外国人観光客が増えることについて、5割以上の人が治安面で不安を感じている。そんな調査が明らかになったのは、政府の「観光立国と観光庁に関する世論調査」である。外国人観光客は07年には825万人を記録、政府は10年までに1000万人を目標に誘致活動を進めている。
「治安面からくる不安で、何らかの対策が必要」・・53%
「地域社会でトラブルが多くなる」・・27%
「国際交流が進む」・・51%
「地域経済の活性化につながる」・・40%
近年では、大阪市西成区の「あいりん地区」や東京・山谷のドヤ街などに外国人観光客が宿泊する事が多くなっているという。理由は何といっても宿泊代の安さ。それに加えて、交通の便がよい事が挙げられる。山谷は外国人に人気の秋葉原に近いという理由がある。
もともと労働者の街であったこうした”ドヤ街”は、労働者の高齢化に伴い利用者が減ってきている。その代わりに外国人観光客が利用する事も多くなった事から、宿のオーナーは英語表記の看板を掲げたり、建物を改築しモダンなものにするところも出てきている。先を見据えた新しいまち作りのようである。
こうした街もある一方で、日本全体的にはどれほど外国人観光客にとって利便性が高いだろうか。以前に比べて町名表示にローマ字が表記されるようになった。地下鉄の路線図も同じである。しかし、言葉の壁がある。日本語を学びに来ている外国人と違い、観光客となると事前に日本の情報について調べてきている者が多いとは言えない。
政府は「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を実施、外国人観光客に対しての誘致を図っている。しかしただ呼べばいいというものではない。日本はこういう国でありますよ、ということを積極的にアピールするのみならず、受け皿をしっかり確保しないと意味がない。
「ビジット・ジャパン・キャンペーン」には「日本へようこそ」というフレーズが使われている。これがどうもぎこちない。「ようこそ」という言葉を使っているのはファミレスの「デニーズ」くらいで、日常的にあまり聞かない。日本人なら「いらっしゃいませ」のほうが合っているような気がする。
☆ 敵か、それとも味方か。私が攻撃すれば、敵になる。私がなんの恐れもいだかず、微笑してみせれば味方になる(アラン「人間論」)
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★ 外国人客増、5割強が「不安」=「観光庁知らない」6割 政府世論調査(時事新聞・08/11/23)
★ ビジット・ジャパン・キャンペーン
★ 秋葉原:外国人観光客が殺到「オタク文化」人気で 5年で300万人増(毎日新聞・08/9/2)
タグ: 政治
麻生首相が参院外交防衛委員会で、「カップラーメンは400円くらい?」と答弁した。この答弁に対して「庶民感覚とずれている」と批判があるという。さらには連夜のホテルのバー通いも批判が出ているようである。なぜ防衛を話し合う場において、カップ麺の実勢価格に口角泡を飛ばす必要があるのか分からないが、カップ麺の値段を即答できる組織の長というのはどれほどいるのだろう。
もし、国の首長が「近所のスーパーでは138円で売っている。毎週水曜日は98円になるものもある」なんていう発言をしたらそちらのほうが問題だ。首相だって時にはガード下の赤ちょうちんで飲みたいこともあるかもしれない。和民や白木屋に行きたいかもしれない。これをわざわざ実現しようとしたら、警備側も大変だし、一般客は店から追い出されるであろう。
そもそもカップ麺を庶民的のバロメータとするのもおかしい。この1年ほどの間にカップ麺を食べた記憶がなく、実勢価格を知らない。コンビニで138円ほどのものが、昨今の値上げで150円くらいと推測するが、庶民的思考であろうか。
立場があからさまに違う人を、庶民レベルに引きずり下ろそうとする発想が乱暴だ。会社の社長さんに「一緒に社食で食え」とか「マクドナルドへ行け」と言っているようなものである。「ダブルチーズバーガーセット」の価格を言える感覚が国民の総意ではない。そうした感覚を捨てなければ維持できないものもある。
国防を話し合う委員会で「カップ麺の値段はいくらか」と質問をした民主党議員のほうが庶民感覚とずれている。「お昼の代名詞といえば即席麺です」と言っていたが、いつからそんな代名詞が出来たのだ。
