「ファッションセンターしまむら苗穂店」(札幌市東区)の女性店員に土下座をさせた強要容疑で、介護職員の女(43)=札幌市白石区=が北海道警東署(札幌)に逮捕された。女は購入したタオルケットに穴があいていたとクレームをつけ、2人の女性店員に土下座をさせ、その場面を携帯電話で撮影し簡易投稿サイト「ツイッター」に投稿した。女は「土下座や約束をさせたが強要はさせていない」と容疑を否認している。従業員が同署に被害届を出していた。
「餃子の王将金沢片町店」で来店した男数人が店内で全裸になって座るなどしたとして、石川県警金沢中署は、威力業務妨害と公然わいせつ容疑で、風俗店経営の男(39)と店長の男(38)の2人を逮捕した。店内には数人の客がおり、従業員が制止したがやめなかった。その様子を写真に撮影し、インターネット上に投稿した。「店から了承は得ていた」などと話しており容疑を否認している。王将フードサービスが刑事告訴していた。
しまむらの件だが、「強要していない」のであれば、写真撮影してネット上に投稿するまでに考えが及ぶはずがない。商品に瑕疵があればそのことだけで店に抗議すればよいのであり、交通費まで請求したり写真撮影までする”制裁”は許されない。立場が客と店員というだけで、店員を見下す行為はただのクレーマーであり、女の言動に何ら整合性がない。
餃子の王将金沢片町店は事件を受けて閉店した。仮に王将が了承していたとしても、不特定多数が訪れる店内で全裸になっていい理由はないので、公然わいせつが適用されるであろうし、営業が妨害されていることが明白なので威力業務妨害も成立する。
このところ、アルバイト店員が冷蔵庫に入ったり、食材をふざけて使ったところを撮影してツイッターに投稿する事案が増えている。インターネットが世界に向けて発信されていることの意識が希薄でしかないところが情けない。遊び半分なのかもしれないが、経営者側からすれば客や株主に対する背信行為に他ならず、その損害は計り知れない。
100歩譲ってふざけてやったことだとしても、何故それを写真撮影する必要があるのか理解に苦しむ。一連の騒ぎが収まるまでに、どれだけのコストを法人が払わなくてはならないかということは、損害賠償請求されたときに遊びでは済まないことを痛感するだろう。
ちなみに、「半沢直樹」も土下座にこだわった。しかしあれは強要罪にはならない。なぜならあれは互いに前もって約束していたことだからである。
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★ 札幌東署:しまむら店員に土下座させる 強要容疑で女逮捕(毎日新聞・13/10/7)
★ 「餃子の王将」で裸、客2人逮捕 店の業務妨害容疑 画像はネット公開(産経新聞・13/10/7)
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「半沢直樹」最終回 タンカが痛快さに花を添えた
英語で数えられる名詞が複数になると名詞の最後に「s」が付くことは知られている。複数形になるときには必ず「s」が付くのだ。では、「1.5」は単数、複数のどちらになるか。
TBS系ドラマ「半沢直樹」では、主人公の半沢直樹(堺雅人)が切り出すタンカが痛快だった。銀行内を取り巻く不正を次々と暴くそのさまは、日曜の夜の放送であったが、次の月曜出勤に気合いが入れられたことに違いない。視聴率は右肩上がりとなった。
俳優陣が豪華だった。銀行が舞台ということもあるが、相応の年齢層の個性派俳優が脇を固めた。脇役というには躊躇するような豪華な顔ぶれもドラマの進行の潤滑油となった。
かつて、「バカヤロー!私、怒ってます」というオムニバスの映画があった。バブル期に制作されたこの映画は日常的に豊かでありながら、日々のストレスに耐える主人公が最後に「バカヤロー!」と爆発させることが痛快だった。
「半沢」は少し違う。「バカヤロー」の時よりも経済は停滞しているこの国で、バブル期に入行した主人公たちが理不尽な経営陣に単なるタンカを切るだけではなく、正攻法で吊し上げるその行程までもが実に痛快なのだ。半沢は放送が終了した、「水戸黄門」の印籠が出されるときのような感覚を思い出すのだ。半沢のタンカはまさに印籠であった。
