阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)から17年

 「近畿地方で強い地震が発生した模様です」とテレビの速報は伝えた。95年1月17日午前5時46分、神戸市沖を震源とする強い地震が発生した。テレビのニュースで震源周辺地域の震度を表示していたが、神戸だけは空白になっていた。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は発生から今年で17年目を迎える。
 
 当初、早朝であったことに加えて、自治体や警察消防、地元報道機関なども打撃を受けたため被害状況が伝わらず、全容が明らかになるまで時間を要した。兵庫県警本部は奇跡的に建物の崩壊がなかったが、神戸市内の阪神高速道路の崩落や長田区内から兵庫区にかけての火災の発生により、被害の全体像を把握するのに時間がかかった。
 
 警察庁や自治省消防庁(現:総務省消防庁)からの応援部隊も到着したが、現地での統率や機材装備などが順調に行われなかったことで、救助や消火活動は完全に遅れることとなった。
 
 85年8月に発生した日本航空123便墜落事故の時にも、警察、消防、自衛隊、そして救助の応援を申し出た米軍などが入り乱れ、墜落現場の特定や救助に時間がかかったのは縦割り行政の弊害と言われたが、阪神・淡路大震災にも同様のことが起きてしまい、過去の教訓は生かされなかった。
 
 都市部自身が被災した場合の救援インフラが完全にマヒしたことで、地元消防などは大規模火災に対して無力となった。こうした経験から、消防は「消防起動救助部隊(ハイパーレスキュー隊)」、警察も「広域緊急救助隊」を発足させることとなった。後の新潟県中越(沖)地震やハイチ地震でも活躍することとなった。
 
 新潟の地震や岩手内陸地震、そして東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と大きな災害を目の当たりにしてきた。発生場所や時間、そしてその土地の地形や人口。そうしたさまざまな作用が働くために経験があっても事の全容把握が難しいことがある。
 
 神戸という都市部で発生した大地震は国内のほかの都市部でも衝撃であった。もし同じ地震が自分の街を襲ったら、誰もが当時はそう思った。建物を強くする、救援隊を補強する、非常袋を用意する、どれだけ対策をとっても防げない事もあるのが自然災害の恐ろしさである。阪神・淡路大震災では多くの方が建物の下敷きとなって亡くなった。
 
 1月17日、神戸の日の出時間は7時6分。まだ寝静まっていた都会から、6,434人の御霊が静かに浮かんでいった。神戸の天気予報は晴れ。地平線から昇る太陽が、誰かを慰めてくれることを静かに祈る。
 
   
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