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神様の力、身近なところで

 
 京都市営地下鉄の駅ホームで、酔っぱらいに立ち小便をさせないために1つのアイディアが役に立っている。該当場所に鳥居の絵を張っておくのだそうだ。さすがに神様に向かっての愚行は泥酔状態の客をも引き締めるのかもしれない。
 
 関西はこうした”ミニ鳥居”の存在が珍しくないようだ。あちらこちらにこうした鳥居が目を光らせているのだという。そういえば、都内で以前に住んでいた家の近くにも小さな鳥居があった。ある家の玄関横の植え込みに手製の鳥居があり、そこには「ここにゴミを捨てるな」とあった。
 
 見えない力に畏敬の念を抱くというのは大切なことだろう。特定の信仰をしていても、していなくても、「こんな事をしてはいけない」と自分を戒めるのは、こうした見えない力が働くことによる。「頑張れば報われる」と思うのは、自分の中に宿っている今の自分にはない奇跡を育む考え。それが導き出されるであろうという一種の信仰だ。
 
 そして「こんなことしてはバチが当たる」というのも、自分の中に宿っている今の自分にはない天罰を想像する信仰だ。
 
 東京・渋谷区の表参道はブランドショップやカフェが軒を連ねて、けやき並木が美しい通りであるが、この通り沿いにはゲームセンターやパチンコといった風俗店がない。なぜ風俗店がないかというと渋谷区でこの通り沿いを「文教地区」に指定してあるからだ。なぜ文教地区に指定しているかというと、「表参道」であるからだ。この大きな参道は明治神宮へつながっているのである。その参道に風俗店があるのはよろしくないからだ。
 
 10年前まで、表参道はクリスマスとなるとイルミネーションで賑やかになっていた。しかし、見物人の騒音やゴミの苦情が近所から絶えなかったことにより、そのイベントは廃止となった。もしあの時、この通りが参道であり、恐れ多い場所であることを大々的に告知していれば、そうした理由でのイベントの廃止は回避できたのかもしれない。
 
 
☆ 真実は行為で示され、 それを飾る言葉はない(シェイクスピア)
 
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★ プチ鳥居大集合
 
 

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教育する立場の人

 今まで先生と名の付く人たちに多く会い、振り返ってみるといい先生とばかり接することが出来て大変光栄だったと思う。時には腹の立つこともあったが、振り返ってみたときに「あの先生よかった」と思えるのが本当にいい先生である。
 
 最近の教師による不祥事は目に余るものばかりである。特に、安全であるはずの学校の中で児童や生徒、学生に対してわいせつ行為をする先生たち。子供たちをどんな目で見ているのだろうか。ここまで先生の不祥事が多くなってくると、先生になったのは子供を”標的”にするためではないかと勘ぐってしまう。
 
 電車内の痴漢で逮捕された都立校の副校長がいる。事件の態様は悪質である。酒を飲んで帰宅中の車内で女性の体に触った。女性は車内を逃げたが副校長は追いかけて犯行に及んだ。警察に逮捕されたこの男は示談が成立したため不起訴に。東京都教育委員会は「痴漢は懲戒免職」の処分規定に則り男を退職させた。
 
 ところが、男は東京都人事委員会に「たまたま女性の体に手が当たっただけ」と痴漢行為を「否定」、処分取り消しを求めるという暴挙に出た。さらに人事委員会は「接触は極めて短時間で、悪質であるとは言えない」という決定をし、懲戒免職から停職6ヶ月と”減刑”、男は現在教壇に立っているというから驚きだ。
 
 示談したということは「犯行は認めるが、これで勘弁してくれ」ということである。被害者が示談に応じなければ、刑事事件として立件されていたのである。にもかかわらず、痴漢行為に対して「時間が短い」という人事委員会の判断はどうなってしまっているのか。この判断を被害者女性が聞いたら何と思うだろう。痴漢行為の時間の長さによってランク分けがあるとは驚きである。
 
 先生とは、教育とは、こういうものであると教えられた事件がある。
 
 イタリアの大聖堂に落書きをした岐阜県内の女子短大生が、学長と一緒に現地を訪れ、大聖堂側に謝罪した。女子学生は号泣し謝罪、大聖堂側は「学生は泣いて謝罪しているし、この件で両国の関係にひびが入ってはいけない。これで終わりにしたい」とし、さらに「謝罪訪問という勇気ある行動に感銘を受けた。(大学側からの)寄付金で落書きを消した箇所に、学校名入りのタグを作りたい」と述べた。
 
 この女子学生が大人になり子供をこの場所に連れてきたとき、自分がしたことをしっかりと説明し、このタグにはどんが意味があるか説明できたならば、大学側のとった行動も大聖堂側の粋な計らいも生きるというものであり、これが教育というものである。
 
