カテゴリー
その他

ツッパリとナイフ

 俳優の杉本哲太(40)が夜間に都内で、他人の自転車を乗っていたところを警察官に見つかった。本来であれば、「チャリンコドロボー」ということで処罰されるところだが、本人も認め、反省していることから「微罪」として立件しない方針だという。
 
 杉本哲太といえば、かつて黄金時代を築いたツッパリロックバンド「横浜銀蝿」のメンバーであった。今では俳優としてのいい味を画面に出している。
 
 このニュースを知る前に、妹と昔のツッパリについて話していた。
 
「昔はさぁ、ツッパリって中学にいたけど、下級生を脅したり殴ったりする人っていなかったよね。」
 
「1年生の時に、ツッパリグループの1人に声をかけられたときはビクビクしたけど、『Nono君っていうの?1年生?俺、○○っていうんだ。よろしくね~』てな感じで、いい兄ちゃん、という感じだった。」
 
「番長がいて、他校とケンカになりそうなときでも、彼が出ていくだけで収まったこともあった。」
 
 昔のツッパリは、人に危害を与えるというよりはむしろ、不満を社会へぶちまけていた感があった。ケンカするときは素手で取っ組み合い。ナイフなど持っていなかった。
 
 最近では、護身用だの、ファッションだのという理由でナイフを持ち歩く若者が少なくない。それを使って人を傷つけることに躊躇すらない。
 
 反抗期を迎えるこの年代は、誰とて突っ張っていたところがあるかもしれない。とんがり精神は若者に必要なのだ。しかし、突っ張るのに、とんがるのに本物のナイフは持っていてはだめだ。
 
 昔のツッパリはナイフを手にしていなくても、いつもナイフを持っていた。心の中に。
 
 
☆ 臆病者ほど持っているナイフが大きい。(映画 「島の女」)
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
★ 杉本哲太、自転車持ち去り聴取(Yahoo!NEWS・05/7/28)
 
 

カテゴリー
個人的なウェブログ

熱中症にご用心

 10年前に熱中症になった。後から思えば、なってもおかしくない体調であった。
 
・夜勤のバイトを午前3時までしていて、寝不足気味であった。
 
・昼頃、バイト先まで炎天下の下、30分歩いた。その日は「この夏一番の最高気温」を記録。
 
・バイト先のファーストフード店内の「窓際」で6時間ほど勉強。
 
 この時期は大学受験のための予備校に通い、夜勤でバイトしていており、慢性的に体が弱っていた。
 
 そこに、上記の「寝不足」「炎天下の中で歩く」「(クーラーは効いていたが)日の当たる窓際で座っていた」という要素が重なった。
 
 そして18時、貧血。しばらくテーブルに伏していたが、自分のバイトしている店内で寝てしまうのは恐縮だったので、「とりあえず外に出よう」と思って3歩ほど踏み出したら、
 
 記憶がない。
 
 気がつくと、店長が「Nono!大丈夫か!Nono!!」と声をかけてくれていた。
 
「救急車は呼んだのか?」という声も聞こえた。
 
 目撃したお客さんによると、崩れるように倒れ、イビキをかき、手足はけいれんしていたという。救急車では名前と連絡先を救急隊員に聞かれ、意識は取り戻した。
 
 心電図、心エコー(心音図)、脳波、CTスキャン、血液検査をしたが、いずれも正常。
 
 病院側からは何の診断もされずに帰宅することになった。しかし、目撃したかたの証言を信じれば熱中症である、と勝手に判断した。
 
 熱中症は日射病と熱射病の総称で、過度な高温に体がついて行けないときに起こる。老若男女問わずかかり、死に至るケースも珍しくない。
 
 予防策としては、
 
・きちんと睡眠を取る。
 
・食事をきちんと採る。
 
・暑い屋外では休憩と水分を十分にとる。帽子や日傘が有効。
 
・屋内でも、気温が高い場合は適宜休憩を取る。
 
などにご留意を。
 
 ところで、倒れた割には体のどこも痛くなかった。どうやって倒れたのだろう。。
  
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
 

カテゴリー
その他

友達と親友と

 
 友達というものの定義を調べてみると、
 
「互いに心を許しあって、対等に交わっている人(大辞泉)」とある。
 
 では親友はどういう意味か。
 
「互いに心を許しあっている友。特に親しい友(同)」とあり、親友の方が特に親しい、ということになる。
 
 もう一つ、心友(しんゆう)という言葉もある。
 
「心を許し、深く理解し合っている友(広辞苑)」となっており、親友よりも互いの深い理解がある点でこちらの方が絆が強い。
 
 携帯電話の電話帳を見ると、たくさんの名前と電話番号がある。でも仮に、この中で突然「今悩み事があるんだけど、聞いてくれるか」と電話をしたら果たして何人の友達が聞いてくれるだろうか。その逆もしかり。突然電話がかかってきたら、ちゃんとサポートできる親友になりうるだろうか。
 