せっかくなので、ここで400円のカップ麺を開発するのも一考の価値があるかもしれない。政府が何となく公認している。そしてカップ麺の値段を知るよりも、保管場所に注意しなければ健康被害が出るということを知るほうが、庶民にとって大切である。
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☆ 批判的であることは、正しくあることよりも何とたやすいことか(Benjamin Disraeli)
★ 首相、カップめんは「400円くらい?」 委員会で答弁(朝日新聞・08/10/28)
★ お客様への大切なお願い(日清食品)
中山・前国交相の失態
中山前国土交通相は就任後5日間で辞任に追い込まれた。「成田空港はごね得」、「日本は単一民族」、「日教組は日本のがん」などと次々と発言、28日の辞任会見でも「確信的に申し上げた」、「国民の関心を引きたかった」とした。成田空港問題や単一民族については「言葉足らずだった」と撤回したが、日教組批判については「政治信条」として撤回しなかった。
政治家に政治信条があるのは当然であり、無いような人に国政を担ってもらいたくはないが、なぜ国土交通行政の長が教育問題に関して発言しなければならないのだろう。「学力が低い」と言われた大分県民にとっては”センセイ”に振り回される年になってしまった。
確信的に国民の関心を引きたかったという発言は、ネット予告をして「騒ぎを起こしたかった」と動機を語る者たちと大差はない。自分の主張をしたいがためだけに要職に就くとは公私混同も甚だしい。
政治家の事務所問題や失言ばかりが露見して、山積している問題は一向に議論されることはなく停滞したままである。普通の仕事をしてくれる議員センセイはいないのだろうか。国土交通行政の長は国民と相互理解を図ることなく、一方通行で突っ切ってその任務を終えた。
☆ 真の天才とは、並外れたことをするのではなく、普通のことを並外れて上手くする才能のことだ(Louis H. Wilson)
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★ 日教組批判「確信的に申し上げた」 中山前国交相(朝日新聞・08/9/29)
農相と次官、信頼失墜のまま引責辞任
畏敬の念や敬愛の心というのは絶対的な信頼関係が根底にある。この信頼関係があるからこそ、家族や職場の上下関係というのは成り立つが、信用がなくなればこれが根底から崩れる。一度崩壊した人間関係にはすでに尊敬の気持ちはないのだから、問題が起きたときにすがることのできる大木がないゆえに混乱に陥る。
農林水産省は今まさにその混乱の状態なのであろう。就任早々事務所費問題が浮上した農相は最初から威厳が消失していた。そうした人が汚染米の事件を受けて十分な対策が取れないのも当然のことであった。
食の問題は国民生活の根本的なことであり、絶対に守られなければならないが、それを取り仕切るボス的な存在はない。少なくとも近年の日本政治を見ているとそう感じる。「汚染米?誰がそんなことをしてるんだ、俺がカタつけてやる」くらいの威勢のいいボスザルは永田町というサル山には見られなくなった。
大臣が大臣なら次官も次官で、汚染米について「直ちに私ども(農水省)に責任があるとは考えていない」と発言し反発を食らう形となった。責任がないというのであれば、不正な横流しを発見できなかった農政事務所など置く必要がない。チェックするべき人間が機能していないのであれば、人的にも時間的にも無駄なことだ。
小麦の高騰で貧困国では満足に配給が行われていない現状がある。一方、日本では農水省と三笠フーズの”連係プレー”で汚れた米を不正に食用とし、国民の身体の安全をおざなりにした。米という食材の品格をも落とした。そうした中、太田誠一農相と農林水産省の白須敏朗次官が辞任した。農相の辞任で町村官房長官が次期政権発足まで農相臨時代理を兼務する。次官の後任は井出道雄林野庁長官が就任する。
威厳もなければ仕事の実績も作らないままの辞任。辞めた後もこの問題について最後まで責任をもってやっていただきたい。現場のメーカーは深刻な事態に直面している。自殺した社長もいる。辞めて済むような簡単な地位にいたわけでないことを再認識していただきたい。
☆ 高きに上ることのない人は、低きに落ちることもない(Thomas Fuller)
