幼稚園児だったころのクリスマスの夕食時。両親に「もうすぐサンタさんが外にプレゼントを持って来るからいい子にしているのよ」と言われた。
ワクワクしていた妹と私は外を何度も見るがプレゼントはない。
「いいから、まずご飯を食べなさい」
気が気ではなかったが、ご飯を食べた。
食べ終わるとすぐに外へ。そうすると大きな箱がリボンに包まれて車のおもちゃが入っていた。妹には人形のプレゼント。2人とも大喜び。あとで知ったことだが、父の友人がこっそり置いていってくれたそうだ。
プレゼントを待ちながら夕食を食べられるというのは、本当に贅沢。そんなセッティングしてくれた両親にも感謝である。
一方で、アジア、アフリカの発展途上国の地域では、3秒に1人の子供が命を落としている。こうした国も昔は自給自足で食べていけた時期があるという。それを先進国が「コーヒーの豆を栽培すればもっと豊かになる」と彼らの生活の”土壌”を奪った。彼らは先進国を恨んではいない。しかし、こうした現状に目を向けて欲しいと訴えている。
どの国の子供達にもクリスマスはやってくる。赤い服を着ていない、たくさんのサンタクロースが今日も世界を駆け巡っていることを忘れてはいけない。
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タグ: 思い出
黄昏学部、「第二文学部」
大学の飲み会で50名ほどが集まった。
会の冒頭に私の通う大学最後の「第二文学部社会人入試合格」されたかたが挨拶した。
再来年度に、第一文学部は新「文学部」としてその流れを継承するが、第二文学部は「文化構想学部」という名前になり、今の第二文学部とは異なるシステムになる。昼夜開講制とはなるものの、実質的に夜間学部である第二文学部は数年後には消滅する。
サブカルチャーのような独特な授業や、授業で言っていることは凄いのに
一瞬にしてお湯が氷になるような冷め切ったギャグを飛ばす英語の先生。
「出すもの出せば単位は保証します。無理して出席することもありませ
ん」という先生。
大学の先生なのに素直に耳に入ってくる言葉を選んで話す先生。
頑固な私の考えを一蹴し「それは違うよ」と冷静に情報提供してくれた先生。
出席も授業もレポートも甘えを一切許さない先生。
学生の質問に声を荒げて「病気の人に励ましはいけません」と言った心理療法の先生。
こういった「やみ鍋」的な学部がなくなると思うと何とも寂しい。
それにしても昨日は寒かった。気象庁は暖冬だと言っていたのを訂正し、「20年ぶりの寒い冬」と訂正した。こんなこと気象庁に言われなくても、第二文学部の学生のほうがとうに分かっている。
全国の夜間なかた達、風邪などひかぬよう。
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ドラえもん最終話?再び
ドラえもんの最終回を作ってしまった、当時愛知県在住の大学生のホームページがあった。その話を本ブログでも紹介した。当時は話題になったものである。著作物を勝手に貼り付けるのは気がひけたので、メールを送ろうと思ったのだが、数年前まで開設してあったHPも、その後の私の追跡では「すでにHPは存在しない」という結論に至った。
そんな中、この話のまんが版(?)が出ている。
まずは本ブログの「ドラえもん最終回」を読んでいただいた上で、その「まんが版」をどうぞ。
※原作者の当時愛知県内の大学生だったかた、お礼を言いたいので、もしこれをお読みであれば、コメントかメールを頂戴したく思います。
☆ のび太君を選んだ君の判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことの出来る人だ。それが人間にとって大事なことなんだからね。彼なら間違いなく君を幸せにしてくれると僕は信じているよ (しずかちゃんのパパ・嫁いでいく娘へ『ドラえもん』 第25巻)
★ 本ブログ「ドラえもん最終回(?)」(04年11月20日)
★ ドラえもん最終話『のび太くん・・』(注:当時愛知県内大学生とは無関係と思われます)
妹の友人は手相が見ることができる。一度だけ見てもらった。特にこれと言って悪いことは言われなかった。手相は分からないけど、知っているのは右手の生命線。左手の真ん中に延びる線があれば、「大成できる」ということ。とりあえず、そこそこ長生きはするみたいである。
以前、心の病気を患っている人と知り合った。その人はよく「死にたい死にたい」と口にする。最初は「そんなこと言っちゃダメだよ」と言うが、うつむくだけで聞く耳持たず。
考えた末に、「ちょっと手相を見せて」といい、右手を取った。
「大丈夫。生命線が長いから、死なないよ」と言った。それしか知らないから。
「Nonoさんは手相が見れるんだー」と喜んでいた。
しかし本当は、生命線が・・・・・・・。
手相は変わるものだと聞く。その人、音信不通になったけれど、元気にやっているといいな。
☆ 運命占星学では、平穏無事な一生、可もなく不可もない人生が最幸運となっています。(和泉宗章)
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★ 手相を見てみよう
科学を悪用した女子生徒
小学校の頃、科学部に所属していた私は、仲間と炭酸水を作ったことがある。その校内発表会のとき、「それではこの炭酸水を校長先生に飲んでいただきたいと思います!」というと場内は拍手喝采。「アポなし」だったため、校長先生はご自身の顔を指さし「わたし?」という感じで驚いていたが、快く飲んでくださった。
「うまい!!」
と校長先生。場内はまたまた拍手である。
正直、そんなに美味しいものでもなかった。炭酸に甘味を加えただけの質素なもの。それでも僕らは、初めて作った炭酸水に満足していた。水に対して、この粉はこれくらいがうまい、いや、もっと少ない方がいい、炭酸が多すぎる、と、たかが炭酸水に侃々諤々。
