痛みを知ったらやめましょう
知り合いの子供のキヨシ君は柔道を習っている。先日キヨシ君に会うと、「ののちゃん、このあいだね、友達とふざけて技をかけたら足ケガしちゃった。転んだことにしてる。お母さんに言うとしかられるから内緒ね」と言ってきた。私は「そういうのもほどほどにしろよ。お母さんに迷惑かけないようにね」と言った。
武道などを習っていれば、ふざけて友達に技をかけてみたくなるものだろう。キヨシ君の子供の年齢であればなおさらだ。その上で、武道を習っているのだから礼節を重んじ、相手を尊重して大事にする子供に育ってほしい。
ケガをしたのが自分であるからまだよいが、相手にケガをさせてしまってはよくない。痛みを知ることで、相手を傷つけたときにどれだけ辛い思いをさせるのかを学んでくれたと信じたい。そうしたことを学んでいく上で、
「遊び半分でやった」は、「いじめ」であることを知ってほしい。
「しつけのつもりだった」は、「虐待」であることを知ってほしい。
「指導」と称した「体罰」は、暴力であることを知ってほしい。
体罰は「罰」であり、スポーツを教える途上で「罰」を与える必要などない。
15人の柔道選手が連名で柔道コーチによる体罰を告発した。直前には大阪市立高校での体罰による自殺した生徒もいた。近くの滋賀県ではいじめを苦に自殺した生徒がいた。
指一本触れればセクハラだと言われるご時世なのに、こうした相手に対する思いやりがかけている。有形無形の暴力を許すことは断じて許されないことを誓わなければ、亡くなった子供たちが浮かばれない。体罰もいじめも昭和の時代からあった問題である。
昭和60年5月、岐阜県内の高校で男子生徒が教師による体罰で死亡した。校長に詰め寄る父親、そして出棺の時に教師たちに対し、「おまえらの教育がまちがっとんじゃ」と怒りをむき出しにしてくってかかった大勢の生徒たちの映像が忘れられない。
スポーツは限られたエリアの中で限られたルールに則って行われる。”場外乱闘”は絶対に美化してはいけない。キヨシ君と話を終えた後で、母親が来て言った。「まったくこの子も転んでケガなんかするから心配だわ」と言って笑った後ろで、キヨシ君と私は目を合わせて静かに微笑んだ。
キヨシ、約束ね。
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