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「おい、チー坊」「うすぎたねぇシンデレラ」 石立鉄男さん死去

 俳優の石立鉄男さんは「俳優は夢を売る仕事だから、素顔は見せない」とコメントしていた。だから取材の類も一切受けなかった。記者が撮影所に押しかけて質問をしようとしたところ、「取材は受けないといっているだろう」とすごみをきかせた。
 
 飲みに行ったとき、北の富士が女性と酒を飲んでいた。それを見た石立さんは、「そんなちゃらちゃらしているから勝てないんだ」などとかなりぼろぼろに北の富士を批判した。しかし北の富士は反論することなく涙堪えてじっと耐えていた。石立さんはその姿に感心して友人になった。
 
 親友の北の富士の引退をかけた相撲をドラマの撮影を中断して観る。負けたことが分かると、スタジオから消えた。鈴木ヒロミツが探しにいくと、階段の陰で男泣きをしていた。
 
 アドリブが得意であった石立氏の台本には「あとは、てっちゃんよろしく」と書かれていた。そうした伝説が数多く残されている。
 
 「奥様は18歳」「パパと呼ばないで」「天まであがれ」「赤い激流」「噂の刑事・トミーとマツ」「スチュワーデス物語」「少女に何が起こったか」など、枚挙にいとまがないほどの作品に登場、そのアフロヘアや独特の口調を視聴者に印象づけた。
 
 石立さんは1日朝、熱海市の自宅で倒れているところを発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。享年64歳である。現役引退するにはまだまだ早い年齢である。
 
 俳優の「俳」は、人にあらずと書く。だから「素顔は見せない」を貫き通したのかも知れない。そして俳優の「優」は、義理人情に厚い石立さんの人柄を象徴していた。
 
 
☆ 「世の中のやつがあいつを信じなくても、俺はあいつを信じる。友達だからな」(相模管理官=石立鉄男「噂の刑事・トミーとマツ」)
 
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★ 訃報:俳優の石立鉄男さん、64歳(毎日新聞・07/6/1)
★ 鉄王☆石立鉄男 オフィシャルウエブサイト(本エントリの一部はこちらから引用しました)
 
 
 
 

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命と一緒に

 祖母が亡くなったのは先月。人の死に顔を見るのは4度目になる。
 
 感じたことがある。人というのは魂が抜けてしまうと、ろう人形のような状態で、ただのモノになってしまうということだ。
 
 目の前には祖母の顔があったが、生きていた頃の祖母ではない。似たような人形があるだけで、本当に過去の人として存在してるだけであった。
 
 人というのは、魂が入っているのとそうでないのでは、全く違うものなのだ。だから感じる。喜怒哀楽を共有できる仲間がいて、その彼らと面と向かって話をしているのは、実は非常にに凄いことなのだ。
 
 生きるということは、命と体当たりしていることだ。
 
 君も、あなたも、ユーも、あんたも、おまえも、きさまも、
 
 実に素晴らしい存在。
 
 
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その他

どれにしようかな

 
 幼い頃、二つのものを選ぶときに、
 
「どれにしようかな、天の神様の言うとおり・・」
 
と言ったことがあるかと思いますが、その後はどう続きますか?
 
私は「玉手箱、サクランボ!」でした。
 
ちなみに東京出身です。
 
 
 
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★ 「神様の言うとおり」の後は?(「発言小町」読売新聞・05/8/11)
 
 
 

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公衆電話が消える

 東京・渋谷でかつて「電話ボックス殺人」というのがあった。ボックス内の人の長電話に腹を立てた男が電話中の人を刺殺するというものだった。犯人は逮捕された。
 
 こうした状況も今や昔なのかもしれない。携帯電話の所有が当然になっている現在、公衆電話に列を作る画は見ることが無くなった。その代わり、携帯電話が個人の電話ボックス状態になり、個の空間を持ち歩けるようになり、電車内などでの新たなトラブルの種にもなっている。
 