「たとえどんな結果になっても、俺はお前たちと同期で良かった」と半沢が渡真利忍(及川光博)と近藤直弼(滝藤賢一)に語るシーンがある。不正を相手にお返しをするのもよいが、人間生きているうちは恨み言ではなく、友情もお返ししたいものである。
冒頭の答えだが、英語では1を超えたら複数形になる。つまり、「2」ではなくても「1.1」でも複数として扱う(※)。世の中でお返しをするのはせいぜい「1.5」くらいのものではないだろうか。感謝の気持ちは大きなお返しである必要はない。そして返す相手がいることに感謝したい。
身勝手な保身のために、人の人生が、踏みにじられて・・
積年の恨みが、怒りが、人の人生を動かして・・
世の中に正義があるだろうか。この世に正義はない。この世は誰もが自分のことで精一杯だ。しかし、たった一人が声を上げることはできるのだ。「クロはクロ、シロはシロ」という声を上げるその勇気を放棄しなければ、自浄作用があることを捨てなければ、正義は形になる。人という形になるのだ。正義は人そのものなのだ。
半沢は土下座にもこだわった。日本人にとって人前で土下座することは屈辱的なものである。土下座をしたことがある者にとってその苦痛は理解できる。しかし土下座を経験したことがない者にとっては、その苦痛は想像を絶するに違いない。
半沢の妻である半沢花(上戸彩)の存在も良かった。半沢が「この電話次第では東京を離れることになるかもしれない。すまない」と花に頭を下げる。しかし花は、「地方でゆっくりするのもいいんじゃない?」と笑顔で答え、半沢の手を握った。半沢が家に帰ると、心を穏やかにさせる小さな”花”がいつも咲いていた。
膝をつく者、握り拳を作る者、その手に優しく手をかける者がいる。愛情や優しさの倍返しは、いつの時代も静かに日常に溶け込んでいるのである。
★ 日曜劇場『半沢直樹』|TBSテレビ
半沢直樹 堺雅人
半沢花 上戸彩
渡真利忍 及川光博
黒崎俊一 片岡愛之助
近藤直弼 滝藤賢一
湯浅威 駿河太郎
岸川慎吾 森田順平
大和田暁 香川照之
羽根夏子 倍賞美津子
半沢慎之助 笑福亭鶴瓶
中野渡謙 北大路欣也
★ 懐かしい再放送 「積木くずし〜親と子の200日戦争〜」(本ブログ・10/10/29)
★ ザッピングで1年に1週間が無駄に(本ブログ・08/11/9)
★ 家政婦のミタが好調だったのは「絆」?(本ブログ・12/12/22)
(※)…参考「表現のためのロイヤル英文法」(旺文社)
構想が浮上している段階なので仕方のないことだが、東京の羽田空港跡地と多摩川を挟んだ対岸にある川崎市の一部を使って「国家戦略特区」にする構想が政府内にあるという。
「羽田グローバルアライアンスセンター」というカナが分かりにくい。川崎市側を「ライフイノベーション」とするのもよく分からない。さらに国際展示場を併設し、付加価値の高い農産遺品を集めた展示会を開催、そしてアニメなどのコンテンツを発信するクールジャパンの拠点として活用する、とある。
どうも国が音頭をとると号令だけ響きが良いように感じる。
農産品や工芸品をアピールするのなら、都内のデパートですでにやっていることである。これを羽田でやるのであれば、そうした特産地に飛べるような総合案内所を作るべきで、羽田をハブ(拠点)にするのなら国内どこでも飛べることであるし可能である。
飛んだ先では、特産品を扱う道の駅などの施設に誘導する手はずを整えておく。電車やバスなどの公共機関を利用できるように案内表示の整備も必要になるだろう。
最近「Kokkai(国会)」などの標識が分かりにくいという苦情を受けて、国交省が重い腰を上げた。「国会」は「The National Diet」、「外務省」は「Gaimusho」から「Min. of Foreign Affairs」に換えるという。昔も話題になったが、当時の国交省は「直すつもりはない」と突っぱねていた。言葉の意味も分からない外国人に「kokkai」が分かるはずもない。苦情が来る前に対応できていればクールジャパンなのに。
話題のドラマである「半沢直樹」のロケ地が関西で人気が出ているという。当然「半沢」に会えるわけもないが、こうした場所に行くことで実際のドラマとの相乗効果が得られるであろう。何しろ楽しい。
