忌野清志郎さん、死去 がん性リンパ管症 58歳

 「信じられない、そんなことが」。05年に歌手の本田美奈子さんが亡くなったとき、早稲田大学の学園祭に出演した後の忌野清志郎さんの言葉である。その忌野清志郎さんが、2日午前0時51分、がん性リンパ管症のために亡くなった。58歳という若さだった。
 
 18年7月に喉頭ガンを公表、その後治療を経て、翌19年12月には日本武道館で活動を再開したが、20年7月にはがんが左腸骨に転移していたことが分かり、予定されていた公園が全て中止となった。その後は放射線治療などを受けていたという。
 
 東京生まれの忌野さんは、1968年に中学校の同級生らと、忌野さんがリーダーのバンド「RCサクセション」を結成した。バンドのネーミングについて、当時の歌番組「ザ・ベストテン」では「ある日作成しよう、ということになったから」とコメント。82年には、坂本龍一さんとコンビを組んで「い・け・な・いルージュマジック」がヒット。化粧品のCMにも使われた。「反原発」などのメッセージ性の強い曲を発表、発売が禁止になったこともある。
 
 忌野さんの死との関係の有無は分からないが、現在、iTunes Music Storeの検索機能が混雑している。
 
・細野晴臣さん「亡くなるなんて信じられない。早すぎる。お見舞いに行こうと思っていたところだったのに。本当に残念だ。なんて言ったらいいのか分からない」。
 
・ビートたけしさん「がんもロックンロールだって言っていた」「(たけしの)デビューのころにRCサクセションに火が付いてきた。ぐっと上がっていくときに、よく一緒にやった。前座を漫才でやったこともある。おいらがやっても相手にされなかった」。
 
・泉谷しげるさん「おれとしては忌野清志郎が亡くなった事は受け入れません!彼はオレの青春そのものだったし、年下なのに師として仰いできたしこれからもだ。忌野さんには一生勝てないし、勝つ気もない。若いころから希有な天才性を発揮してたしずいぶん真似させてもらったよ。まだ恩返しもしてないのに彼が勝手に逝くはずもない。だから冥福を祈らないし、告別もしない。オレだけは絶対に忌野清志郎の死は認めないから」。
 
 個人的には、忌野さんが覆面バンド「タイマーズ」として活躍していたときの曲で、モンキーズのカバー曲「デイドリーム・ビリーバー」は大好きな曲の1つだった。カバー曲を出す歌手は多くいるが、独特の絞り出すような声はまさに希有な存在で真似ができない。派手なメイクや服装で近寄りがたい存在ではなく、近寄ってみたくなるそんな存在であった。58歳だなんて、本当に残念で信じられない。なんだか頭がずっとボーッとしている。こんなこと、ひどいな。
 
 忌野清志郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
 
 
★ 闘病中のロック歌手、忌野清志郎さん死去(産経新聞・09/5/2)
★ 忌野清志郎さん死去 悼む声次々(朝日新聞・09/5/3)
★ 地味変(忌野清志郎公式ページ)
★ 忌野清志郎 ユニバーサルミュージックによるページ
 
 

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