 携帯電話の普及で、あまり親しくない人とも電話番号を交換することで「友達契約」を結ぶ事が多くなった。しかし、本当の友達、親友、心友とは携帯の番号で、メールアドレスを知ることで得られるものではない。
 
 本当の友達となるには時間がかかるのだ。喜怒哀楽の時間を共有することが多ければ多いほど、親密になるであろう。もっとも人間くさい交わりが心友なのだろう。
 
 今の男女が最初に親しくなるには、携帯の番号の交換から始まるのかも知れない。七夕の夜は織姫と彦星が逢うことの出来る日だが、この二人が持ち合わせているのは、互いの愛情である。
 
 
☆ どんな用件でも午前4時に呼び出せるのが、親友です。(マレーネ・ディートリッヒ ドイツの女優)
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
 

カテゴリー
その他

先生

 30代に入ってから多くの「先生」と接することになるとは思わなかった。
 
 まず、大学入学したので当然最初の先生に会うはずだったが、大学の最初の授業の直前に病気の宣告をされ、先日エントリした心療内科の先生が最初の「先生」となった。
 
 大学ではそれまで自分が考えていた事が覆され、知識の浅はかさを知らされることとなり、先生ってのはすごいな、と考えたものである。
 
 習い事では二人の先生に出会い、大学とは違った専門的なイメージというものを教えられた。専門知識に長けている先生というのは、何を質問しても明快な答えが返ってきて、かつ納得できてしまうから不思議である。それは単に専門分野を学んだ先生だから、というだけではなく、「一本筋が通っている」ことが分かるからこちらも素直に納得ができるのである。
 
 それにしてもここに来て、いい先生ばかりに巡り逢うことができたのは幸運である。いい先生に出会ったら、あとは愚直なまでに純粋な生徒でいなければいけない。先生に限ったことではないが、いい人に出会ったのに「いい人だ」と気がつかなかったとしたら、それは大変愚かなことである。
 
 先生からの「ダメ出し」はまだまだ続く。
 
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
 

カテゴリー
その他

古き良き時代

 
 「古き良き時代」というが、何故「あのころは良かった」と回想することがあるのだろう。
 
 今現在は、悩みや問題を目の当たりにして、それを体感しているのであるが、昔の思い出の中の苦しみというのは実感することができないからではないか。
 
 今、当時の辛さを思い浮かべようとしても「あのころはきつかったなぁ」という程度で、一般に苦しみがよみがえることはない。
 
 ゆえに、いい思い出だけが記憶には残りやすく、「あのころは良かった」となるわけだ。では、今が「新しき悪しき時代」かというとそうではない。今も昔も変わらない。前述の理由で、どういう時代と感じるかは、難題を目の前にしているか、または過ぎ去った事柄かに依存するだけなのだ。
 
 あえて「古き良き時代」を語るとすれば、自分の体型はスリムであったし、子供達は外で遊ぶことが自由なほど物騒な世の中ではなかったということである。
 
 
☆ 古き良き時代――すべての時代は古くなると良くなるもの(パイロン)
 
※ 取り消し線部分を訂正いたします。子供が行方不明になるケースは昭和30年から40年にかけて年間300件前後発生しており、無事に帰ってくることもあれば事件に巻き込まれる事案も昔のほうが多いです。近年は年間200件前後と、緩やかながら減っているようです。
 
 

カテゴリー
ニュース

朝焼けの思い出

 夜勤のバイトをしていたとき、未明に帰宅することが多かった。日の出を見ることが珍しくなかったが、一時期幻想的な朝焼けを体験した期間があった。朝焼け、というよりも夕焼けに近い。しかし、夕焼けのようなオレンジ色のグラデーションではなく、紫とオレンジと日の出との競演で、何とも言えない美しさであった。
 
