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夢を語ることのできる瞬間

 マーチン・ルーサー・キング牧師の演説50年記念式典があり、オバマ大統領が演説をした。「50年前に示した共感と同志愛、良心の連帯の残り火にもう一度灯をともそう」などと訴えた。
 
 1963年8月28日、34歳だった黒人牧師は「私には夢がある。私の四人の子供がいつしか、肌の色ではなく、性格によって判断される国に住むということだ」と述べた。
  
 人は何かを夢見るとき、最初に自分の置かれている現状を考える。現実に満足していなければ、明日からへの一歩として、その瞬発力となり得る夢を見る。その時に自分の新しい姿を想像することになる。新しい自分を描くことで、あたかも周りの環境がすべて新しくなると考えるのだ。
 
 しかしキング牧師は自分のことではなく、子供たちのこと、そして多くの人たちのことが一つの国で平等に過ごせることを夢見たのだ。我々は他人の夢を語ることができるだろうか。
 
 自分という存在を強く意識することで、自分以外のものを正確に評価しようとする。しかしその評価が誤った方向に偏ると差別につながる。物事を分けるというのは危険な差別と紙一重なのだ。
 
 我々が尽力しなくてはならないのは、まず相手の存在を尊重することだ。一人で人生は動かない。人生を動かすためには他人の存在が重要だ。なぜなら、夢というのは実現させる最初の一歩として、「私には夢がある」と、夢を語ることのできる相手が必要だからである。
 
 
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子供たちの夏休み

  
 NHKのニュースで子供たちが泥だらけになって楽しく遊んでいる様子が映し出されていた。その公園は親が嫌う「AKU」をあえて子供たちに与えている場所なのだという。「A」は「あぶない」、「K」は「汚い」、そして「U」は「うるさい」だ。
 
 「A」。はしごを登っていくと滑り台がある。とても高いのだが、このはしご、登る段差間隔を広くとってあり、体力のある子しか登れない工夫がされている。
 
 「K」。泥だらけになる小さな池の前で男の子たちが戸惑っていると、係員の男性が「はいってごらん。気持ちいいよ」と勧める。しかし男の子たちは「小石とか入っていて痛そう」とためらう。しかし男性の勧めで入るとそこからは子供たちの時間が始まった。
 
 「U」。ここでは大人目線ではなく、子供の目線になって係員が誘導する。何でもダメだというのではなく、優しく見守るのである。子供たちの歓声がそこら中で響いているのが映像から見て取れた。
 
 子供たちは大人のルールで遊ぶのが苦手だ。拙いながらも子供のルールで遊ぶのが好きなのである。意味の有無は関係ない。危ない経験をし、汚い思いをし、そしてうるさくすることは子供の頃でないと経験できない。こうした経験が危ないことを避ける思考につながり、汚いことを他人にさせない心を形成し、静かに人を見守る優しさを培うに違いない。
 
 「AKU」は大人が嫌う言葉であるが、これからも親御さんは言い続けてよいのだ。大人が「あぶないから、汚いから、うるさいからやめなさい」というから、掟破りの子供の世界に意味が生じるのである。
 
 いっぱい遊んで、いっぱい食べて、いっぱい声を上げると心身豊かな子供に育つ。相手を思いやる心に育てばそれはきっと、「戦後○○年」という数字を足し算できる、平和を愛する子供に育つに違いない。
 
 
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★ NHK 首都圏ネットワーク
 
★ 戦没者追悼式:「見守って」 遺族最年長の99歳(毎日新聞・13/8/15)
 
 

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公費での救助は無駄遣いではありません

  
 どこぞの冒険家が海上で遭難して自衛隊機が救助に向かった件について、救助費用の算出が始まって冒険家が弁償すべきだという議論があるらしい。何でも1千万円の救助費用がかかったのだから、自己責任として費用を償わなければならないということのようだ。
 
 ナンセンスである。それでは例えば、犯罪を犯す者がどれだけ無駄なコストをかけているか考えなくてはならない。
 
 図書館における、器物損壊、窃盗行為で新たに購入しなくてはならない本の代金。街の至る所に書かれる落書きを消す洗剤等と人件費。暴走行為の果てに物損事故を起こし、警察や救急を動かすコスト。犯罪を犯した者を捜査機関が捕まえるためのコスト、裁判費用、服役中の刑務所に使われる税金。
 