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福田さんという人はひょうひょうとしてどうもつかみ所はない。であるが、前の阿倍さんのような辞任を自らするようなことはないと思っていた。ところが1日午後9時半、首相官邸で緊急の記者会見を行い辞任表明をした。「国民の生活を考え、今がその時と判断した」、「一週間くらい前に決断した」と述べた。
さまざまな問題が次々と出てくる中で、福田さんが記者団からマイクを向けられるところは多少気の毒にも思える部分があった。例えば、後期高齢者医療制度は75歳からだが、福田さん自身も「後期」に近い。この制度を本当によい制度と確信していたのかは疑問だ。そんな福田さんをかわいそうに思うことがしばしばあったのだ。
ここがいけない。首相は少々「憎たらしい」と思われるくらいの風格が必要だ。発言の中には他人事のようなものも多かった。
官房長官時代は裏方への指示をこなしたことから「影の外務大臣」などと呼ばれたこともある。影は表に出ると影がなくなる。存在感ももはやこれまでであったのか。
しかし、2人続けて辞任をするというのは尋常ではない。政治家というプロを持ってしても、この国の舵取りというのはそれほどに困難なものなのか。肝炎問題、年金問題、福祉、教育、経済、防衛、外交と問題は山積していたし、している。「政治的空白を作らないようにした」と福田さんは述べたが、好転しない国民生活は空白の期間を長きに渡って強いられている。
☆ 賢者はこの身の死することを悲しまずして、その国の衰うることを憂う。(蘇 老泉)
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死刑には賛成だった。非情な殺され方をした被害者の無念を思えば、被告は命を持って罪を償うべきだ、法律公認の仇討ち制度だ、自分だけ人生やり直そうなんてずるい、そんな風に考えていた。
しかしそれも、付属池田小事件の被告の報道を、目の当たりにしてから考えが怪しくなってきた。元被告は死刑を望み、法廷でもふてぶてしい態度を貫いて最後まで反省の弁は述べることはなかった。そうすると、彼は自分の思惑通りに人の命をあやめ、望み通り極刑に処されたのである。
願わくは、幼い我が子を奪われてしまった、遺族のかたがたの悲しみが少しでも癒えることを。しかし、確信を持って事件を起こす人間を止められなくなってしまった。予防しようにも、難しい。
死刑存廃議論において、「死刑があると、えん罪だったときに取り返しが付かない」といった主張がある。現代の司法制度において、死刑になるには被告がその刑を受け入れなければ、上級裁判所まで持ち越される。警察から検察へ、そして地裁、高裁、最高裁と段階がある。
その間に事件の態様が精査されて、シロかクロかが決まる。「疑わしきは罰せず」という考えである、推定無罪の原則があり、且つ法曹界や一般市民が声を上げて、物事を言えるこの国において、えん罪で死刑になる可能性は低いと思量される。
「死刑は犯罪の抑止力にならない」という主張がある。確かにアメリカなどの例を見ても、死刑のある国や地域で、犯罪発生率が劇的な数値となって現れることはない。その一方で、死刑を適用する基準の厳しい国であるシンガポールやアラブ諸国において、マフィアのような犯罪組織が存在しないことは、死刑に一定の抑止力があると考えられている。ただしこれは、国や地域の人口などにもよるところがあり、死刑の有無が犯罪数を増減させる要因にはなっていない。
死刑の適用基準は難しい。何人殺したら死刑であるという、命を天秤にかける基準を設けるのもおかしいうえ、その態様が残虐であるという基準を定めるのも困難な作業だ。
では、死刑制度のある日本ではどうあるべきだろうか。日本では暴力団の存在もあり、また、死刑があるにも拘わらず、海外からの犯罪者が多く存在している。そして極刑を志願する犯罪者たち。
死刑に賛成する人は、被害者遺族の側に立ち、声を大にしてそれを主張すべきだ。
死刑に賛成する人は、加害者に向かってそれを主張すべきだ。
死刑に反対する人は、被害者遺族に向かってそれを主張してはいけない。
死刑に反対する人は、加害者に向かってそれを主張すべきだ。償いのために生きて、生きて、生き恥をさらしなさい、罪の重さに苦しみなさい、と。
来年には裁判員制度が始まる。一般市民の責任は、非常に、非常に、重くなる。
