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なみだくん、こんにちは

 
 最近「涙活(るいかつ)」というのが話題である。悲しい体験などを語り涙を流すことで、ストレスの軽減につなげるのだという。確かに感動する映画などを見ると涙を流してすっきりすることができる。笑うことに加えて泣くことも心身を健全に保つ秘訣である。 
 
 加えて人をハグすることもストレスを軽減させる効果があるということで、ハグしながら微笑んだり、泣いたりすることは身体と心にいいことなのは間違いない。
 感動的な映画や音楽、そしてお話があれば共有したい。そうした時間を分かち合うことで人間力がアップする。
 
 人間の歴史は戦いの歴史でもあった。現在もこの世から争いが絶えることはない。しかし、抱きしめることのできる生命体がもしあるのならば、その人は永遠に平和でいられるはず。その人が平和でいるのならば、その隣にいる人も平和を模倣したくなる。我々が戦うべきは、こうした瞬間の積み重ねをするために、相手を傷を負わせない小さな戦いをすることであり、抱擁するかもしれない相手を積極的に失うことではない。
 
 外国語を勉強していると気づくことがある。第一に、他国の知らない人と話をすることができるということ。もう一つは、外国語を知らなくても、必要ないと感じる場面に遭遇することもあるということだ。愛に満ちあふれた、魂と魂のぶつかり合いというのは本当に美しい。
 
 
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★ 「笑う」よりも効果的!「泣く」ことで得られる5つの効果(nanapi・2014/3/28)・
★ 幸福ホルモンが分泌!ハグするだけの欧米流ストレスケア(MY LOHAS・2013/3/14)
 

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介護のお話

 知人の話。
 今までは介護といえば、「食事補助」、「入浴」、「排泄」のいわゆる「三大介護」が誰でもできる介護として認知されてきた。これは主に家族が行っていたが、家族が核家族となり、サザエさんからドラえもんのような家が増えてきたことにより事情が変わってきた。
 
 昔は行政が介護についての流れを導いていたため、本人及び、家族の選択肢がなかった。2000年に介護保険が登場。現在ではケアマネージャーがいて、本人や家族の選択により介護サービスを選べるようになった。
 
 現在の問題点といえば、人手不足、介護職員の教育の不徹底、社会的認知度の低さに起因する低賃金、それによる利用者が享受するサービスの質の低下、行政の周知不足による、問題を抱えた世帯がサービスに届かないこと(利用できることを知らない)などがある。
 
 介護保険で利用できるサービスは以下のようなものがある。
 
・デイサービス(施設に行ってサービスを利用し夕方に帰宅)
・特別養護老人施設(医療スタッフがいて長期入所可能)
・ショートステイ(短期利用者)
・訪問介護
・訪問リハビリテーション
・福祉用具のレンタル
・住宅の改修(手すりやバリアフリーのための工事)
 
 資金に余裕のある利用者には、民間が運営する有料養護老人ホームなどがある。
 
 今の介護は自立支援、すなわち、できないことをしてもらうのではなく、できることを見つけて生活の質(QOL=Quolity Of Life)の向上を目指す。そして、利用者の尊厳を維持することを重要視する。その人らしい生活へと導くことは、その人の生い立ちから現在の生活環境を理解することにあり、最後までその人らしい生き方を支援する。それが現在の介護である、とのことだ。
 
 知人は言った。「こうした理念に基づいて運営されている事業所で働ける私は恵まれている。給料は安いけどね」と。なるほど、そこで働いている人が恵まれていれば、おのずと利用者も恵まれることになるであろう。
 
 
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ピントボケして写る人の世

 先月の記事になるが、大阪の生活保護受給者らが国らを相手取り、生活費切り下げの取り消しなどを求める行政訴訟を準備しているという。受給者は「弱者の切り捨てだ」と声を上げている。「憲法で保障された最低限度の生活を侵害された」と主張するつもりであるという。
 
 医療保険も75歳以上の高齢者に保険料を軽減している措置について原則的に廃止する医療保険改革を厚労省が考えている。さらに東京新聞によれば、昨年11月の非正規労働者は2012万人であるという。
 
 収入の少ない人には生きづらい社会になってしまっている。景気回復が実感できない中で、弱者の切り捨てと言われても仕方のないことであろう。これでは何のために働き生きていくのか実感できない人たちが多くなる。というよりも、実感している余裕すらなくなる危惧である。
 
 日本国憲法第二十五条には、「全ての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。まるで25条は形骸化したザル法のようにしか読み取れない。国民が幸せを実感できるような政策が急務であるが、政治と国民の間にある需要と供給が一致していない状況はまだまだ続いているがそれでいいのか。 
 
 ネオンがきれいだった街中にスマートフォンのカメラのレンズを向ける。輝くネオンにピントを合わせると、背後を通る人たちへのピントがぼける。生きている実態がぼやけているようで何とも言えない気分になったのである。
 
 
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★ 民意どこへ:2014衆院選 生活保護、なぜ切り下げ 食費1日800円、入浴週1回 受給者、取り消し求め提訴へ(毎日新聞・14/12/5)
★  雇用安定の要求切実 非正規2000万人「正社員と溝」(東京新聞・14/12/27)
 
