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30歳になった「パックマン」 それまでにはないゲームだった

 1979年、東京・中野のブロードウェイ。ここのゲームセンターで初めて「パックマン」を見た。それは衝撃的なゲームであった。それまでのアーケードゲームと言えば、スペースインベーダーがまだブームであったころである。このゲームの変形版も多く見られる時代。そんな中「パックマン」のデビューである。シューティングゲームとはちがい、十字レバーのみを使う画期的なゲームの登場に、「え?ボタンは使わないの?」と驚いたものである。
 
 それのみならず、目を釘付けにしたのは画面のカラフルさである。インベーダーが単調な色であったのに、パックマンはイエロー、モンスターは赤、ピンク、水色、オレンジ、そして画面を青色のルートが彩った。
 
 ルールは単純で、パックマンを操作して、小さいえさのドットをすべて間食すれば1面クリアである。しかし、4匹のモンスターに追いつかれないように、逃げながら完食しなくてはならない。ただ、全部で4つ用意されている「パワーエサ」を食べると、数秒間だけモンスターを「食べる」ことができる。食べられたモンスターは目玉が画面中央の「モンスターハウス」に戻り、モンスターの姿に復活してまたパックマンを追いかけ始める。
 
 画面左右にはワープゾーンがあり、右から左へ、左から右へ抜けることができる。ひたすら追いかけられるパックマンだが、モンスターハウスの上2つの通路だけは、なぜかモンスターが追いかけてこない唯一の場所である。
 
 このゲームではどこのゲームセンターに行っても「ヒーロー」がいた。パックマンは特定のパターンでやり過ごすことができる。いつも同じ動きをしていれば、どの面もクリアできる。私も独自のパターンを作って周りの目を驚かせたが、長続きしないパターンを作ってしまい、失笑を買った。
 
 ブレイクタイムのパックマンとモンスターの追いかけっこも面白い。面をクリアするごとにチェリーやバナナが表示されるが、その先は何故かギャラクシアンの親玉キャラやカギが出てくるのも興味を引いた。
 
 アーケードゲームと駄菓子がつきものだったので、友人らと”ゲーセン”で遊ぶのは当たり前のことになっていた。今では当時のアーケードゲームよりも高度なものが家で楽しめる時代になった。そのかわり、街の中にあった駄菓子屋や名物おじさん・おばさんのいたゲーセンはなくなってしまった。
 
 パックマンは画面上にある物を完食するが、これは後の様々なゲームが踏襲することとなった。枚挙にいとまがないが、「アミダ」、「クリーニングクリーニング」、「ラリーX」、「マッピー」など、画面に置かれた物を一掃することで「一面クリア」になったゲームの原型になったのだ。
 
 

 

 
 
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★ 「パックマン」が生誕30周年(CNN.co.jp・10/5/22)
 
 

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