 変質者と化した一部の教師に知って欲しいというのは虚しい願いか。
 
 
☆ 私は常に学んでいる。墓石が私の卒業証書だ。(Eartha Kitt)
 
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★ 「落書き跡に銘板で校名残したい」伊の大聖堂が申し出(朝日新聞・08/7/10)
★ 「痴漢」処分軽減の都立高副校長、教員として復職していた(読売新聞・08/7/11)
★ 教師の不祥事(Yahoo!ニュース)
 
 

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問われるネットでの人権感覚

 
 ジャーナリストの堀田貢得さんは、「ブログの発展が一番恐い。これまでテレビや映画、新聞が差別を拡大再生産させてきたが、もっとひどいことが起きてしまうのでは」といい、差別表現を指摘すると表現者から「言葉狩り」だと言われ、「表現の自由」を主張することについて、「井上ひさしさんは『表現の自由とはあくまで、権力に対する表現の自由。弱者に対しては、担保されていない』と指摘した。差別は人間を不幸にする。表現者は、差別とそれによる不幸を認識し、言葉による痛みを和らげる配慮を持つべきだ」とした。
 
 確かにネット上では少数であることを理由にいわれのない差別が起きている。在日外国人への差別、身体障害者への差別、そして性差別に職業差別。我々は無意識のうちにいわれのない差別をされ、また、差別をしている。
 
 人は誰でも他の人より優位でありたいと考える。勝ちたい、偉くなりたい、金持ちになりたい、と願う。しかしそれが叶わないとなると、その歪んだ考えの矛先を少数派に向ける。ネットであればその考えが希薄になり、群集心理も手伝って勢いが増す。
 
 他人に何の落ち度もないにも拘わらず、言葉をいい加減に発する行為は断じて許されない。人としての権利を侵害できる方法は誰にもないのだ。差別も健全な競争がもたらすものであれば、それは悪意のあるものではなく、善良な区別であるといえる。運動会で順位が付くものががそうである。1位の者を称えて、優勝できなかった者をなぐさめる、そんな優しさを誰もが持っていたことは忘れたくない。
 
 
☆ 飢えている人々に食べ物を与えることができるのにそうしないものは、だれでも殺人者である。(ラムネー)
 
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★ 差別表現 ブロガーも問われる責任と人権感覚(ITmedia News・08/6/9)
★ 「2ちゃんねるなどで社員中傷、法的措置を検討」毎日新聞社 英文サイト問題(産経新聞・08/7/1)
 
 

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野次馬の罵声と撮影でPTSDに 航空機内で救命活動中の女性

 航空機内で心肺停止状態の男性に蘇生措置をしていた女性が、周りにいた野次馬の乗客に携帯カメラなどで撮影され、恐怖心などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。中高年の日本人男性乗客らが「テレビと同じ」「やめたら死ぬんでしょ」といって撮影、女性は中年男性が集まる場所で過呼吸の症状が出るようになった。シャッター音が恐ろしくなり、携帯のカメラを使えなくなったという。
 
 野次馬が撮影というと、秋葉原の事件が頭をよぎる。あの事件のとき、多くの人が携帯電話のカメラで撮影していた。そのため、犯人が警察官と対峙する瞬間や逮捕直後の画像を見ることができた。人が集まる歩行者天国だからそれをなしえた。新聞やそのサイトでは多くの写真の下に「視聴者提供」と記されていた。
 
 携帯電話にカメラが付くようになり、誰もが現場のレポートをできるようになった。マスコミよりも早く、現場にいることのできる人たちが増えたのだ。
 
 私は映像を撮ることが昔から好きで、友人と遊びに出かけるときはいつもどこかにカメラを向けている。だから、この野次馬根性はよく分かる。私も”現場”にいれば間違いなく撮影していたであろうし、きっとブログに掲載していたに違いない。
 
 そしてカメラを回していると気付くことがある。よくマスコミのかたが、カメラやマイクを持っていると怖くない、ということがあるが、それと同じ気持ちになるのだ。”危険”ギリギリまでレンズを向けようとすら思う。
 
 人は大きく分けると発信型の人と受信型の人がいる。発信型は常に「教えてあげる」と、何かを伝えようとする人であり、受信型の人は常に「教えてください」と何かを知ろうとする人だ。人間関係の根本にはこの2つが大きく作用していると思う。
 
 教えてください、という人がきっといたに違いない秋葉原の事件現場は、撮影することに意義があると思う。しかし冒頭の航空機内での女性の話、映像や写真を「見せて下さい」という人がどれくらいいるだろうか。
 
