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表札300枚を盗んだ男逮捕 警視庁

 かつて古い平屋建てから新築の家に引っ越したとき、嬉しかったことの一つが表札だった。それまでは入り口にくくりつけていた赤いポストに書かれた名字が”表札”になっていたからだ。その後、一人暮らしをすることで表札は付けなくなり、入り口ドアや集合ポストに名前を印刷したシールを貼っている。
 
 表札というと滅多に作ることはないと思うが、一体いくらなのだろう。「表札屋ドットコム」で調べてみると、1万円から5万円以上するものまでいろいろだ。昔からあるような木製のものもあるが、形はスタイリッシュ。大理石のものは見かけず、ステンレス製でシンプルなものもある。考えてみれば日本の住宅事情も昔とだいぶ変わっている。表札もそれに合わせて変わっているのだろう。
 
 ところがそんな表札を盗んでいた男が逮捕された。警視庁荒川署は埼玉県蕨市内に住む男(42)を窃盗容疑で逮捕した。逮捕のきっかけは職務質問。警察官が男の所持品を調べると、男の名前とは違う表札が2つとドライバー1本などがあった。男の自宅を調べると、およそ300枚の表札が見つかった。調べに対して男は「かい書体で書いてある表札が好きだった。名前や住所は電話帳で調べた」と供述している。警視庁では男が5年前から、東京や埼玉、千葉などで表札を盗んでいたと見ている。
 
 若いころにお中元の配達のバイトをしていたとき、さまざまな表札に出会った。築年数の経っている家は木製のちょっと疲れた表札、新しい家は若々しい大理石、ちょっと奇抜な家はローマ字表記の表札だったりとさまざまであったが、困ったのが表札のない家。名無しの家というのはちょっと不気味な感じもするので、簡単なものでいいから付けてください。配達関係の人たちは苦労していますよ。
 
 
★ 集めた表札289枚 窃盗容疑者を逮捕(朝日新聞・09/2/17)
★ 表札屋ドットコム 
 
 

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「検事と刑事の違いも分からないのか」と発言した警察官

 対警察官の嫌な思い出が2つある。1つは自転車が盗難に遭い、最寄りの交番に盗難届を出しに行こうとした時のことだ。スクーターで向かい、交番手前でエンジンを止め、交番の前を横切って交番の横に駐車しようとしたときだ。
 
 「何でスクーターを引いているんだ」。交番から出てきた警察官にいきなり聞かれた。どうも警察官は、盗んだスクーターだから引いて運んでいる、そのように思ったのだろう。盗難届を出しに来た、そう言ってからその警察官と2人きりの交番内が気まずいことといったらなかった。警察官に呼び止められたことは、自転車が盗まれたショックよりも大きかった。
 
 2つ目は、ある書類をもらいに夜中に警察署に行ったときのことだった。署に入ろうとすると、立ち番をしていた警察官に用件を聞かれ、それに答えた。すると、「そういう手続きは職員がいる9時から5時の間に来てもらわないとダメなんだよ!」といきなり怒られた。
 
 いま思えば確かにそうなのだが、若かったし警察は24時間営業だしそんなことは考えもしなかった。とりあえず書類だけもらって署を出たとき、先ほどの警官が言いすぎたと思ったのか、「それ、書き方分かる?教えようか?」と言ってきた。「いえ、いいです」と、ふてくされて署をあとにした。何も悪いことをしていないのに、被疑者扱いされたり、いきなり高圧的な言葉をかけられなくてはならないのは何故なのか。
 
 警察官というのは人生の裏街道を歩いているような悪い人間と話す機会が多いだろうから、口調が警察官特有の高圧的なものになることは分からなくもない。しかし通常のやりとりでこんな言い方されては、もう警察には協力しないとすら思ってしまう。
 
 山梨県北杜市のアパートで先月、男性(61)が死亡した事件について、男性の長女が山梨県警北杜署に被害者参加制度を利用し、公判に参加したい意向を示していた。事件の容疑者が殺人罪ではなく、傷害致死罪で起訴された理由などを聞くために同署を訪れた。
 
 その際対応した署員に「検事と刑事の違いも分からないのか」などと高圧的に言われ、長女はショックを受けた。泣きながら帰宅した長女から話を聞いた長男が「もう少し優しく対応できないのか」とメールで県警に抗議、これを受けて県警監察課は長女と長男に謝罪をした。
 
 北杜署の次長は、「遺族がショックを受けているのなら、申し訳ない。誤解の無いよう遺族感情に配慮していきたい」とコメントした。
 
 以上は、被疑者と被害者の違いも分からない警察官の例である。
  
 
☆ 汝の敵を許せ。しかしその名は決して忘れるな(ジョン・F・ケネディー)
 
★ 被害者遺族に警官威圧「検事と刑事の違いも分からないのか」(読売新聞・09/1/26)
 
