による「声かけ事案」というのは結構多い。「○○まで連れて行って欲しい」や「声をかけられた」などの事案もあるが、単なる挨拶程度の文言などもあり本当に不審者かどうかは判断が難しい。
 
 そうはいっても、「声かけ事案」の延長で体を触られた、などの事件も発生しており、子供たちや地域が犯罪の前兆に敏感になるのも理解できる。では、本当に困っている子供がいたらどうしたらいいのだろう。
 
 昨年、目に涙を浮かべて口をへの字にしている小さな男の子が声をかけてきた。「あのね、ばあばがいないの。いつもいるはずなのに、インターホンならしても出ない」と私に訴えかけてきた。
 
 これは一大事、中でばあばが倒れていたりしたらどうしよう、そう思って男の子に家のカギを開けてもらい、家の中の様子を見てもらうことにした。私が入ったのは玄関の入り口まで。
 
 「ばあばいないよ」「トイレの中も見て」「どこにもいないよ」「じゃあ、近くに買い物にでも行ったのかもしれないね」。
 
 すると、男の子は「もう一人のおばあちゃんちに行ってくる」と言い出した。「そのおばあちゃんちは近いの?」と聞くと、「うん!」と笑顔で答えた。ああよかった、とりあえず一安心だ。「あ、ぼくぼくぼくぼく!おうちのカギをかけないとダメだよ!」
 
 今思えば、私の行為も他人から見れば子供の家に入ろうとした不審者にしか見えなかったかもしれない。しかし、私も母親の帰りが遅くて近所の家に泣きながら助けを求めたことがある。それを思い出したので、泣きべそをかいた男の子を無視することはできなかった。
 
 あの時の男の子、少しばかり他人に愛想がよすぎるかもしれない。でも本当は、そんな純粋な子供たちが安心して外出できる地域社会でなければならない。冒頭の男性も迷いはしたが、110番通報したのは素晴らしい行動だ。あとは警察官に任せればよい。
 
 なお、ツイッターの男性が通報した女の子は無事保護された。家からだいぶ離れたところであり、親御さんが感謝の連絡を入れたいので電話番号を教えていいか警察から打診されたが、それも断ったとのことである。
 
 困っている子供がいても無視してしまう社会になったら恐ろしい。子供を守り安全な地域を作ること。それは大人の責務です。
 
 
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★ 迷子に「どうしたの」と声をかけるべきか「不審者」扱い怖く「110番」した実例巡り議論(J-CASTニュース・14/1/10)
 


 

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