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卒業の季節 あなたにとっての人生の転機とは

 寒い冬から春へと移っていく。春は卒業の季節でもあり、出会いの季節でもある。別れを惜しむような思い出も、同時に新しい門出を迎えることができて気分が一新されることもある。人生は何が転機になるか分からない。
 
 北京五輪競泳銅メダリストの宮下純一さん(26)は、「あの刑事さんの言葉で、スイミングを続けられた」という。中学1年の時に水泳の帰り道で高校生から恐喝にあった。「警察に言ったら学校まで行くぞ」と脅された。その後に弟ら家族と交番に行く。「怖くてふるえが止まらなかった」という。
 
 その後、地元の警察署少年課の刑事が現金を取り戻し、宮下さんに渡そうとした。しかし宮下さんは「犯人の握ったお金は怖くて握れない」と受け取らなかった。すると刑事は自分の財布からお金を取り出し「これなら持って帰れるね」と声をかけてくれた。身体の震えは止まり、安心して水泳を続けることができたという。その様子を横で見ていた宮下さんの弟は警察官を目指すことになり、昨年鹿児島県警の警察官になった。
 
 福岡県築上町の築上西高校上城井分校では、たった1人の卒業生である門田沙綾さん(18)が卒業した。卒業式では亀田俊隆校長が「一期一会を大切に、豊かな人生を歩んでください」と述べた。門田さんは「親身に接してくださった先生方に支えていただいた。これからもくじけることなく、前に進んでいきたい」と述べた。同校は門田さんの卒業をもって閉校した。
 
 愛知県豊根村の村立富山中学校では中井衿佐さん(15)の卒業式が開かれた。中井さん1人が卒業生だ。加藤弘文校長は「思い出を大切にする人は未来を大切にする人。そんな人になってください」と祝辞を述べ、中井さんは「先生方の教えを胸に、夢の実現に向かって進んでいきます」と誓った。
 
 振り返ると転機だったものが何か分かる。上記「1人卒業式」で、それぞれの校長先生は「一期一会を大切に」といい、「思い出を大切にする人は未来を大切にする人」と語った。そうした教えを守れる人というのは、何を転機にするのかを考える想像力がある人であり、未来を作ることができる人というのは、それがいつか思い出になることを知っている人なのである。
 
 
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★ 「刑事さんの言葉」に感謝 競泳五輪銅メダリストの宮下さん 鹿児島(時事通信・10/1/12)
★ 上城井分校60年の歴史に幕(読売新聞・10/3/7)
★ 「先生の教え胸に」1人だけの卒業式 愛知・豊根村(朝日新聞・10/3/6)
  
★ 余命半年の元校長 最後の授業 延地和子さん(本ブログ・
★ 別れの季節(本ブログ・08/3/30)
★ 贈る言葉(本ブログ・07/3/8)
★ 小さな親切(本ブログ・06/12/4)
★ 留学生を支えた善意(本ブログ・06/5/6)
★ 桜の年度末(本ブログ・06/3/27)
 
 

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ラジオ聴取率アップに中学生が貢献 ラジオの思い出

 
 ラジオを初めてまともに聴いたのが小学校6年生の時だった。当時読んでいた「学研の科学」の付録にラジオがあったのだ。ラジオといっても電源を必要としない簡素なもので、その構造はよく覚えていないが、何かにコイルをぐるぐる巻いて完成させるもの。緑色で細長いプラスティック製の完成品。その細長い物体の表面を上下にスライドさせることで”選局”ができる。付属のイヤホンをつけてみると「聞こえた!!」。
 
 夜な夜な聴いていた当時の番組は、山本雄二と春風亭小朝の「夜はともだち」(TBSラジオ)であった。
 
 ♪あなたはいまごろ〜 何してますか〜♪ 私は星を見つめています〜♪ 星と星との隙間の奥に♪
 ♪見えます 見えます 赤いバラ〜♪ そしてあなたが〜見つめています♪
  
というような竹内まりやによる主題歌で番組はスタートする。歌詞、うろ覚えですが結構覚えているものです。同番組内には「夜とも夢売りカンパニー」というコーナーがあり、すどうかづみと小堺一機が登場。ある日の内容は「街で流行っているものを見つけよう」といった内容で、すどうかづみが熊本の中学生に流行っていることを聞いていた。男子中学生は「うたるっざい(?)」という言葉が流行っていると言っており、意味は確か「面倒くさい」のようなものだったか。
 