 

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友人の赤ちゃん誕生

 
 13日の土曜日に出産を控えた女性の友人らを交えて忘年会をした。彼女は「予定日は26日。クリスマスベイビーを目指すぜ」と言っていた。
 
 この彼女との出逢いはミスド。高校生だと友達を連れてくるパターンが多い中、高校1年になってすぐに1人でやってきた。当時は質問をしても、はにかんであまり言葉が少なかった彼女も、転職した現在では職場で部下を従えて仕事をするまでになった。
 
 彼女の性格はとにかく天真爛漫。季節で言うと、いつも春のような明るさのある女性だ。「結婚はしないかもしれない」と言っていた事のある彼女にも彼氏ができて、交際期間も長くなっていた。
 
 そんなある日に妊娠の連絡があり、ギリギリまで働いていたが最近になって休職した。それでも活動的な彼女は温泉やヨガ、文化教室などに通って1日をフルに使っていた。土曜日の飲み会の時も周りに「まだ何かやる気なの?」と言われていた。
 
 飲み会の前日に彼女に、「お腹に一つの生命が入っているっていうのはどういう感じ?」と聞いたら「特に感じる事はないな。かわいいかどうかも分からないし。どんなのが出てくるのかは楽しみ。明日の飲み会は何時から?」である。
 
 飲み会ではみんなに冗談で、「いざというときは”取り出す”心構えを」と連絡しておいた。そうしたら飲み会2日後の昨夜8時半に「産まれました」の連絡が来た。
 
 命の神秘というのは、出産した彼女が体験し、実感し、旦那さんと喜びを分かち合う事で産まれるもう一つの産物だと思う。そして目を細めて赤ちゃんを抱いている姿を見せられれば、それは周りにも伝わることである。子供の成長もそうだが、親になった彼女が母親としてどう成長していくかも楽しみだ。
 おめでとう。彼女の性格のように、春のような明るい家庭になることを願っています。命の誕生よりも、彼女が母親になる事のほうが神秘的かもしれない。
 
 
☆ もし私の恋人が誠実であり、私の子供が丈夫であり、 わが家の大きな暖炉が赤々と燃えているなら、 さし当たってこれ以上望むところは何もない。 (ゲーテ)
 
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夕方のカラス

 詩人の中村雨紅は「夕焼け小焼け」の作詞をし、その中で「カラスもいっしょにかえりましょう」と記した。この詩が示すように、かつてカラスといえば夕方に見かける鳥であった。
 
 都内で幼少時代を過ごした私は、カラスの鳴き声が帰宅の合図でもあった。そして私が住んでいたところは帰宅時間になると防災無線から「夕焼け小焼け」が流れて、同じ時間帯には豆腐屋さんがあのラッパを吹きながら自転車をこいでいた。カラスが舞う空の色といい、カラスの鳴き声やラッパの音といい、きれいな昭和の思い出だった。
 
 今年の夏に近所で豆腐屋さんのラッパを久しぶりに聞いた。といっても、昔の自転車に箱を積んだものではなく、自転車でリアカーを引っ張っているのだ。その荷台には青いプラスティック製の箱が何個か積まれていた。ラッパと同時にセールストークもついている。それによれば、豆腐単体のみならず、豆腐ハンバーグや練り物なども売っているようである。
 
 ラッパは久しぶりに聞けたが、カラスの鳴き声を夕方に聞くことはほとんどなくなった。それどころか近年は、早朝にゴミを荒らす悪いイメージが定着してしまった。初夏の繁殖期になると人に向かって飛んできて「威嚇」するのも脅威である。
 
 私はゴミ集積所でカラスと”仁義なき戦い”を経験しただけにカラスは憎たらしい。何が憎たらしいかというと、頭がいいからである。壊れた黒色の折りたたみ傘をぶら下げておく。その日は”仲間がやられた”と警戒して近寄らないが、次の日にはそれがニセモノだとばれる。電線に無数に列をなしているカラスに届かないのがもどかしかった。
 
 東京都は数年前にカラスの駆除を徹底的に行ったようだが、恐らくその効果が出ているのではないかと思う。少し前の夏に比べると、カラスは減っているように思える。
 
 カラスはスズメなどと同様に野鳥であるため、一般的には飼育することができないが、堺市内の男性宅に住み着いたカラスが近所で人気者になっているという。万代嘉美さん(65)の自宅にいるカラスは「ポッポ」と近所の子供たちに名付けられた。ポッポは人なつっこく、自ら人間に近づいてくるのだという。
 
 ポッポは5月に堺市内の神社で見つかった。巣から落ちていたようで、右足を引きずっていたようだが、万代さんの看病ですっかり回復し、ドッグフードに魚や肉に加え、カレーライスまで食べるらしい。「憎たらしい鳥だと思っていましたが、飼ってみると、とってもかわいい」と万代さんは話す。
 