 こうしたことは、しなくてもいいことを悪意を持ってした者がいたためにかかる本来必要のないお金であり時間である。
 
 冒険やレジャーなどで、計画の足りない部分に、または不可抗力によって第三者のお世話になる可能性は誰にでもあり、救援の手がさしのべられるのは大変心強い。こういう人たちの存在があるから安心して日常を過ごせるのだ。
 
 太平洋上で自衛隊機が救助に向かったから、ことさら費用に注目が集まったのかもしれない。ならば、前述のような公費の無駄遣いにこそ声を上げるべきである。故意に税金を使うのと、緊急事態にお世話になるのとでは意味が全く異なる。
 
 日本は法治国家である。法が治めるのだから個人が、法人が勝手なことをしてはならない。法令に則って生活しなくてはならない。従って犯罪を犯すなどということはもってのほかだ。そして法治国家であるから、緊急事態には法令に則って救援の手が差し伸べられるのは当然なのである。
 
 太平洋の真ん中で心細い7時間であったに違いない。とにかく無事で良かった。救助されたかたも救助した自衛隊員も。
 
 
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★ 昨今の事故にみる「山岳警備隊」の存在(本ブログ・09/9/23)
★ 公立図書館で窃盗が横行(本ブログ・08/11/10)
★ 被害額「3銭」 駅コンセントで携帯充電の女性摘発(本ブログ・08/9/10)
 
 

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移動弁当販売 求められる公平さ

 福岡・博多の屋台は名物である。全国の4割ほどがこの地に軒を連ねる。あるラーメン屋に行ったことがあるが、駅の定期券が所狭しと並べられ、知らぬ土地に来て親近感を憶えた。勿論ラーメンもおいしかった。最近ではラーメンばかりではなく、フランス料理や中華などあらゆる食を楽しむことが出来る。 
 
 出店している屋台の8割は市道に出店しており、道路占有使用料は1軒あたり月5600円ほどになるという。こうした屋台出店に問題もある。汚水などの悪臭の問題、博多の一等地にありながら個人の商用利用のために公道を使用して良いのかという問題だ。使用許可を得ていない悪質な業者もある。
 
 しかし博多の屋台は観光の一部とされて認知されており、行政も完全になくそうとしているのではない。問題なのは、違法営業している業者を行政が積極的に取り締まらないからである。正規出店している業者との公平性の問題、衛生上の問題は当局の監視が求められる。
 
 近年、オフィス街で「キッチンカー」と呼ばれる移動販売車が増えている。短いお昼休みの時間に会社から飲食店まで移動するのも時間をかけたくない会社員に好評だ。すぐに買うことが出来るうえ値段も安く設定してある。利用者の多くはコストがかからずに「助かっている」との感想を述べる。
 
 こうした移動販売車も問題がゼロではない。公道に車を止めることは道路交通法上で取り締まりの対象となる。法律上、車内での調理が出来ないので衛生管理は徹底しなくてはならない。また、車を停めた付近に飲食店がある場合にトラブルとなる場合がある。こうした業者は簡易に許可を取得できる、あくまでも「行商」という枠組みであり、常に移動できる「豆腐屋さん」のような扱いなのである。
 
 「駐車禁止」の場所であれば5分以内の「停車」は可能であろう。しかしグレーな部分があることは否めない。民有地を借りて正規の営業をしているところもある。調理は出来ないが、火を入れる、冷やすことは可能であるので、あらかじめ用意した食材の適正管理が求められる。
 
 移動販売自体はは被災地などの買い物難民の強い味方になり得る。道路は警察、食の安全は保健所という管轄である中で、利便性を担保するために新たな枠作りが必要だ。グレーゾーンを放置しておけば、正規に店舗を構えて営業している業者が経営的に打撃を受けることになる。
 
 日本の屋台やランチボックスは独特の文化。文化と経済の融合は時にぶつかるが、利用者の安全が担保され、もとから店舗を構えている業者との公平性を保ち、新たなビジネスにつなげることの出来る法令のあり方、ルール作りが必要である。
 
 
★ 弁当の移動販売について(東京・港区ホームページ)
★ 移動販売ドットコム
 
 

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受刑者が育てた盲導犬 島根あさひ社会復帰促進センター

  
 島根県にある「島根あさひ社会復帰促進センター」は、全国で4番目になる半官半民で運営されている刑務所だ。こうした官民協働方式をPFI(Private Finance Initiative)といい、公共の施設を民間資金力を利用して運営する方法だ。
 