 写真などを記録しようと思うのは、曖昧になる人間の記憶を補完するためである。撮影することに意義が無ければ、プライバシーや肖像の権利を侵しているといわれても仕方のないことだ。航空機で救命措置中の女性を撮影した中高年の男性がた、あなた方の行為でPTSDになった女性がいることも記憶として残しておいていただきたい。
 
 
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★ 飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影でPTSDに(産経新聞・08/6/25)
★ 【勿忘草】もしも秋葉原で(SANKEI EXPRESS・08/6/23)
★ 秋葉原無差別殺傷事件 “記念撮影”する傍観者たち(産経新聞・08/6/18)
★ この”事件”の詳細はこちら。真ん中の「症例」をお読みください。
 
 

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尊厳踏みにじる辛口コラム

  
 死刑執行には複数の刑務官が立ち会う。死刑囚が顔にマスクをかけられ、上からつるされた縄が首に添えられる。刑務官は複数で同時にボタンを押すことにより死刑囚が床に落ちる、という仕組みになっている。この”仕事”には手当が出るそうだが、多くの刑務官がその日のうちに飲みに行って使ってしまうそうである。他にはありえないこの仕事、仕事とはいえいい気持ちがしないのは当然である。
 
 先日の3人の死刑執行に対して、18日付朝日新聞の夕刊辛口コラム「素粒子」は法相のことを「2ヶ月間隔でゴーサインを出して新記録達成。またの名、死に神」とした。これに対し鳩山法相は「死に神と言うとは、執行した人を侮辱する発言」と非難した。死刑存廃論はあっていいのは当然だが、死刑制度のある日本において死刑の執行に携わる人たちをそう呼ぶのは全国紙が発信する言葉であろうか。同コラムでは「侮辱の意図はなかった」「風刺の表現技法を磨きたい」と釈明した。
 
 「素粒子」は2006年1月に「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでいるようじゃ、この先思いやられる」と、成人式を東京ディズニーランド(千葉県浦安市)で行った新成人を”風刺”した。これに怒った浦安市は抗議文を送付する騒ぎになった。
 
 言論・表現の自由があるのは当然だが、この自由は個人法人の権利を尊重するという前提に成り立っている。法相を死に神呼ばわりすることは、死刑執行官と同僚・その家族、法務省職員などを侮辱していることに等しい。人が処刑されたことをも軽く考えているようであると考えれば、死刑囚の最期をも侮辱することになる。
 
 表現のモラルが低下しているとしたら、そちらのほうが”死に神”にとりつかれているのではないだろうか。
 
 
☆ もしA=成功だとすると、A = X + Y + Zという公式が成り立つ。Xは仕事、Yは遊び、そしてZは余計なことは言わない、ということだ。(アインシュタイン)
 
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★ 朝日「死に神」報道に法相激怒 「死刑執行された方に対する侮辱」(産経新聞・08/6/20)
★ TDLに行ったことのない「辛口」コラム(本ブログ・06/1/14)
 
 

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ブログ盗用の男性アナウンサー、懲戒停職2ヶ月に

 
 福島中央テレビの男性アナウンサー(38)が他人のブログ内容を盗用したとして懲戒停職2ヶ月の処分を受けた。男性アナは00年11月から書いていた「アナウンス室日記」内で、「金融マン・ぐっちーさん」のブログ「ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」の「日本ブランド」というエントリ(ブログ記事本文)の内容を盗用した。昨年9月以降、14件の盗用数になるという。
 
 これはコンピュータのコピー&ペーストのマイナス面である。この”コピペ”の作業はとても便利である。一字一句丁寧に入力しなくても、原文のまま自分のデータとして置き換えることが出来る。WEBサイトのURLのように細かく不規則な文字列を入力するよりも、コピペしたほうが楽である。
 
 その作業が簡単であるゆえに、他人の著作物の扱いに対する心構えが薄弱になりがちである。ネットはブラウザを開いた瞬間にそのすべてが著作物であることという認識が必要なのだ。男性アナも参考にしたのなら引用元を示し自分の言葉で書けばよかったのである。
 
 報道に携わる人だからこそ発信できる言葉があったはず。「金融マン・ぐっちーさんはこう書いていたけど、賛成」「いや反対」、そんなやりとりが出来ればネットで発信する姿勢は成熟してくるだろうし、それが本来あるべき健全なネットの姿である。
 
 以前、日本テレビアナウンス学院(現:日テレ学院)のレポーター養成講座を受けたことがある。実戦訓練として、新宿の歩行者天国で歩行者に突撃インタビューをした。その時プロのカメラマンのかたに注意されたことは「会話のキャッチボールをしなさい」ということだった。
 