 災害時には携帯電話はかかりにくくなる。同時に、優先的にかかるのが公衆電話だ。NTT東西によれば、ここ10年で公衆電話は40万台を割り込み半減した。採算が取れなくなっているのだ。
 
 緊急時にする110・119番もほとんど携帯電話からされることが多くなった。しかし、都内からかけているつもりでも都県境などからかけた場合、近くにある基地局の関係で警視庁ではなく県警にかかることもある
 
 公衆電話であれば位置の特定が用意であり、電話の上には住所が必ず書いてある。日常の行動範囲のどこに公衆電話があるのか、非常時のために知っておく必要がありそうだ。
 
 電話ボックスが無くなれば、ドラえもんの「もしもボックス」は古くさくなるし、スーパーマンも変身する場所が無くなる。減少していくのは時代の流れでもありしかたがないが、雑踏にいながらも周りに気を使わずにプライベートな話をできたのは、電話ボックスという空間だったことが懐かしい。 
 
 
☆ もし、あなたが死を前にして、あと一本しか電話がかけられないとしたら誰にかけますか?どんな話をしますか?さあ、今すぐ電話をかけてみてはどうですか?(スティーヴン・レヴィ―ン)
 
 
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★ 消える公衆電話(産経新聞・07/2/20)
 
 

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贈る言葉

 1年間だけ在籍していた小学校3年生の春。都内の小学校に転校が決まっていた私に男の担任の先生が声をかけてくれた。「せっかくみんなと慣れたんだし、転校が嫌なら俺の家に一緒に住むか」。
 
 この先生は普段からビンタを食らわすおっかない先生で、今なら体罰教師となっていたかもしれない。そんな先生からの温かい言葉だった。
 
 若気の至りで高校を中退し、1年後に成績証明書をもらうべく学校に行ったとき「ずっとあなたのことが気になっていたのよ」と机の引き出しからすぐに成績表を出してくれた担任だった女性の先生。
 
 人と人をつなぐのは言葉だ。その言葉が重みを持つのは互いの信頼関係が合ってからこそ。うわべだけの言葉では絶対に構築されない。そして、忙しく流れていく日常では、お互い言葉をかける事すら難しい。
 
 卒業は人生の1つの節目であり、終わりではない。それを分かっていても、別れの時期は寂しいものである。卒業シーズンに先生は何を語り、児童や生徒、学生は何を思うのだろう。どんな言葉を感じることができるだろう。
 
 
☆ 小説家を目指す者がいたら、うたえ、生きることの素晴らしさを。教師を目指す者がいるのなら、まず生徒を信じることです。そうすれば必ず生徒はついてきます。(3年B組金八先生)
 
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★ 卒業式、先生が言った胸に残る感動的な言葉(オリコン・07/3/8)
★ 夕張高校、59人が卒業 地元に残るのは7人だけ(朝日新聞・07/3/1)
★ 惜別(本ブログ・04/9/26)
 
 

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楕円形の幼稚園舎 東京

 幼稚園に通っていた頃、楽しかったのはやっぱり外で遊ぶこと。おにごっこ、かくれんぼ、缶蹴り、シーソーにジャングルジム。自由時間は重要なカリキュラムだ。どろんこまみれになって砂場で遊び、転んでケガをして泣く。感情のおもむくところを余すことなく発揮できる才能は子供たちに備わっている。
 
 東京・立川市に楕円形の幼稚園舎が完成した。屋上は一周180メートルほどあり、追いかけっこは「果てしない」のだという。何とも羨ましい園舎だ。いくら走っても逃げることができ、また追いつくこともできる。でもまた走り出せる。
 
 円というのは、絵を描く人に言わせれば一番難しい作業なのだという。確かに筆を持ってみると、きれいな円を描くのは難しい。この園舎で育つ子供たちはきっと、円を走り回ることによって、そんな感性のかけらをつかむかもしれない。
 
 そして、何周してもいつも楽しい友達同士、そんな思い出が将来、まあるい星にいる人たちというのは常に一緒であることを実感することだろう。
 
 
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★ 果てなく育て! 楕円形の幼稚園舎が登場…東京・立川(読売新聞・07/2/7)
 
