小学校で校内暴力が増えている。児童がカッターを振りかざし、手当たり次第に物を投げつけたりするという。学級崩壊が全国各地で起きている。
対教師への暴力といえば、中学・高校と「相場」が決まっていた。小学生が激高するとは想像を絶するが、それが現実というのが悲しい。
識者の見解はさまざまだが、一つには感情を表現するのが下手になり、また子供なりのストレスを発散する場が減ったのが原因ではないだろうか。
犯罪から子供を防ぐために、子供は外気から隔離された。隔離されたところは安全ではあるが、対人との空気の触れあいや肌の付き合いが減ってしまい、思いやりが形成されていない一部の子供達。
親に叱られてがっかりすることがあっても、外に出て遊べば杞憂が晴れるのは昔の話のようである。そんなストレスの発散の場がない子供達は、対人空気の触れあいに不慣れな児童は、学校という場でキレる。
キレた子供を押さえつける対処療法では問題は解決しない。崩壊しているのは子供の心自体ではなく、子供を取り巻く環境が崩壊しつつあるのかもしれない。
「児」という字は、「幼い子供・かわいい物に付ける接尾辞」、「童」という字は、「物事のはっきり判断できない幼い子」を意味するそうだ。判断能力のない、幼くてかわいい子を豹変させてしまった社会の一部のよどんだ空気が、「児童」という言葉の意味すら崩壊させようとしている。
☆ 借り物の概念と教育で植え付けられた偏見を元にして、ありきたりの筋道に合った話をする大人の議論よりも、子供たちの予期しない質問から教えられるところが多いと思われます。(ジョン・ロック)
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タグ: 倫理
21人の都災害対策職員
先週の今日、東京で震度5強の地震があった。関東地方は地震が多いが、これだけ大きいものも珍しい。当時ビルの4階におり、「これは大変なことになるのか」と緊張した。
東京都では地震発生直後、災害対策職員を招集すべくポケベルを鳴らした。200人の職員のうち、招集を受けた職員34人中21人が登庁しなかった。彼らは一般職員の住宅よりも格安の家賃で都庁近辺に住んでおり、「緊急時の呼び出し」だったのにも関わらず、出勤しなかったのである。
「ポケベルを持たずに外出していた」「ポケベルが鳴らなかった」などというのが、21人の理由。私がポケベルを持っていたころは地下2階でもつながったがポケベルのならない場所はあるのだろうか。
あれだけの大きな地震が来て、災害対策職員でありながら、自分から都に連絡しようという気はなかったのか。日本国民なら誰でも「地震が起きませんように」と願っている。阪神・淡路大震災も新潟中越地震も福岡西方沖地震も記憶にあるからだ。
でもこれで分かった。本当に地震が起きぬように願っているのは、都庁周辺の好立地に3LDKの住宅を家賃5万円で住んでいるこの「災害対策職員21人」である。
この役立たずめ。
★ 震度5強 34人呼び出し21人応ぜず 災害対策住宅に住む意味なし(Yahoo!NEWS・産経新聞)
今まで受けた勧誘↓
・マルチ商法を職場の先輩に勧められる。
・「このキットを買えば人生成功する」みたいなものをバイトの先輩に売りつけられそうになる。
・自己啓発セミナーに行こう、と元バイトの先輩からメールが来る。
・中学の同級生の女性に宗教の勧誘。
・元バイトの後輩に宗教の勧誘。
宗教の勧誘に関して、彼らが必ず言うのが「大地震の恐怖」である。まもなく地震が起こるから一緒に祈りましょう、というわけだ。
日本はご存じの通り、地震でこの国土が出来た。地震プレートの上にあり、毎日全国で有感地震が数カ所で起きている。それをその宗教は予言している、というのだが、そんなものただの「予想」だ。恐怖で人を煽るとはけしからん。
宗教勧誘の後輩は気になることを言った。
「僕らみたいな若者ばかりで、年寄りとかはいないんで・・・。」
若者しか信仰しない宗教なんて不自然である。それに彼は日本で一番有名な大学の大学院で研究をしており、科学者だ。だまってたって、人生の王道を行けるようなものである。もしこれを読んでいたら考え直して欲しい。
人にとって一番辛いのは、思想や信仰を押しつけられることである。だから言っておきたい。
マルチ商法には興味がありません。
自己啓発は自分でやります。
新聞はとってます。
保険は入っています。
英会話教材って何でそんなに高いの?