 
 

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言葉のリサイクル

新年の勉強

 
 2014年11月下旬にインドを観光で訪れた日本人女性が、現地の男数人に性的暴行を受けたうえ、現金を奪われる事件が起きた。現地警察は男5人を逮捕した。インドでは性的犯罪に対する厳罰化が叫ばれているが、事件の発生がなくなることはない。
 
 性犯罪に限ったことではないが、例えば、人を殺せば死刑になりますよ、といっても殺人事件が減ることはない。やってはいけないことを知っているはずなのに、なぜ事件は減らないのであろうか。
 
 事件の態様によっては情状酌量の余地もあるのだろうが、いずれにしても事件の被害者には心身共に傷として残り、その人生までもが奪われてしまうのである。
 
 法令がどんなに人の生活を縛り付けようと、人の暴走は止まることはない。性犯罪に限って言えば、男性なら誰でも魅力的な女性にあこがれる。ついつい、見とれてしまうが、通常はそこで終わる。そこから腕を引っ張って事件を起こそうとは考えないのが普通の人の考え方である。
 
 昨年も悲しい出来事が日本国内外で発生した。我々が学ばなければならないのは、理性である。人は理性を失えば、野生の猛獣と何ら変わりはない。この理性の勉強を毎日意識すべきである。
 
 人を敬い、憧れ、好きになることがあれば、その人の腕をつかむのではなく、相手を見つめて語りかけることから始めたい。それは挨拶から始まり、他愛のない会話へ進み、相手の動向を探ることになる。本当に愛する人であると悟ったとき、その後の展開は自然に進むはずである。
 
 言葉の使い方一つで人との関わり合いは変わってくる。本年も本ブログは言葉を選びつつ、読者の方に投げかけていきたい。初詣に行っておみくじを買ったが小吉だった。吉があるだけ幸運である。それは今年を占うばかりではなく、自分の新たな決意を決める聖なる考え方でいたい。
 
 本年も「言葉のリサイクル」をよろしくおねがいいたします。皆様にとって、よい一年になることをお祈り申し上げます。
  
 
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窃盗は犯罪。本当の反省をしたひと

 
 窃盗罪は10年以下の懲役または50万円以下の罰金と定められている犯罪だ。他人の所有物を盗み取る行為を本ブログではこれまでも断罪してきた。盗みは人が苦労して手に入れたものを一瞬にして奪う行為であり許しがたい。
 
 28日、大阪府和泉市のバイク店に20年前の窃盗を詫びる手紙と現金が届いていたことが分かった。バイク店代表によると、20年あまり前に府内にあった店舗では窃盗事件が相次ぎ、数百万円するバイクが5台盗まれたこともあった。
 

 25日に現金書留で届いた手紙には、約20年前にヘルメットと中古タンクを盗んだという記述があり「若気の好奇心で、計画的な盗み目的ではありませんでした」と反省の言葉が書かれていた。
 
 代表は「昔は悪いことをしても、今は立派な内容の手紙を送れるぐらい社会的にも精神的にも安定しているのだろう。世知辛い世の中で、こんなことができる気持ちを知ってもらいたい」とハンカチで涙をぬぐいながら話す。

 
 「元犯罪者」が分別のつく大人になり、過去を反省する余裕ができているところが良い。刑事事件としては時効であるものの、窃盗に手を染めた痛みという部分に時効はなかった。これで手紙の差出人も罪を償ったことになるだろう。
 
 やはり人間、心にわだかまりを残したまま生活するのは嫌である。世の中は「いいね!」といいたくなるほど、よい人たちだけで満ちていれば争いは起きず、そして他人を悲しませることもないのである。今日は誰も悲しませることをしなかった、そんな一日だった。
 
 
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★ 被害額「3銭」 駅コンセントで携帯充電の女性摘発(本ブログ・08/9/10)
★ 万引き親子に裁判官が苦言「いい加減、これっきりに」(本ブログ・06/6/30)
★ クリスマス、20年前の窃盗わびる手紙がバイク店に(産経新聞・14/12/28) 
 
 

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事件事故被害者の傷が癒える日は来ないのだろうか

 交通事故の被害者の女性(30)はねたきりであり、両親がその介護をする。しかし両親が先立ったら誰が娘の面倒を見るのか不安であるという。女性は反応を示さないが、親御さん曰く、「分かってくれている気がする」という。
 
 昭和55年に東京・西新宿のバスターミナルで発生した「新宿バス放火事件」の被害者である女性が先日亡くなった。被害後は兄との断絶、好奇な目などに苦しむも、その体験を執筆しノンフィクションライターとして活躍した。犯人の男は無期懲役となったが刑務所で自殺した。
 
 こうしたこと以外にも、地下鉄サリン事件、松本サリン事件、通り魔事件、そして小さなニュースとしてしか扱われない交通事故やストーカー被害者がいる。何の落ち度もない人たちが、犯罪被害者として生きていかなくてはならないのはあまりに酷である。
 