 

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うつ病は必ず治ります

 
 心の病気を患う人が増えている。いわゆる平成バブルの頃、個人の仕事量は無理がない。ところが、近年では一人が抱える仕事量が体力の許容を超えている現実がある。
 
 原因は仕事のみならず、失恋、離婚、死別などの喪失体験が引き起こすこともある。転職、リストラ、栄転、出産、引っ越しという環境の変化が原因になることもある。誰にでも起こりえる病気となっている。
 
 うつ病にはさまざまは症状が現れる。抑鬱感、興味・関心の欠如、記憶力・思考能力の低下、倦怠感、食欲低下、便秘、めまい、不眠、焦り、口喝感などである。
 
 最初に襲ってきた症状が集中力の低下。しかし、それくらいのことは通常よくあり得ることだ。気にはしない。そのうち激しい物忘れ、体が重くなる、そして食欲の低下だ。
 
 うつ病との生活が始まる。朝は天気がよくても心が晴れない。むしろ、雨の日のほうが落ち着ける。気分の落ち込みが激しいので、必然的に外出は控えるようになる。
 
 買い物や犬の散歩は気の向いたときにだけするようにする。気分が優れないときは迷うことなく横になる。興味関心が無くなっていた時期は、テレビも新聞もインターネットも面白く感じることができずに、生き地獄のような1日。
 
 治ることを信じ、処方された薬は食後と就寝前に服用。快適な睡眠は望めない。2時間程度で目が覚める。今まで見たこともない気味悪い夢ばかり見る。1日に飲んでいた薬の量は多いときで29錠。
 
 転機はアテネ五輪。何もせずに一日中テレビを見てゴロゴロ過ごすことを決意。
そんなある日、いつものように寝る前の睡眠薬を飲もうとすると、眠気が襲う。あくびも出る。眠剤なしで眠ると、実に7時間ぐっすりと眠ることになる。
 
1. まとまった静養を取ること。
2. 薬は必ず飲むこと。
3. 風邪をひいたことで自分を責める人がいないように、うつ病という病気になっているのですから、自分を責める必要は全くありません。
 
 心の病気で苦しんでいる患者さんと、そうした患者さんの近くにいるかたたちへ。
  
  
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★ 職場で広がるうつ病(読売新聞九州版)
★ 新潟中越地震:発生2年 2次的精神疾患が増加 長岡、小千谷で40~50人 /新潟(毎日新聞・06/10/24)
★ 仕事ストレスと心の病の仕組みを知る(インテリジェンスの業界レポート)
★ リラックスビズ(本ブログ・05/7/9)
 
 
 

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子供の頃の思い出

 小学校のときのお話し。厳しく優しく接してくれた先生たちがたくさんいました。
「小学校二年生にしてはきれいな絵を描く」「造りは雑だがアイディアはいい」と褒めてくれた図画の先生。マイムマイムを学年で踊ったとき、「Nonoを見習いなさい」と手を引いて褒めてくれた先生。
 
 怖かった先生。給食を食べるのが遅かったので、わざと残すと平手打ちをした担任の先生。泣きながら食べました。みんなが食べ終わった後に残って食べていた時、最後に食べたプリンだけは美味しかった。
 
 残すのは悪いこと、残さなければプリンは美味しかったこと。
 
 放課後は、三日でやめたお絵かき教室、半年続いたスイミング、二年半通ったおかげで算数の時間はヒーローになった公文式。幼い頃に習ったといえばこれくらい。長く続いたことがなく、飽きっぽかったのです。
 
 良いことも悪いことも満足に分からないから、幼い心は常に興味とナゾに包まれているものです。学校の中の不思議と放課後の関心。それに対して惜しむことなくお金を出してくれた両親には感謝の気持ちで一杯なんです。
 
 
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★ 給食費払わぬ親たち お金あっても「頼んだ覚えない」(産経新聞・06/10/1)
★ いただきます(本ブログ・06/1/23)
★ 惜別(本ブログ・04/9/26)
 

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