埼玉県所沢市には「トトロの森」と呼ばれるところがある。いかにもトトロが出てきそうな雑木林である。こうしたところに案内できる交通網の整備、ガイド・通訳者の手配等が整えば、日本の観光産業に活気が出そうである。
日本に何らかの期待を持って来日する外国人たち。「ここが○○で有名なところか」「ここがあの映画で使われていたところか」と実在するものに喜んでもらえるようにしたい。そして「ここにトトロがいるのか」と想像力を刺激されて楽しんでもらえるようにできればいい。そんな潜在的な魅力が日本には沢山あるのだから。
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★ 羽田空港跡地に国家戦略特区 中小製造業、クールジャパン、先端医療の拠点に(産経新聞・13/8/19)
★ 「Kokkai」やめます 国会周辺の標識、英語に(産経新聞・13/8/20)
★ 半沢直樹:関西ロケ地じわり人気(毎日新聞・13/8/21)
★ トトロの森の紹介(公益財団法人 トトロのふるさと基金)
★ トトロの家 全焼 東京・杉並(本ブログ・09/2/14)
移動弁当販売 求められる公平さ
福岡・博多の屋台は名物である。全国の4割ほどがこの地に軒を連ねる。あるラーメン屋に行ったことがあるが、駅の定期券が所狭しと並べられ、知らぬ土地に来て親近感を憶えた。勿論ラーメンもおいしかった。最近ではラーメンばかりではなく、フランス料理や中華などあらゆる食を楽しむことが出来る。
出店している屋台の8割は市道に出店しており、道路占有使用料は1軒あたり月5600円ほどになるという。こうした屋台出店に問題もある。汚水などの悪臭の問題、博多の一等地にありながら個人の商用利用のために公道を使用して良いのかという問題だ。使用許可を得ていない悪質な業者もある。
しかし博多の屋台は観光の一部とされて認知されており、行政も完全になくそうとしているのではない。問題なのは、違法営業している業者を行政が積極的に取り締まらないからである。正規出店している業者との公平性の問題、衛生上の問題は当局の監視が求められる。
近年、オフィス街で「キッチンカー」と呼ばれる移動販売車が増えている。短いお昼休みの時間に会社から飲食店まで移動するのも時間をかけたくない会社員に好評だ。すぐに買うことが出来るうえ値段も安く設定してある。利用者の多くはコストがかからずに「助かっている」との感想を述べる。
こうした移動販売車も問題がゼロではない。公道に車を止めることは道路交通法上で取り締まりの対象となる。法律上、車内での調理が出来ないので衛生管理は徹底しなくてはならない。また、車を停めた付近に飲食店がある場合にトラブルとなる場合がある。こうした業者は簡易に許可を取得できる、あくまでも「行商」という枠組みであり、常に移動できる「豆腐屋さん」のような扱いなのである。
「駐車禁止」の場所であれば5分以内の「停車」は可能であろう。しかしグレーな部分があることは否めない。民有地を借りて正規の営業をしているところもある。調理は出来ないが、火を入れる、冷やすことは可能であるので、あらかじめ用意した食材の適正管理が求められる。
移動販売自体はは被災地などの買い物難民の強い味方になり得る。道路は警察、食の安全は保健所という管轄である中で、利便性を担保するために新たな枠作りが必要だ。グレーゾーンを放置しておけば、正規に店舗を構えて営業している業者が経営的に打撃を受けることになる。
日本の屋台やランチボックスは独特の文化。文化と経済の融合は時にぶつかるが、利用者の安全が担保され、もとから店舗を構えている業者との公平性を保ち、新たなビジネスにつなげることの出来る法令のあり方、ルール作りが必要である。
★ 弁当の移動販売について(東京・港区ホームページ)
★ 移動販売ドットコム
シンデレラストーリー
コラムニストの深澤真紀氏によれば、「草食系」と呼ばれる男性の定義は、「恋愛に縁が無い訳ではないのに、積極的ではない、『肉』欲的に淡々とした『草食男子』」ということだそうだ。傷つくことを嫌がる温室育ち、という定義もあるそうだ。