車は必要ありません。
宗教観は独自で形成しており、手を合わせるという行為は自分の意志でするものである。手を合わせるのに他人の助けは必要ないので結構。それを否定されるような勧誘はまっぴらである。「神様助けてくれよぅ」と心の中で叫ぶことがあっても、本当に助けてもらいたければ、家族の相談する。友人に聞いてもらう。先生に教えを請う。
信仰の自由は知っているが、これから私は不幸にもなるし幸せにもなる。信仰の自由は、信仰しない自由もあるということだ。
☆ 無宗教――世界中の偉大な信仰の中で、一番重要な信仰(ビアス)
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「席を譲らなかった若者」という記事・2
大学のある授業で、男子学生が二人遅刻して入ってきた。一人は先生の前を通過するときに「しゃがんで」さささっと通過。もう一人は先生の前をかがむことなく堂々と通過していった
別の授業で最初に先生が注意をした。「例年時々あることなんですが、私が話しているときに何を思い立ったか、突然席を離れて教室を出て行ってしまう学生がいます。それを見ると、何を話そうとしたか忘れてしまうことがあるので、理由があって外に出るときは事前に言って欲しい」。その先生は続けていった。「私たちの時代にもあったんですよ。途中で授業を抜けること。でも、その時は先生が板書をしていて学生に背を向けているときにこっそり抜けましたね」。
この例のように、何故か年上の方に対する礼儀とかそういうことに無頓着になっている若者が多い。自宅を出たらそこはもう公の場である。そのことを自覚すべきである。
らくださんのブログ記事「席を譲らなかった若者」に出てくる若者は、嫌味を言われてよほど頭にきての発言だったのだろう。しかし、この若者の発言の内容はともかく、座ったままで、サングラス越しに、立っている年配者に対して反論している画を想像すると、それが本当に主張するものがとる態度であるかどうか疑問に感じる。
年配者の中にも失礼な人たちは多い。若者の見本となるべき言動をとらない方もいる。しかしながら、この記事の若者は持論に酔い、年配者に「あんたら」「ジジイ」という言葉を使って話している。人と話すのに牙をむけて話す態度は理解ができない。
この若者がもし席を年配者に譲った上で持論を展開させたのであれば、きれい事ではなくもっとまともな主張に聞こえたかもしれない。それをしなかったのは、公の場で空間を共有するものとしての手抜きとすら感じる。
☆ あらゆる法律は老人と若者によって作られたものだ。老人は規則を欲しがり、若者は例外を欲しがる(ゲーテ)
★ らくださんのブログ、らくだのひとりごと「席を譲らなかった若者」
★ 本ブログ「席を譲らなかった若者という記事」(05/4/28)
「席を譲らなかった若者」という記事
「らくだのひとりごと」という、らくださんのブログに、「席を譲らなかった若者」という記事がある。
内容を一部引用させていただくと、
座席に茶髪の若者が2人座っている。その前に、ハイキング帰りと見られる60代半ばの3人の男女が立った。その高齢者組は「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」「ちょっと前は罪悪感からか寝たふりをしたもんだが、最近じゃ寝たフリもしないからふてぶてしい」と嫌味っぽく発言した。
それに対して若者が反論した。
「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ」
という具合である。
ブログ主のらくださんは、
・ お年寄りを大切にしよう、というのは「昭和のキレイごと」なのか。
・ 世代間の断絶というか格差を思い知らされた。
・ 戦後の復興と日本経済の躍進を引っ張ってきたお年寄りが「よく働いたんだからゆっくり楽しもう」「若い人から尊敬されて当たり前」と思っているのも理解できる。
・ 一方、若者世代は、自分の納めた年金保険料は自分のための積み立てじゃなく、現在支給されている年金の原資。自分が受け取る年金なんてこの少子化社会で支えられるはずないって分かっている。将来に悲観的になるのもムリはない。
といったことを書かれている。
驚いたのは、この記事に対するコメントである。「若者支持」のコメントが想像以上に多いのである。「若者にエールを送りたい」「若者に拍手したい」といった具合である。
確かに、この記事にあるように、高齢者組が嫌味っぽく言ってきたら立腹するかもしれない。しかし高齢者に席を譲る行為と、登山や年金問題は別問題ではないだろうか。
60代の方に「高齢者」という言葉は不適切だと感じるくらい、今の60代の方は元気である。しかし、両親を見ていると足腰はやはり「ガタ」がきているし、電車内で立っている行為と登山に使う運動能力とはその方向性が全く異なる。
「キレイごと」というのは、時代をまたいででも声を大にして言うべきである。昔の名言や格言が今でも残っているのは、それに共感する「なにか」があるからである。私のブログもひたすら「キレイごと」を書くようにしている。キレイごとをいえなくなれば、豊かな思想は形成されない。豊かな思想がなければ、ヒトは「考える足」ではなくなり、ただの下等動物になってしまう。
「席を譲らなかった若者」に出てくる若者や、彼らに共感する人たちというのは、自身が60歳になったときに、電車内で若者に席を譲るつもりだろうか。
☆謙虚は一つの装飾である。ところが人はこの装飾をしないで外を出歩く(Franz Grillparzer)
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グリーンイグアナの独り言
僕が小さい頃に見つけてくれてありがとう。しあわせになるんだ。
僕がおなかがすいているときに頻繁にごはんをくれてありがとう。おなかいっぱいになったよ。
僕が寒いときはヒーターをつけてくれてありがとう。あったかくてよく眠れたよ。
僕がカラカラの時に加湿器をつけてくれてありがとう。快適に過ごせたよ。
でも、どうして僕のこと捨てちゃうの?