 新しいラジカセを買ってもらってからは、谷村新司とばんばひろふみ出演、文化放送の「青春キャンパス」を聴くようになり、「天才・秀才・バカ」というコーナーでは、読者から送られてくるくだらないネタに爆笑した。(例:松崎しげる「歌うメラニン色素」、内山田洋とクールファイブ「若ボケの青年とその背後霊」←Wikipedia より引用)
 
 新しいラジカセは、それまであった古いものよりも高機能だった。それは「ステレオ」であるということ。それまでモノラル音声しか聞けなかったので、AMもFMも何だかよく分からなかったが、新ラジカセでは「サラウンド」のようなスイッチもついており、FM放送を聴くことが楽しくなった。
 
 ◆ ◆ ◆
 
 ラジオの面白いところは、テレビでは放送しづらいところをパーソナリティがベラベラしゃべるところにある。テレビと違って映り具合を気にすることがないのが手伝って、有名人の率直なコメントを聞くことができる。テレビにはほとんど出演しなくても、ラジオでパーソナリティをしているアーティストは多い。例えば山下達郎は音楽の解説のみならず、音楽機器についても言及することから、山下ファンではなくとも聴き応えのある内容だ。
 
 ここのところ、ラジオの聴取率が10代の若者を中心に右肩上がりなのだという。背景には、好きな音楽や有名人の情報をとことん追いかける若者気質が、ネットやテレビだけでは物足りなくなったということがあるようだ。そして生の声に触れることができる。もともとハガキや電話を通じてリスナーと1対1のコミュニケーションを取っていたラジオは双方向メディアとしての存在を確立してきた。それがいま新たに注目されてきているのだろう。
 
 ところで、パーソナリティがラジオ局の社員の場合は大変である。番組構成から取材に予算まで、何から何までを一人でこなすことも多い。かつて、旧ライブドアによるニッポン放送株取得騒ぎの時に、当時の社長に対して、「DJ上がりに経営の何が分かる」との批判があったが、上記理由によりそれはお門違いな考えである。
 
 ラジオ番組は音楽を流すことが多いことから、その著作権の問題もあり再放送されることはまれである。昔の放送に関しては残っていないことの方が多いようだ。
 
 ラジオを聴くようになった皆さん、ラジオはプレゼントが当たる可能性が高いです。ハガキやファックスなどで応募するときに「番組に対する感想」があればその熱い思いをたくさん書くと当たりやすいです。これはラジオ局に勤める社員の方が言っていたことなので間違いありません。実際に私、どうしても欲しかったそのCDに対する思いを書いてファックス送信、見事当選しました。
 
 そして大切な番組は録音して取っておいたら、きっと宝物になりますよ。
 
 
☆ 人々を退屈させるのは罪だ。何か大切なことを言いたいのなら、それをチョコレートにくるみなさい(ビリー・ワイルダー)
 
 
★ いのちの電話、相談員減少(本ブログ・07/6/13)
★ いただきます(本ブログ・06/1/23)
★ ラジオ女子、聴取率を牽引 中学生、テレビやネットじゃ物足りない?(産経新聞・10/1/2)
 
 

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有線の思い出

 95年に新橋のファーストフードに行ったとき、有線でかかっていた曲がどうしても気になり、 女性店員さんに「この曲何だか分かります?」 と聞いたけど、分かりませんでした。
 しかしその店員さん、有線に電話して調べてくれたみたいで、親切にメモして持ってきてくれました。
 その曲とは My little lover の「Hello again」なんですけど、この曲を聴くたびに「できるかな」のゴン太くんを思い出すんです。
 店員さんがゴン太くんに似てたから・・・。
 今は有線も簡単に調べられて便利ですね。
 最近はマクドナルドで聴いて気になった曲を調べました。
 もう、ゴン太くんは必要ありません。
 
 

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「すかいらーく」が間もなく消える・・

 ファミリーレストランの先駆け的存在であった「すかいらーく」が10月末で「ガスト」などへの転換を終了させることとなり、「すかいらーく」は四半世紀以上続いた歴史に幕を閉じる。
 
 1970年に「スカイラーク」は創業者である横川4兄弟が、東京都西東京市(当時の保谷町)に食料品を扱うスーパーを設立したのが始まり。場所がひばりが丘団地地区であったことから、英語でひばりを意味する「skylark」を店名に採用、第一号店を国立市に出店した。
 