 日本国憲法25条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と記されているしかし、日本社会では果たしてこの明文化された法を前に立ちすくんでいるだけではないだろうか。
 
 法律は社会の味方である。それが社会を円滑にする一つの指針となっている。そして正義の味方は法令や条約ではない。人と人との繋がりを守る、約束を履行できる、一個人だけがそれをなし得るのである。
 
 些細なことでも、一人のために正義の味方でいられた一日であったか、毎日検証すべきである。
 
 
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死ぬ権利を実行した女性、息を引き取る 米国・オレゴン州

 
 
 末期の脳腫瘍のため激しい痛みに晒されていた女性が自ら尊厳死を選んだ。29歳。
 
 米国・オレゴン州のブリタニー・メイナードさんは、今年の1月に末期の脳腫瘍と診断され、尊厳死を選択できるオレゴン州に移り住んだ。尊厳死支援団体がブリタニーさんについて動画投稿サイトに動画を発表したところ、大きな反響があったという。
 
 「私は尊厳を持った死を選択し、今日がその日です。世界は美しく、旅は多くのことを教えてくれ、親友や仲間たちは多くのものを与えてくれた。さようなら」などとソーシャルメディアに投稿した。
 ブリタニーさんは、医師から処方された薬物を自ら投与し、家族に看取られて息を引き取った。
 
 国内外で議論を呼んだ。アメリカUSA TODAY紙では反対意見として、

「脳のガンで亡くなることはとても怖いことだが、伝統的なカトリックの家で育った人間としては自殺は受け入れられない」(”Brain cancer is a horrific way to die but, being raised traditional Catholic, suicide still a no-no.)

というコメントがあった。
 
 彼女の行為は自殺か。自然死以外は事故死か自殺である。彼女の行為が宿命づけられていたのだとしたら、それは自然死になりうるかもしれない。
 
 病気の苦しみはなった者にしか分からない。死の選択もそれをなした者にしか分からない。人の宿命とは闇である。いずれ誰もが死を迎える。その死に際して、国内外から議論が起こる尊厳というものを彼女は手に入れた。尊厳もなく死に至る人もいるというのに、である。
 
 
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★ Brittany Maynard, right-to-die advocate, ends her life(USA TODAY・14/11/2)
★ 脳腫瘍女性が「尊厳死」実行 ネットで宣言、議論呼ぶ 米(時事通信・14/11/3)
 
 
 
 

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あきらめの美学

 
 若者が草食系なのはお金がないからだという。確かに右肩下がりで収入が減っている若者たちが多いようだ。不況の影響で仕送りが減らされ、かつては出席に関してゆるかった大学も厳しくなり、時間をやりくりする中でアルバイトをしなければ生活が苦しいのだ。
 
 そんな状況下なのであまりバイトを選んでいられない。牛丼チェーン店が「ブラック」であろうと仕方なく働くしかないのである。このチェーン店を調べていた市民団体によると、7都道府県の83店舗のうち2店舗で深夜の1人勤務である「ワンオペレーション」をしていたという。しかし運営会社は否定している。

 こうした過酷な労働を、中京大学の大内裕和教授(教育社会学)は「ブラックバイト」と呼ぶ。「いまの若者たちは、厳しい経済状況の中で育ってきた。ワンオペのような働き方も当然のことのように受け入れてしまう。一種の洗脳だ」と指摘する。
 
 有効求人倍率は上がってきているが、中心はパートなど非正規雇用の求人。正社員の需要は依然、低迷している。大内教授は「すき家の問題は氷山の一角。こんな厳しい労働環境で、若い人たちが結婚して子どもを産もうという考えになるわけがない。抜本的な対策が必要だ」と話す。

 こうした意見の中、「戦後の貧困時代を思い出せ」という考え方もあるようだ。しかし時代背景が違うことに加え、全く何も無い状態で作り上げていくのと、いま周りが「ある」状況の中から物事を作り出していくのは違う。全てがそろっている世間の中で、草食系だけが「ない」状況に置かれているのである。
 
 そして草食系は若者だけとは限らない。制約されている中で、手を出せずにいる生活を強いられている人は少なくないだろう。景気が上向きと言われているが、体感的な好景気を感じることができていない声というのは世論調査などからでも明らかだ。
 
 では、人がこの状況を打破するにはどうすればよいのか。何はともあれ、それでも人は動き続けることである。自分が動けば周りの環境が変わる、周りの環境が変われば世の中が変わる、世の中が変われば、その変化は海を越えて世界に広がるに違いないからである。じっとしていて変わる変化は変化ではない。
 
 創意工夫も大切である。今の子供が鉛筆をナイフで削れるかどうかに興味はないが、時にはナイフで鉛筆を削るのもいい。いつもと違った視点を持ったら、その方向に体を動かす。体を動かした方向には、人や場所という新たな出会いがある。
 
 大切なことは、自分にとって大事な過去を捨てずに新しい空間に飛び込んでいくことである。それは、大切な自分を変えずに世の中の変化にのる有効な手段である。
 
 
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★ すき家「2店でまだワンオペ」市民団体が調査 会社側は否定(withnews・14/10/15)
 

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