 決して独りよがりの姿勢では「対・人」との関係はうまく築けない。ネットも何かを発信したらモニタの向こうにいる人を想像する必要があるだろう。カメラの前で話すのも、キーボードを叩いて発信するのも同じ事なのだ。言葉のコピペはできても、人が本当に考えていることはコピーできないし、されない。
 
 
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★ ブログ盗用の男性アナに処分 ネットの信用性も課題に(朝日新聞・08/6/10)
★ アナウンサーがブログ盗用 福島中央テレビ(産経新聞・08/5/24)
★ 今回の騒動について(08/5/27・債権・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら)
 
 

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死刑は反対 ~秋葉原の無差別殺傷事件~ 

 東京・秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された男の容疑者(25)は、犯行に使ったナイフ以外にもう一本ナイフを所持していた。起床してから犯行に及ぶまでの間、携帯サイトの掲示板に実況中継のごとく頻繁に書き込みをしていた。
 
 「秋葉原で人を殺します 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」「途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな」「いい人を演じるのには慣れている」「秋葉原ついた」「今日は歩行者天国の日だよね?」「時間です」などとなっている。
 
 犯行を決意したのは2、3日前。レンタカーを使って静岡から東京に来るまで、強い殺意が覆ることはなかった。これらを考えると計画的犯行であり、捕まれば極刑になりうることは分かっていたはずである。
 
 3月に茨城県土浦市「荒川沖駅」で起きた8人殺傷事件の被告(24)は、「死にたいが自殺は出来ない。複数殺せば死刑になると思った。誰でもよかった」と供述しているうえ、7年前の大阪教育大学付属池田小事件で死刑を執行された男や、奈良小1女児殺害事件の男、鹿児島県でタクシー運転手を刺殺した自衛官など、「死刑願望」のある犯人の起こした事件が実に多い。
 
 被告が死刑を望んでいるのであれば、それをしないほうが被告に対する刑罰になりうるのではないか。すなわち、一生をかけてその罪を償わせるのである。罪を犯した人間に対する極刑は、死をもって自由を奪うことではなく、生きているままの状態で自由を奪うことである。
 
 死刑が犯罪の抑止力になるなどと思っていたが、間違っていた。「この国では重大な犯罪を起こせば一生刑務所の中です」と言った方が凶悪犯罪の抑止力になるに違いない。生きている人の魂を奪っておいて、自分は死にたいだなんて考えが甘い。凶悪犯罪を犯した者に、生きたいとか死にたいとか選択する権利はない。
 
 
☆ 死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の生地は麻であった。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。(太宰治)
 
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★ 【秋葉原通り魔事件】「秋葉原で殺す」 当日早朝、携帯サイトに書き込み(産経新聞・08/6/9)
 
 
 

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米兵 子犬を崖から投げる(2008.3.7)

 以前、夕方のニュースで不要なペットを回収する業者をリポートしていた。トラックに次々と近所から持ち込まれる犬や猫。突然窮屈なオリに入れられ扉を閉められる。恐怖を感じた犬や猫の悲痛な叫びは耳から離れない。恐怖のあまり、犬は大量のよだれを垂らしていた。
 
 飼い主は「引っ越しで飼えなくなっちゃったから」「そりゃあかわいそうだと思うよ。何年も飼っていたからね。でもしょうがないでしょ」と悪びれる様子もない。
 
 そしてYouTubeで戦慄の動画だ。米兵と思われる男が子犬を崖から投げてしまうものである。子犬は投げられて宙をクルクル回っている間はキャンキャンと声をあげているが、その後は途絶えてしまう。
 
 動物の虐待は多いが不思議でならないことがある。どうしてわざわざネットに公開するのだろうか。それも私服ではなく、わざわざ”制服姿”で顔もおおよそ特定できるものになっている。こうした者が顕示したいものとは何であろうか。この動画で米軍当局も調査を始めたようだ。
 
 兵士は命の危機にさらされながら任務に就く。身の危険を感じれば相手に銃を向けることになるのだろう。それは戦地にいる兵士なら認められる行為である。
 
 人間というのは敵には牙をむくところがあり、変貌するところが怖い。そして敵でもない命に対しても意味のない殺戮行為に出る異常なところがもっと怖い。沖縄での少女暴行事件もそうであるが、命を命として見ていないのである。
 
 冒頭の夕方のニュースでVTRが流れたあと、メインキャスターの横に座っていた女性アナウンサーが口をへの字にして涙をこらえていたのが忘れられない。
 
 
☆ 人が本当に考えていることを知るには、何を言うかではなく、何をするかを見よ。(George Santayana)
 
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