 バブル崩壊後の低迷期には「ガスト」を出店させ、低価格路線、ドリンクバーなどの導入で客の呼び込みに成功したが、その後もすかいらーくは店舗をガスト等に転換して縮小していった。
 
 ガストは売上高が前年を上回る業績になっており、マイナスで推移している「デニーズ」「ロイヤルホスト」とは差をつけている。デニーズやロイヤルホストも閉店している店舗も多く、「食の多様化でファミレスの時代は終わった」という関係者の声も聞こえる。
 
 私が一番最初に親に連れて行ってもらったファミレスが「すかいらーく」であり、当時ひばりが丘団地の至近距離にある店舗だった。ここは24時間営業のゴルフの打ちっ放しがあり、父がそこでクラブを振るところを見て、そのあとにすかいらーくに行くのがお約束でもあり、楽しみだった。当時はファミレスという言葉も存在せず、単に「レストラン」であった。もっぱらお子様ランチとオレンジジュースが定番メニューであったが、考えてみるとお子様ランチを食べたのはあそこが最初で最後である。
 
 しかしそれも時代の流れ。昨年の食材とガソリン高騰で客足が減ったことも一因であったのだろう。一番の要因は客層の変化かもしれない。ファミリーレストランでありながら、家族で飲食をしている光景がほとんど見られなくなった。人が変われば消費の傾向も変わる。外食産業も客の動線を読む必要に迫られている。そして、新たな思い出作りの場所を提供してほしい。最近は没個性のお店が増えているような気がして少し寂しい。
 
 ドリンクバーのある店舗は確かに嬉しいのだが、少々落ち着かない感もある。そんな中で、落ち着いた雰囲気の中で食べることのできた、思い出の場所が無くなってしまうのは残念である。1つの思い出が、最終回を迎える気がした。
 
 
☆ 発明する方法は一つしかない。それは模倣することだ。正しく考える方法は一つしかない。それは古くからの、試練を経た、何らかの思想を継承することだ(エミール・アラン)
 
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★ 創業業態「すかいらーく」消滅へ 業界の注目が集まる次の嫁ぎ先(ダイヤモンド・オンライン・09/10/19)
 
 

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ノルウェー出身の3人組「a〜ha」が来年いっぱいで解散へ “Take On Me”がヒット

 80年代の洋楽ブームの中で、”Take On Me”や、”Hunting High And Low”などをヒットさせた、ノルウェー出身の3人組グループ「a-ha」(アーハ)が来年いっぱいで解散することが明らかになった。来年の12月4日、母国でのコンサートが最後のステージになる。今年11月25日、1日だけの来日公演が予定されている。
 
 82年にモートン(ボーカル)、ポール(ベース)、マグス(キーボード)の3人で結成。その後は渡英し84年に「Take On Me」をリリースするが、振るわなかった。85年にリアレンジされてからは世界的なヒットとなった。当時、彼らの母国である人口300万人のノルウェーでは「a〜haのレコードは、一家に一枚ある」とすら言われた。
 
 印象的なイントロで始まる同曲はPVでも注目を集めた。今では珍しくないが、アニメと実写を合成したPVが曲への注目を後押しした。その後は映画「007 リビング・デイライツ」の主題歌である「The Living Daylights」を担当した。
 
 3人は解散するが、個人としてソロ活動は続ける方針だ。
 
 洋楽にハマったのは彼らがきっかけだった。妹が最初に洋楽に夢中になったころ、「お兄ちゃん、モートンかっこいいでしょ!」と言うので面倒くさかったがテレビに目をやると、あの忘れられないイントロが始まった。こんな旋律もあるのか、そんな風に思ってからa〜haを初め、マイケルジャクソンやマドンナ、シンディーローパーなど多くのビッグネームに圧倒されることとなった。
 
 カラオケに行って「テイク・オン・ミー」を歌うと、イントロが出た瞬間に「あっ!懐かしい!」と言ってもらえるのは良いのだが、最後の最後であのファルセット(裏声)の高音が出せずに悶えることになる。
 
 当時、洋楽番組が多かったこともあり、彼らはいろいろな番組に出演した。ある番組でボーカルのモートンはこう言っていた。それは最初のワールドツアーを振り返ったときに、「日本が一番最高だった。何の準備もしていないのに、ファンのみんなは温かく迎えてくれた」。それは洋楽番組の情報が先行していたため、彼らが日本で人気を得ることは当然のことであったのだ。そんな彼らも来年でデビューから四半世紀を迎える。
 
 かつてグラミー賞の中では口パクではなく、実際にステージで歌った彼ら。メンバー全員、黒のタキシードを着ていて、すっごくすっごく、かっこよかった!!
 