「夜勤明けになんか得したな」
 
 と思ったものだが、この綺麗な朝焼けの発生には理由があった。
 
 91年6月にフィリピンでピナツボ火山が噴火した。これが原因であった。
 
 太陽光線が地球大気で散乱し、成層圏に火山灰が多いと紫色に空が変わる。これが原因で「綺麗な朝焼け」を堪能することができたのである。
 
 当時毎朝「綺麗な朝焼け」を楽しんでいたが、ピナツボ火山が原因であることを知ったのはあとの話であった。
 
同火山の噴火では、300人以上の方が死傷し、10万人以上の人が家を失った。
 
 
☆ 大きいなんて言葉、空には小さすぎるわ 。(ピーター・ヘッジス)
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
 

カテゴリー
個人的なウェブログ

教習所の思い出・2

 
 先日の記事で書いたように、私の通っていたのは非公認の教習所。要は「好きなだけ運転させてあげる。でもあとは自己責任」という所だ。
 
 公認であれば、筆記や実技試験が運転試験場で免除(されるんですよね?)されるわけですが、それらをすべて試験場で受験しなくてはいけない。ここでのお金、結構かかりました。
 
 教習内容ですが、本当に運転技術を教えてくれるだけで、シミュレーター、無線教習なんてありませんでした。
 
 時代を感じてしまうのは、パワステ(パワーステアリング)じゃないんです。パワステなら片手でも右左折できますが(教習所でやったら怒られます。)、パワステじゃないハンドル、俗に「オモステ」はハンドルを回す回数を教わりました。
 
「はい、右に2回半きってー。」
 
 オモステをハンドル切るのは結構大変。しかし、それをまっすぐに戻すのも大変な訳です。
 
 パワーウインドウじゃないので、踏切ではクルクルくるくる窓を開けて、「電車が来ていないか確認する演技」をし、急いでまたクルクルくるくる窓を閉めて、ギア一速のまま発進です。
 
 ちなみに私の得意科目。
 
縦列駐車
 
方向転換
 
坂道発進
 
 これらは、教習所で習ったことが今でも生きていて、厳しかったけど体得できてよかったと思います。
 
 そういえば、教習所内の車は「フェンダーミラー」でした・・・・。
 
 
☆ 目標があって、それに向かっていれば、どんな経験もカモン、カモンですよ 。(篠原ともえ)
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
 

カテゴリー
個人的なウェブログ

教習所の思い出

 自動車の教習所というと「公認」のところが当たり前だが、私は「非公認」の所に行った。ここの宣伝文句が「最短で10日間で免許取得可能!」ということで、これならば、と思ったのである。
 
 自宅近くの事務所から無料送迎バスが出ていて、そこから1時間ほどの教習所に行った。待合所はタイヤもとれてさび付いて壊れたバスの中。6月だったのであつかったが、クーラーも何も無し。ここで名前が呼ばれるのを待つのである。
 
 ここの教習所は「好きなだけ予約して運転の練習ができる」というのが利点だが、非公認なので、学科試験も実技の試験も「運転免許試験場」にいって受験しなくてはならない。これが大変だった。
 
 学科試験は独学で難なくパスしたが、運転実技試験が大変。運転免許試験場の試験官というと現職の警察官である。試験コースの中を指示通りに走行するのだが、怒鳴られたし、萎縮してしまって大変だった。
 
 仮免は実に3回目で合格。
 
 本免になると試験場の外を運転するのだが、ここでは仮免の時とうって変わって試験官は優しくなった。ところがうっかりミスを犯してしまい不合格となった。
 
 後日の2回目も不合格。
 
 「俺は運転する才能がないのでは」
 
 そう、しょんぼりしてしまい、しばらく試験場に行くのをやめた。そして非公認教習所に通い始めてから5ヶ月。本免4回目でやっと合格できた。
 
 そんなわけで、先日の免許の更新もそこの運転試験場は避け、新宿の更新センターに行ったという訳である。
 
 ただ、何度も教習所で練習したこと、試験場では試験官に怒られたことがいい経験となり、運転そのものは自信がついたのである。
 
 そこの教習所は残念ながら数年前に潰れてしまった。
  
 
☆ 運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する(ショーペンハウエル)
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
 

モバイルバージョンを終了