☆ 我々の憎悪があまりに激しくなると、憎んでいる相手よりも下劣になる。(ラ・ロシュコー)
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★ 特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観(毎日新聞・08/7/4)
深夜のコンビニだけでなく、包括的な電気使用対策を
日本フランチャイズ協会会長は「24時間営業は生活者のライフスタイルの変化に対応した結果だ」と反論した。地球温暖化対策として全国の自治体が、コンビニの深夜営業規制を検討するなどしていることに対する反発だ。
コンビニも登場当時は全てが24時間営業ではなかった。店舗の地域への経済活動効果などを考慮して店ごとに決まっていた。そして女性も働く時代になり、雇用体系の多様化で夜遅いライフスタイルは当たり前となった。単身世帯が増えていることも、コンビニ利用に拍車をかけている。
深夜の営業に規制がかかると、客にとって利便性が損なわれることになるだろう。そしてコンビニ従業員、その他にも深夜に営業活動をしていて付随した業種である宅配業、産廃回収業、納品業者、それに付随する食品会社などの雇用が失われるか業務の縮小がされるだろう。
とはいえ、切迫している温暖化問題をどうにかしなくてはならない。それにはコンビニだけに規制をかけるのはおかしい。電気の問題で言うと例えば、夏期の13~16時が電力消費のピークとなる。この時間帯で産業界全体で何が出来るか考えるべきだ。電力不足問題もあり、全時間帯均一となるような電気の使い方を推進すべきだ。個人で出来ることはし尽くしている感がある。法人で作業の効率化を図ることなどをもう一度見直した方がいい。
コンビニは客の少ない深夜にこうこうと明かりが灯っているから無駄に見えるのだろう。しかし本来はコンビニ規制ではなく、電気使用を控えるような民意誘導を行ってこそ政治の力である。規制や法令が増えるのは政治力がない事と無縁ではない。
★ 温暖化対策でコンビニ深夜規制、21自治体で「検討」(読売新聞・08/6/21)
★ 節水で温暖化阻止(本ブログ・07/8/2)
★ 反温暖化、エッフェル塔などを消灯(本ブログ・07/2/5)
宮崎勤死刑囚ら3人、死刑執行
「ギニーピッグ」というビデオがあった。女性を拉致して薬物を注射、その後に体を切り刻むという内容である。ある漫画家に送られてきたビデオの再現という設定で、もちろんビデオは特撮であり本当の殺人現場を映したものではない。ただ、本編最後に流れるクレジットのバックに流れる映像が気になった。あれはなんであろう…。
このビデオが一躍有名になったのは、昭和63年から平成元年にかけて東京と埼玉で発生した「連続幼女殺人事件」である。逮捕された宮崎勤死刑囚は幼女を殺害し、遺体の骨を砕いて焼くなどして捨て、また、幼女の遺骨を遺族に送りつけ犯行声明を送付するなどした。当時は「骨を砕く」という表現が残酷すぎるとして、報道各社は該当箇所を別の言い方に置き換え、または割愛した。
家宅捜索で見つかった本や猟奇的なビデオの1つが「ギニーピッグシリーズ」。この類のビデオは一斉に非難を浴びてレンタルビデオ屋などの店頭から姿を消す。
宮崎勤死刑囚について精神鑑定がなされたが、「人格障害があっただけで精神障害はなく責任能力はある」、「統合失調症だが刑事責任を免れる部分は少ない」、「多重人格で完全な責任能力はない」という3通りの鑑定書が出されることになった。最終的には「責任能力あり」と最高裁で判断され、死刑判決が確定する。精神鑑定が3通りに別れたように、精神状態を客観的に判断する難しさが浮き彫りとなった。
そして今日、法務省は宮崎死刑囚を含む3人の死刑執行を発表した。東京拘置所で2人、大阪拘置所で1人である。宮崎勤死刑囚は最後まで反省の言葉を口にすることもなければ、事件について開き直ることもなかった。それが一番気になることである。なんで4人の幼い子が殺されなければいけなかったのかが分からない。
昭和が終わりを告げて平成になったころの凶悪事件はこうして裁かれた。
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★ 幼女連続誘拐殺害の宮崎勤死刑囚ら3人の刑執行 (産経新聞・08/6/17)
★ 宮崎勤幼女連続殺人事件(事件回廊)