  
☆ 音楽だけが世界語であって、翻訳される必要がない。そこでは魂が魂に話しかける(アウエルバッハ)
 


 
★ ポップグループ「a−ha」、世界ツアー後に解散へ(ロイター・09/10/16)
★ a-ha official site
 
 
 

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東京03「キングオブコント2009」で日本一に カクターマンとの思い出

 
 かつて「プラスドライバー」に所属、のちに「東京03」を結成したメンバーの1人、角田晃広。彼の演じるコントを見ていると「逆ギレ系」がよく指摘されている。角田君の人柄そのままが延長線上になっている気がする。
 
 かつて同じバイト先であった彼は特に面白いということもないが、さりげなく突っ込むセリフが思わず笑ってしまうようなものであった。逆ギレ系を彷彿させるのは酒を飲んだ席だ。声が大きくなり、それは現在コントでも見られるような突っ込みや攻撃の類をバイト仲間に容赦なく浴びせた。それが酔っていてのことなのか、宴の席だからなのかがよく分からない。
 
 かつて早朝に旅行に行くという彼を羽田空港まで送っていったことがある。「そんな早い時間にいいですよ」と遠慮していたが、早朝じゃタクシーも捕まらないであろうということで、送っていった。羽田空港を通るとき、当時旧駐車場跡地に取り残されていた鳥居の話をした。「あの鳥居は前から移設の話が出ていたが、工事しようとすると関係者が原因不明の高熱になったりする”たたり”がある」と何気なく話していたら、「勘弁してくださいよ〜」と怯えていた。私は「あ、こういう話、だめなんだ。ごめんごめん」と返した。怖い話、苦手なのか。ちなみにその鳥居は現在、無事に空港敷地内のはじのほうに移設されている。
 
 バイト先で、あるドラマをこっそり見せた。私は先に見ていて号泣したのだが、角田君にも見せた。ドラマの”サビ”にさしかかる前にCMとなった。私は「トイレに行くなら今だよ」という。そして”サビ”が始まった。終わった後に彼がゆっくり私のほうへ振り向いた。両目から直線の涙がつたっていた。
 
 彼は義理人情に厚いといえる。感受性が強いからコントという表現もなんなくこなせるのであろう。ついでに彼は絵も上手かった。コントで出てくるブルースハープやギターも上手い。声がでかいのは何でであろう。いずれにせよ芸能人というのは、そうした感性と密接に関連があると思う。
 
 近年、彼にメールを送っても返信がなかった。ちょっと有名になったからって冷たいやつだ、と思っていた。そして今日もめげずに「おめでとう」送ったら「ありがとうございます!」と返信があった。ちょっと有名じゃなくて、かなり有名になったんだな、カクターマン。
 
 ちなみに「カクターマン」というのは、同じバイト先の女の子が独自に呼んでいた角田君への呼称である。
 
★ 東京03、お笑いブームに”逆行”したスタンスでコント日本一を奪取!(オリコン・09/9/23)
 
 
 

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掃除のアルバイトはプライドを捨てる?

 大学在学中に早朝掃除のバイトをしようとしたことがある。規模はそこそこ大きい会社であった。
 
 面接に行くと、年配の男性が履歴書を見ながら言った。
 「うーん、大学に行って、あー、パソコンとかやってるのね。うーん」
 何か不満なのかと思っていると、
 「大学とか行って、パソコンとかやって、でもこういうバイトをするからには、そういうプライドを捨てなきゃいけない」
 
(はっ?!)
 