 職業訓練では陶器や和紙の制作、理容師やホームヘルパーなどの資格取得も出来るが、日本盲導犬協会の協力のもと、盲導犬育成のプログラムがあるのがユニークである。実に10ヶ月間もの間、子犬(パピー)を育てることになる。
 
 このブログラムの元で育てられ、盲導犬として認定を受けたラブラドールレトリバー1頭が、ユーザーの男性(48)らと谷垣禎一法相を訪問した。男性は「目が悪くなる前のスピードで歩けるようになりました」と法相に語った。
 
 盲導犬は育成に時間と費用がかかる。需要に供給が追いついていない実態がある。こうした取り組みが進むことで、目の不自由な人の生活が少しでも楽になれば良い。そしてちょっとわがままで口をきかないパピーとの共同生活で、受刑者の新たな心のより所が作られると良い。
  
 今年の1月、同センター内にて「盲導犬パピー育成プログラム第四期修了式」が行われた。受刑者である訓練生はパピーに「元気にがんばれ」「立派な盲導犬になれよ」などと達成感に満ちた表情で送り出したという。送り出された盲導犬は約8年の間活躍することになる。
 
 受刑者もいずれ送られる立場になる。社会に出れば辛い出来事も待ち受けているに違いない。しかしそのときに、町で犬と出会ったら、苦難を乗り越えられる辛抱強さと、自分に対して、他人に対しての優しさをきっと思い出すに違いない。そうなれば、更正などという言葉ではなく、一人の優しい人間であり続けられることは必然だ。
 
 
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★ 刑務所で育てられる盲導犬(本ブログ・09/5/2)
★ 盲導犬:受刑者が育て・・初の認定を法相に報告(毎日新聞・13/6/20)
★ 島根あさひ社会復帰促進センター
 
 

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サポーターに帰宅を促す機動隊員 ワールドカップ日本出場

  
 これは媚びているのでは無く作戦である。ワールドカップ出場が決まった日本代表。渋谷駅前の交差点では多くのサポーターが出ることが予想され、警視庁渋谷署では機動隊員を配置して警戒に当たった。
 
 こういう場合、機動隊の群衆への呼びかけは高圧的になりがちだが、多くのサポーターが集えば騒乱騒ぎになりかねない。このため警視庁では「こんな時にお巡りさんは怒りたくありません」などと諭して群衆を静かに解散させる作戦に出たのだろう。
 
 場所は渋谷駅前のスクランブル交差点。ただでさえ人が多いのに、この手のイベントがあると騒ぐ者が出没する。過去には花火を投てきするものもおり、一色触発になりかねない状況だった。
 
 群衆心理とは恐ろしい。これがワールドカップに出られなかったら八つ当たり的な暴動が起きていても不思議ではない。その時の状況を見極めて、警察官も群衆を速やかに排除したい心理なのである。
 
 しかしワールドカップがどうであれ、騒動を起こす者は許されてはならない。周辺で商売をしている方たちにとってみれば迷惑以外の何物でも無く、サッカーファンの自制が強く求められる。
 
 もともとサッカーが街を騒乱にする文化など日本には無かった。サッカーがメジャーになってから、暴動を起こしかねない熱狂的なファン(フーリガン)を模倣するようになったと思われる。
 
 勝利気分で街を闊歩するのは良いと思うが、関係の無い一般市民に迷惑をかけてはならない。スポーツを愛する人というのは、観戦時に興奮してもその後は努めて冷静で無ければならない。
 
 集団でいると罪の意識が分散する。個々の迷惑行為は断罪されなくてはならない。次の日の朝、捨てられたゴミを拾う人たちがいることを考えたい。出勤する人がいることを考えたい。争乱を避けて迂回を余儀なくさせられた車や人の存在を考えたい。
 
 
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★ 「イギリス警察が銃をぬくときと抜かないとき イギリス暴動(本ブログ・11/8/15)
 
 

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【グーグルサジェスト機能】表示の削除認めず 東京地裁 採用側に問題はないのか

  
 自分の名前を検索すると、犯罪を想起させる語句が自動的に表示され、名誉を傷つけられたとして、東京都内の男性が米グーグル本社と日本法人に表示の削除と慰謝料200万円の支払いを求めていた訴訟の判決が東京地裁であった。
 