科学に接したことは楽しい思い出だった。きっと、そんな幼い気持ちが、将来の科学者を生み、医療や最先端技術で活躍するのかもしれない。
しかし、オウムの事件では化学の知識が悪用され、松本と東京で多数の死傷者を出した。松本の事件では、薬品知識がない警察が無実の人を犯人に仕立てた。
先日は静岡県内で、県立高校の女子生徒(16)が母親に劇物のタリウムを摂取させ、殺人未遂容疑で逮捕された。母親は意識不明のままだという。この生徒は高校で化学部に所属、劇薬物の知識が豊富らしい。
この女子生徒が、炭酸水を作る楽しみをもし知っていたら、そしてそれが人を喜ばせることを知っていたら、科学は悪用されなかったはずである。
☆ 科学は農薬を生み出すが、それを使うなとは言ってくれない(『ジュラシック・パーク』)
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★ 母を毒殺未遂容疑の高1女子、ブログで動機示唆 (読売新聞)
日航機墜落ともうひとつ、
20年前の日航機墜落関連ニュースが毎年この時期に報じられると、必ず思い出すもう一つの「事件」がある。それはそれより2年前に起きた「旧ソビエト連邦軍による大韓航空機撃墜事件」(83年9月1日)である。
アンカレッジからソウルに向かっていた同航空機はソ連の領空を侵犯した。ソ連の戦闘機は領空から出た同航空機をミサイルで狙撃、大韓航空機は樺太の海に散った。269人が死亡。当時、「見れば民間機と分かるものを、狙撃するとはけしからん」とソ連は非難を浴びた。
そして。
当時中学生だった私はその衝撃的な新聞記事を読んでいた。搭乗者名簿をみてハッとした。「東京都中野区白鷺イノウエミワ」とある。私の知っているイノウエミワさんなら同級生だ。当時は隣のクラスだったが、一年生の時は同じクラスで同じ班であった。彼女は物静かでいい子であった。
でも、失礼だが「イノウエミワ」なんて名前はありふれている。別人に違いない。急いで同級生のイノウエミワさんの住所を調べた。うちの中学に通える町名は、「白鷺」か「上鷺宮」のどちらかだ。住所録をみると新聞のそれと同じ「白鷺」だった。
そして残念ながら不安は現実となった。大韓航空機に乗っていたのは、同級生の井上美和さんだったのだ。
重い空気の二学期の始まりだった。隣のクラスからは女子生徒の泣き声が聞こえ、私のクラスも重い空気に包まれて。
存命あらば、井上さんは私と同い年。女として、女性として、一番華のあるときじゃないか。
20年経った日航機墜落事故
「羽田発大阪行きの日本航空123便が管制塔のレーダーから消えた模様です。」
夕方のニュースが終わる直前に「今入ってきたニュースです」のあとに冒頭の原稿をアナウンサーが読み上げた。
日航機墜落事故は明日12日で20年になる。乗客乗員520名が死亡、4人が奇跡的に助かったが、航空機事故史上最悪のものとなった。歌手の坂本九さん(享年43)も巻き込まれた。
その後、毎年この日になると、遺族は事故現場である群馬県の御巣鷹山に登り、故人の冥福を祈った。12日は無理だが、坂本九さんの長女で歌手の大島花子さんが御巣鷹山に事故後始めて向かうという。
現場は山の尾根。遺族も高齢化しており、故人の冥福を祈るのも容易ではない。
そして最近の日航機の相次ぐ整備ミス。「安全第一」が絶対であるはずの乗客輸送にかげりが出てきた。子会社である外国人の労働力に整備を任せて経費を節約。どの航空会社もそれをしているが、「安全面に問題はない」と胸を張る。
事故が起きてからでは遅いのである。脱線事故も墜落事故も会社幹部が頭を下げて、亡くなった人が戻ってきてくれればいくらでも下げてもらいたい。しかしそれが出来ない以上は、不幸な歴史を繰り返さないのが重大な責務である。
「安全第一」には続きがある。「品質第二」「生産第三」である。「安全第一」は単なるかけ声ではなく、乗客輸送に携わるものが仕事を超えて意識していなければならない文言であることを忘れてはいけない。
☆ 急いでも無駄だ。大切なのは間に合うように始めることだ(ラ・フォンテーヌ)
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中学3年生の「僕」のコメント
中学生の頃、エレクトロニクス同好会(=パソコン部)で活動していた。活動と言っても、していることはもっぱらゲーム。このゲームというのも「○」や「□」が動いたりするような視覚的に乏しいものであったが、それでも私たちは楽しんでいた。
卒業アルバムに中学3年生の「僕」はコメントしていた。
「パソコンの未来は明るい」
「僕」はこうも思っていた。「パソコンが発展すれば、仕事も生活も楽になる。今より便利になる」と。
その予想は的中し、当時では考えられないくらいの発展に至っている。パソコンがなければ仕事も不便であろう。電卓をたたかなくても、表計算ソフトがあれば数字があっという間に整理される。メールも伝達手段としてなくてはならないものとなった。
しかし現実は少し違っている。確かにパソコンの普及で利便性を甘受している部分もあるが、パソコンで効率的になった仕事は空いた時間を生み出し、さらに売り上げを伸ばすべく人は働く。9時5時で仕事は終わるものだと「僕」は思っていたのに、である。仕事はきつい労働条件を強いられ、紙面に載らなくとも過労で倒れる人は少なくない。
中学3年生の「僕」は、こんな事など期待していなかったのだ。
☆ 自分の力以上のことを創り出そうとして、そのために斃れていく人を私は愛する(ニーチェ)
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