 そして間もなくポッポを野性に戻すのだという。万代さんを親のようにしたっていたポッポは頭の良さを通り越しているに違いない。人と接することを楽しみとし、万代さんもポッポを可愛がってきた。動物がいとおしいのは、言葉が直接通じないのに気持ちが通じることがあるからだ。
 野生に返すとき、ポッポがピョンピョンピョンと戻ってきたら、万代さん、お辛いでしょうね。
 
 
☆ 蝶はモグラではない。でも、そのことを残念がる蝶はいないだろう(アインシュタイン)
 
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★ 人なつこいカラスが人気 大阪の男性が親代わり「飼ってみると、とてもかわいい」(産経新聞・08/9/10)
 
 

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懐かしいユーロビート

 80年代後半から流行っていたユーロビートが懐かしい。当時はレンタルCD屋で借りまくってテープにダビングしていた。
 
 まだレコードの息があった時代でもあり、テープへの録音というのはちょっとした職人技であった。
好んで90分テープに色々な曲をダビングしていた。60分テープだと短いし、120分テープは切れてしまう恐れがあったため90分だ。
 
 レコードの曲名の横に演奏時間が記してあるものはよかったが、無い物は溝の大きさ、例えば1センチで約4分半などと決めて(または賭けて)録音した。そしてテープの残量も気をつけなくてはならない。これも目視で「この曲ならギリギリ入る」と決めて(賭けて)作ったものである。車で旅行に行こうものなら、そのためのオリジナルテープを丁寧に作ったものだった。
 
 今はiPodなどで簡単に曲を大量に持ち運べる。オリジナル曲を集めたテープなどわざわざ作る必要もなく大変便利になったと思う。
 
 数年前、FMの夕方の番組で、リスナーが「曲は何となく分かるけど曲名が分からない」というものを、ラジオ局の留守番電話に鼻歌で録音、それをスタッフが聞いて誰の曲が調べてオンエアーするという番組があった。
 
 リスナー「えーと、ユーロビートが流行っていたころの曲で、女性グループだったと思います。ラララ〜」という具合に歌った曲、スタッフが見事探し当てた。私もその鼻歌を聴いていて、「もしかするとあれかもしれない」と思ったのだが、ズバリ当たった。それを探したスタッフも凄い。その曲は「How Deep Is Your Love」という曲で「Super Love」というグループが歌っていた曲であった。
 
 
☆ たびたび、直感が頼みの綱になる。(ビル・ゲイツ)
 
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最終的に英語が話せる人と話せない人

 英語が好きになり、類は友を呼ぶ的にそういう友達が周りに集まる。そうして大学や英会話スクールに短期留学を経験して気付いたことがある。英語を話すのが上手い人とそうでない人だ。
 
 例えば飲み会の席において、話をする人、それに対して質問する人、ボケる人、ツッこむ人というのは大抵決まっている。英語を上手く操れる人は往々にしてそういう人たちだ。すなわち、会話を楽しむことができる人である。席の隅っこで笑っているだけの人というのは上手くならない。
 
 そもそも、日本語で人との会話が上手くない人が英語を使い、ましてや文化背景の異なる外国人と会話などできるわけがない。天気、食事、音楽、スポーツといった当たり障りのない話題で盛り上がることができるのは最初のうちだけで、そんなネタはすぐに尽きてしまう。
 
 留学したときの同じクラスにSayakaという日本人の女の子がいた。彼女の英語レベルは高く、なぜ私と同じクラスなのか疑問に思ったほどだ。一切日本語を話さない彼女は、気軽に英語で話しかけてくる。以下英語で、「ねえNono、来週はプレゼンテーションでしょ?準備はした?緊張している?」こんな具合で、ちょっとした話(small talk)に長けているのである。
 
 外国語をマスターしたいのであれば、普段の日本語の会話を大事にするべきである。会話が上手い人はつたない英語でもどうにかやっていくものだ。私の英語レベルはそう高くないが、英語で話すときに必ず実践することがある。自分から”質問”することだ。人からいきなり質問されても聞き取れなかったり、なんて答えていいか分からないことがある。しかし、自分から質問すれば返ってくる答えはおおよそ見当がつくので会話が成立しやすい。
 
 例えば、”What kind of music are you into ?”(どんな音楽を聞いているの?)と聞けば、pop、rock、latin、jazz、heavy metal などのジャンルやアーティスト名など聞き取りやすい単語が高い確率で返ってくるものだ。
 
 ところでネット上でNonoを名乗っているが、実生活でもあだ名はNonoである。私にとって幸運なことはこのニックネーム。
 
“My name is Nono. Please call me Nono.”
 