神戸市中央区の路上で保護された、体長1.6メートルのグリーンイグアナの飼い主が見つかった。飼い主は、「自宅前で見つけた」と警察に名乗り出た女性本人だった。なんでも引っ越しが迫って、大きくなりすぎたイグアナの処置に困り、「警察なら生かしてくれると思った」と言っているとか。
☆事実に目をつぶったからといって、事実が無くなるわけじゃない(オルダス・ハックスリー)
★ グリーンイグアナの飼育法
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がんばれって、なにを?
警察庁長官が全国の警察本部長に「あらゆる法令を駆使して暴力団を壊滅せよ」と指示する。各本部長は警察署長に「暴力団を壊滅せよ」という。警察署長は刑事課長に「がんばって暴力団を壊滅せよ」、そして刑事課長は部下に「がんばれ」という。そこで部下の刑事は思うのである。何をどうがんばればいいのか、と。
ただ「がんばれ」というのでは、部下は混乱するという。なんの根拠も示さずに、がむしゃらに「がんばれ」と言い放つだけというのは無責任なのかもしれない。具体的な案を示せば、部下も納得するのだろう。
一昔前までは「努力だ」「気合いだ」「根性だ」というのが日本人の美徳とされてきた。それももはや人を動かす言葉としては簡単に使う言葉ではないのかもしれない。
一方で、「サァーッ!」と気合いを入れる卓球の愛ちゃんは、親やコーチが「頑張る」ことや「気合いを入れる」ことを説いてきた。それは理屈ではなく、身をもって示してきたから愛ちゃんもついてきたに違いない。
具体的に「○○を頑張れ」というのは説得力がある。その一方で、「そんなに頑張らなくてもいいよ」そういう言葉のかけ方もあるのではないか。
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六本木の路上で国会議員が強制わいせつの現行犯で逮捕された。
女性をはずかしめる事件があとを絶たないが、今度は都立病院の医師(51)が30代の女性に「エコー検査」と称して、全裸にした上で写真撮影をし、準強制わいせつの疑いで逮捕された。医師の自宅パソコンからは全裸女性の画像が複数発見されたことから、「常習者」なのだろう。
私の隣の家の女性が若い頃、半裸になり、内科医に聴診器を当てられたとき「いい胸してますね」といわれて「気持ちが悪かった」といっていたのを思い出した。
タレントの乙葉はレントゲン撮影の時、医師に局部に手を当てられ、「乙葉さんですよね?」と言われた、と気持ち悪がっていた。
そこへいくと、私の通っている内科医は、聴診器を当てるときに下を向いて私の胸の音を聴く。私の上半身は見たくないのか?もっとも、「いい胸してますね」といわれても困るのだが。男だし。。。。
女性受難時代だが、一方で女性自ら裸になる場合も非常に多い。
ネット上では明らかに「素人さん」が裸になってピースサインをして写真に写っている画像が垂れ流しになっている。露天風呂の盗撮では、杉○かおるや、加藤○いなどの画像もあった。私も気をつけなくては・・・。
だから、デジカメでも、スチールカメラでも、その前で簡単に裸にならない方が良い。どこで女性の体が流されているかは分かったものではないからだ。
【準強制わいせつ罪】
薬などを用いて心神を喪失させ、または相手が抵抗ができない状況に乗じて、わいせつ行為をすること。「準」と付いているが、「強制わいせつ罪」と刑罰は同じで懲役7年以下となる。
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