 30日、東京地裁の本田知成裁判長は請求を棄却した。同様の訴訟で、東京地裁の別の裁判長が4月に表示の差し止めを命じており、判断が分かれる形となった。
 
 グーグル側は「語句の組み合わせだけでは何の事実も示さず、名誉を毀損しない」と反論していた。判決では、「検索結果自体から、サイトの内容が名誉やプライバシーを侵害し、社会通念上容認できないものか一見して明らかとは言えない」とした。つまり、検索結果そのものは男性の名誉等を侵害するのかはっきりしない、というわけだ。
 
 4月の東京地裁の判決では「名誉毀損に当たる投稿を見る人がおり、放置すれば権利侵害が拡大する」として表示の差し止めを命じた。二つの訴訟は今後、東京高裁で審理される。
 
 インターネットの検索が便利なのは、機械的であれ、統計的に多く検索される語句を表示してくれるため、自分の知りたい情報にたどり着けることである。
 
 しかし、その反面、悪意を持ったサイトと何ら関係の無い人の名前が関連づけられる可能性は十分ある。
 
 本来、名誉を傷つけたサイト運営者や投稿者が刑事、民事で訴えられる案件かもしれないが、原告の男性側はその”元”となる検索サービスを提供するグーグルを訴えた。複数のサイト運営者を訴えるのはあまりに途方に暮れる作業であるし、そのサーバーが海外にあると対応はほとんど困難である。
 
 一度広がってしまった誤情報を訂正するのは容易ではない。個人情報の保護が強く主張されているのも、人の知らないところで悪用される危険があるからだ。
 
 原告の男性は就職活動などで不利益を被ったと主張している。であるならば、機械的に発生した語句等で現れた無責任なサイトの価値判断を誤った、企業の採用側に問題があるのではないだろうか。就職活動は人の人生を左右する。企業は誤った人的評価をした根拠を明確にすべきである。
 
 
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★ グーグル訴訟:「検索」予測表示の削除認めず 東京地裁(毎日新聞・13/5/30)
★ グーグルのサジェスト機能画面で名誉毀損 グーグル側に賠償命令 東京地裁(本ブログ・13/4/19)
 
 

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”イイネ!”と”どうでもイイネ!”は紙一重

  
 先日「Facebookのイイネ!は時間の無駄”と書いた。”イイネ!”自体はそれほど無駄では無いかもしれないが、イイネをするためにタイムラインと睨めっこしていることが無駄なのだ。
 
 アメリカでフェイスブックをやめた人の回答で「他人のディナーを見るのに飽きた」とうものがあった。確かに他人の食事の写真を見せられても、何ら感動は無い。どうせなら、その食事のレシピでも付記された方が生産的である。
 
 面白いと思うのが、ミクシィ時代は”マイミク”であったにも関わらず、プロフィールに本名を出していない人が結構いた。しかし、フェイスブックに移行した瞬間に水を得た魚のごとく、”どこにいる””誰といる””何をしている”というようなプライバシーがこれでもかというほどにタイムラインを埋める。
 
 こうなった理由は、ミクシィがどちらかというと招待制で始まった閉ざされたウエブスペースだったのに対して、フェイスブックは自分で登録して、友達を探すという積極的で開かれたものである部分が強い。実名登録を基本としているところも、その流れを後押しした。 
 
 こうした流れの中に、フェイスブックの”イイネ!”があるわけだが、これが少々怪しい。slacktivism(スラックティビズム)という言葉をご存じか。社会活動をしたわけでは無いのに、自己満足的に社会運動めいたことをする行為であり、類義語にclicktivism(クリックティビズム)がある。”イイネ!”の一票で社会を変える、変えた、クリック一つで人の命を救った、そんな感覚だ。
 
 クリック一つで世の中は変わらない。人差し指の運動が世間を動かすのではなく、当然ながら人が動いて社会が変わる。
 
 ”イイネ!”は1つの指標になり得るが、本心でどう考えられているか分からない。thumb up(サム・アップ/賛成する)よりも、コメントやメッセージが届いた方がSNSは楽しい。あとついでに、食べ物の写真が多い人は、摂食障害などを引き返すという研究結果を米国の専門家が警告しているので注意が必要だ。
 
 ”イイネ!”と”どうでもイイネ”は紙一重である。この世に氾濫する”イイネ!”のうち、どれだけ虚構の人間関係維持に役立っているのか、興味深いとは思わないだろうか。
 
 
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