昨今の社会情勢を考えてみると、はっきりとした実感のある世の中ではなくなってきている。漠然とした中で成果主義が進んだことにより、個人への負担が大きくなってきた。それは例えば職場で顕著になっていることであろう。寸分のミスも許されない、ブレーキで言うところの「遊びのない」空気が漂っている。ブレーキは止まることが出来れば良いが、「遊びがない」ので直ちに止まらなくてはならない。
パワハラ、セクハラはいけないが、何かあればハラスメント(嫌がらせ)だと言われるため、当たり障りのない言動に終始する1日。これでは誰もが「草食系」になる。まるでロボットであるかのごとく。
精神的に余裕がなくなれば、満足な食事や睡眠、そして恋愛をする時間すらなくなる。食事や睡眠も同じだが、恋愛や結婚は本来自然発生的に起こる動物の本能とも言えるにもかかわらず、「婚活」や「街コン」という言葉がわざわざ流行らなければ、男女の出会いすらなくなっているのは異常事態である。
努めて時間を設けるべきである。特に何をするのでもない、本当の意味での自由な時間を得るべきである。悩みがあるのなら、とことん悩むことの出来る時間を作るべきである。解決すべき方法が見つからなかったら、信頼できる人に打ち明ける時間を割くべきである。最近では本当に悩める時間すらなくなっているから、苦しいのである。
知り合いの女性が転職した。前の職場ではいろいろ大変なことがあったようで、そうした経験も踏まえてがんばりたいとのこと。
この国には、シンデレラのようにいじめられて苦しい思いをしている人がいる。そしてカボチャの馬車に乗れない。乗れたとしても、シンデレラガールもシンデレラボーイも、ガラスの靴が落ちていることに気づいていない。働き者のシンデレラの皆さん、ガラスの靴は透き通っているから、それを決して見逃さないで。
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常温で売られる飲料 コンビニで
ボイストレーニングを受けていたとき、喉を守るためのノウハウが張られていた。その中に、「飲み物は熱すぎず冷たすぎず」というのがあった。どちらも喉を痛めてしまう可能性があるからだ。
全国に1600店舗を展開するデイリーヤマザキでは、常温のお茶やミネラルウォーターの販売を始めた。「水滴で鞄がぬれるのがイヤだ」「薬を飲むのに常温の方が良い」と、メーカーのアンケートで4割が常温を支持していた。
そうした要望に加え、冷房が効いている部屋なら常温でも良いと感じることがある。冒頭のボイトレのこともあり、夏季に常温で飲み物を口にすることに抵抗がなくなった。
ただ、熱中症予防の観点では炎天下では冷たい飲み物で身体を冷やすことに意味はある。飲み過ぎればお腹を壊すことも考えられる。
身体の8割が水で出来ていることもあり、水分補給は夏季に限らず大切なことだ。あえて冷たい飲み物を口にするか、常温を口にするかは、その時の状況によってうまく使い分けたい。
ボイトレを習っていたこともあり、カラオケではいかに水分を補給せずに歌えるかという実験をしたこともある。歌に限らずだが、夢中になっていると水分補給しなくても結構長持ちすると感じた。
しかし、炎天下での運動中などは決して無理をしてはならない。こまめに水分補給、涼をとる、休憩を取るということを実践した方が良い。
ちなみに歌を歌うときも、喉に負担をかけないためにときどき水分をとることは必要である。夢中になるものがあると生活は潤うが、喉や体を潤せることもお忘れ無く。
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★ 冷えてないお茶売っています 常温ニーズにコンビニ動く(朝日新聞・13/6/16)
あなたとは50年前につながった
「LINEは50年前に生まれた」などという話題があるそうだ。勿論そんなことはあり得ないが、LINEを始めとする人をつなぐ道具というのはネット文化で栄えた。
固定電話しか無かったころ、相手の家に電話するのが楽しかった。特に異性の家に電話するのには勇気がいる。家族が出ることを予想して、うまく乗り切る文言をあらかじめ用意したものだった。父親がまずい。「どこのNonoさんですか?」なんて聞いてくる。どこのNonoさんでもいいじゃないか、早く彼女に替われ、そう言いたい気持ちをぐっと堪え、下手な敬語と丁寧語を駆使して異性の友人につながるのである。