と”宣言”すれば、ネイティブは大抵、次の瞬間からすぐにNonoと呼んでくれる。名前を呼ぶことが親しくなったという意味にはならないが、「彼」と呼ばれるよりもNonoと呼ばれた方がはるかに気分はいい。短いし”funny”な響きがあるらしく覚えられるのである。
 
 こうして自己紹介をしたら、「君の名前は?」と言えばいい。相手が名乗ったら、「有名人の名前に似ているね」とウソでもいいから言えばいい。会話というのはそうして始まるものである。
 
 あぁ、Sayakaの日本語が聞きたかったなぁ。。。
  
 
☆ 外国語を少ししか話せない人は、上手く話す人よりも外国語を嬉しがる。楽しみは半可通の人にある。(アリストテレス)
 
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思い出の腕時計

 
 昭和57年の12月に父からクリスマスプレゼントをもらいました。アルバの「20面相」(にじゅうめんそう)という腕時計です。当時テレビでは松田聖子がCMに出演していたものですが、この腕時計の特筆すべきはアナログ針の上にデジタルカレンダーなどが浮き上がる、というものでした。今あっても珍しくないですが当時は画期的でした。ちなみに今、このタイプの腕時計はありそうでないです。
 
 初めて中学校にしていった腕時計、珍しいものだったので少しは自慢になりました。時報で「ピッ!」というところだけでも面白かった。画面全体に1ヶ月分のカレンダーが出たり、時刻だけを出すこともでき、ストップウォッチにもなったのです。
 
 大人になってからこの時計の存在すら忘れていました。しかし、部屋を片付けたら出てきました。動きませんでした。早速、アルバに電話をかけて修理を依頼しました。もちろん、20年以上前の時計の部品などメーカーは保管していません。法律で部品の保管をメーカーに義務づけられているのは7年です。
 
 電話してみると、担当の女性が「さすがに古いものなので、部品もありません。どうなるか分からないですが、それでもよければ承ります」とのことで、送ることにしました。
 
 送ってみてしばらくしてから電話がありました。担当の女性が「やはり部品がないと修理できないことが分かりました。電池を入れても反応がないのです」とのことで、がっかり、諦めました。
 
 分かってはいましたが、もしかしたら動くかもしれないという願いは叶いませんでした。この会社の対応は早く、送ってから5日ほどで連絡を頂きました。電話の声が「本当に申し訳ない」という感じが伝わってきて好感が持てました。「あの、お代は?」と聞いたら「今回は修理できなかったので結構です」とのこと。
 
 腕時計を集めているわけではないのですが、いつの間にか20個以上の数になりました。一つずつ時計が動かなくなると、その当時の思い出もなくなっていくようで寂しいものです。
 
 
 
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赤く、笑う

 最近、声を上げて、腹を抱えて笑ったのはいつだろうと考えた。なかなか思い出せなかったが、一つ思い出した。今年のいとこの結婚式で、バージンロードを歩く新婦の父が、新郎と向かい合わせになって一礼、その時に互いの頭がぶつかったのである。新婦の父の頭がバーコード状態だったこと、ニヤリと笑った新郎も拍車をかけた。
 
 確認しなければよかったのだが、隣に並んでいた妹と母も激しく肩を揺らしていた。妹は「ヒクッ」と殺した声を漏らしながら体が凄い早さで揺れていた。これで完全に笑いが止まらなくなった。「ヒクッ」といいながら、深呼吸をして息を整えようと思うのだが、この日はまずいことに寝ていなかった。つまりテンションが思いのほか高くなっていたのだ。賛美歌を歌うときになってようやく”公に”声が出すことができ、笑いも自然に収まった。
 
 ここまで苦しくなるくらい、笑うことが毎日あったら楽しいとは思うが、なかなかそうはいかない。東京都庁の人事で、自ら望んで4つ降格して「主任」になった男性の記事があった。キャリアを捨てた後悔の有無を聴くと「何より笑って話が出来るようになった」とのこと。
 
 動物で唯一笑うのは人間。でも、なかなか笑うことが出来なくなってしまった。小さいころは何故あんなに笑っていたのだろう。笑うということは人間にある花のことかもしれない。幼少期はヒマワリのように威勢よく遠慮もなく咲いていた。大人になると、水のタイミングや日当たりなど、花を咲かせるのに手間がかかるようだ。そして咲くか咲かせるかの違いが人によってあるようだ。であれば、他人の花を咲かせてみたい。
 
 いとこの披露宴で、最後に新郎新婦が会場出口で並んでいた。「さっきは面白かった」というと、「ありがとうございます。笑いのツボが同じようですね」と新郎。いとこの新婦には「○○ちゃん、おめでとう。大きくなったね・・しあわ・・」
 
 年を取るとなくなるようである。笑いのしまりも涙腺のしまりも。
 
 
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★ 【Re:社会部】都庁式スローライフ?(産経新聞・08/7/1)
 
 

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