 「英語とかすきなんでしょう?こういう仕事はね、そういうプライドを捨ててかからないと・・・」
 
 聞いていて我慢できずに遮った。
 
 「いや、それは違いますよ。大学は大学、勉強は勉強、仕事は仕事ですよ。体動かすことがしたかったので」
 
というと、
 
 「ああ、そうかい?」
 
と何となく納得してくれたようだったが、このおじさんはそんなにこの仕事にプライドがないのであろうか。
 
 そもそも、掃除の仕事というのは地味ではあるが、必要な仕事である。
 
 家の周りがきれいなのは、近所のかたが朝掃除してくれるから。会社や大学の建物がきれいなのは、掃除業者の方がきちんと毎日掃除してくれるから。街がきれいなのは、お店や事務所のかたが向こう三軒両隣をきれいに掃いてくれるから。車道がきれいなのは、夜間に清掃作業車が水をまいてきれいにブラシをかけてくれているから。トイレがきれいなのも、毎日掃除してくれる目立たない存在がいるから。
 
 トイレって掃除したことありますか。一日掃除を怠っただけでかなり汚くなる。尿石がこびりつきますから。
 
 男女のトイレ、男のほうが汚い感じもしますが、女性のほうも結構汚い。更衣室も同様。男のほうは何だか知らないけど臭う。女性のほうは臭いはないが、髪の毛や服のほこりが大量に落ちていて、お世辞にもきれいとはいえない。
 
 化粧室という名の場所できれいになった人の後始末をしているのは、目立たない人たちなのだ。
 
 世の中には誰かがやらなきゃいけない仕事というのが必ずある。早朝掃除の仕事は結局時間が折り合わずにだめになったが、あの時あのオジさんに言ってほしかったな。
 
「この仕事は社会貢献のひとつです。ぜひ誇りを持ってやっていただきたい」と。
 
 
☆ 自分を低く評価している人を高く評価する人はいない。(Anthony Trollope)
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美的感覚を磨くとはどういうことだろう

 習っているジャズダンスの先生の先生という人に質問をしたことがある。「ダンスをきれいに見せるためにはどんな努力をすればいいですか」という問いに対し、「きれいなものを見ること」だと教えてくれた。そこから先は自身のイメージトレーニングも必要になるだろう。
 
 プロのメイクさんにも同じ質問をしたことがある。すると同じ答えが返ってきて「美術館へ行ったり」という部分は前述の先生と同じキーワードがヒットした。さらにはファッション雑誌に写るモデルさんを見ることもあるが「同業者の仕事はあまり参考にならない」とのことだった。ちなみにスチル撮影の場合は化粧を濃くする傾向があり、ムービーの場合はナチュラルメイクにする傾向があるという。もちろん雑誌や番組のコンセプトによって色々あるだろう。
 
 さらにはプロのカメラマンにも話を聞いた。「デジカメ全盛の今ですが、何を撮ればいいか分からなくて」というと、そのかたは「きれいな写真をたくさん見ることです」という。理由は「音楽聴いたことのない人に楽器を渡しても作曲はできないのと同じで、写真を多く見ない人にいい写真は撮れません」とのことだった。大いに納得した。
 
 ド素人なので、綺麗な花のようにいい被写体があればいい写真になると思っていた。しかしそれはいい写真かどうかとは別問題で、きれいなものが写っている写真というだけだ。カメラマンさんの言うことに納得したのは音楽云々だけが理由ではない。
 
 昔から映像が好きで、みんながスチルカメラを持っているときにでもビデオカメラを回した。その時にいつも気にしていたのは、アングル(角度)だとか被写体に対する距離感でありタイミングだった。電動ズームは近づきかたが不自然なので可能な限り使わない。なぜスチルカメラやデジカメではなく、ムービーに興味を持ちだしたのか考えてみると、それは中学1年生の時に遡る。
 
 父親を説得して我が家にビデオデッキがやってきたのがその時だった。それからは片っ端からタイマー録画。好きなドラマは文字通りテープがすり切れるまで何度も見た。何度も同じ映像を見ているうちに、ドラマであれば俳優の表情、セリフの言い方、歌手であればのど仏が動くところや視線が向いているところ、衣装、そして光の当たりかた等々に目が行くようになった。
 
 何がいい映像でいい写真か、正確に言えば、何が自分の好きな被写体かが分かるようになってきた。つまり美的感覚を磨くということは、自分が好きな美しさを知ることであろう。先に述べたように、レンズの向こうに立っているきれいな人を撮ることがいい作品ではないのだ。そして何に美しさを感じるかは人によって違う。その感じ方が確立されればそれが個性となり、他の人には真似のできない美しさを表現できることだろう。
 
 こうしたような文を毎日ここで書いているが、ではよい文章とは、美しい文章とはどうしたら書けるのでしょう。
 
 
☆ 画家のパレットなど何の意味もない。すべては眼で決まる。(ルノワール)
 
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