ポケベルが登場したころ、電波の強かったポケベルは活躍した。数字だけのメッセージが送れなくても、電話以外の手段でつながることがとても楽しい。数字で「4649」(よろしく)とだけの簡易メッセージで相手の気持ちを汲んだ。
時同じくして、ファックスでやりとりした友人がいた。メールがない時代、濃厚な内容と筆跡が家に届いているのは手紙よりも早い楽しいやりとりだった。今でも宝物。
手紙も同じころやりとりした。郵便ではなく、直接手渡しする手紙の内容は恋愛の話がほとんどだった。誰某の気持ちが分からない、私も辛い、といった今考えればたわいの無い話だったが、手紙を書く時間、渡すとき、相手がそれを読む時間、それに返信する手紙、一人の相手の時間を大切に使った。
人のつながりというのは、自分にとって有益なつながりであればほどくべきでは無い。損得勘定をしなければならないつながりというのは解いた方が良い。プラスマイナスを考えなくても良い人間関係が、何かの拍子にほどけてしまったら、それはこっそり結んだ方が良い。人は誰でもうっかり間違える。修復する結び目は自分で強く結ぶべきである。
この先何十年後にもにつながっていられる関係はどれくらいあるだろう。つながりが過去形になってしまう人はどれくらいいるだろう。50年前に何かが生まれた。どうせ言うのであれば、たくさんの時が流れた、50年前にあなたと知り合ったね、そういうつながりを保ちたいものである。そういう過去を作るためには、つながる未来を今から結ぶことだ。
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日本語の便利なオノマトペ、擬音語擬態語擬声語
擬音語・擬態語の事をオノマトペ(onomatopueia)という。ワンワン、ドンドン、パクパクといった繰り返し語や、ツルッ、パクッ、ポンという言葉である。「(星が)キラキラ」は英語だと”twinkle”で済んでしまい、日本語の感覚だと味気ない。日本語ではこうした語が豊富であるがため、日本語を学ぶ外国人はかなり苦労するだろう。
食べ物の味や食感を表すにもオノマトペは活躍する。「もっちり」「とろとろ」「ふわふわした」などに加え、オノマトペではないが、「とろけるような」「こしのある」といった表現は日本語でおよそ800あると言われており、英語表現だとせいぜい200とされる。
大阪で交通事故が起きる。目撃者が警察官に、「車が向こうからガー来て、バーンぶつかって、ダー逃げた」などと擬音語が多く、事故捜査する警察官が苦労するという話を聞いた。ユーモラスではあるが、時に弊害となり得るオノマトペだ。
しかし医療現場では「胃がきりきり痛む」「傷口がずきずきする」という表現は日常的に問診する上で使用されている。こうした表現が無いと状態を伝えるのは困難である。
11日のNHK「クローズアップ現代」ではオノマトペを取り上げており、人がオノマトペを使うときは脳が活性化されていることを報じていた。スポーツの現場でも、膝を折り曲げる時に「グイといけ!」という言葉を使う監督のことが紹介され、「グイ」を使わないと、大変長い日本語での説明になるという。
オノマトペは便利だと思う反面、憂うべき側面もある気がする。正確な言葉が存在するのに、それを使えずにオノマトペばかり乱用使う懸念だ。カタカナで書かれた文字、発せられる言葉というのは時に感覚だけで使われる。それは幼児が車を「ブーブ」と言うのと似ている。幼児はそれで良いが、大人がはっきりした言葉遣いをせずに感覚だけに頼って伝えているとしたら表現として頼りない。
政治家が最近よく使う言葉に「きっちり」というのがある。どれだけ「きっちり」物事を実行してくれているのかいつまで経っても歴史が証明してくれない気がする。雄弁な政治家は過去の物になり、実体も無く、感覚に頼って言葉が一人歩きしてはいないだろうか。「アベノミクス」が単なる擬音語で終わりませんように。
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