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ビルゲイシ 「ツ」と「シ」の違いが分からない

 ロスに行ったときの最初の失敗。宿泊先のコンドミニアムのカギが開かず従業員に訴えた。部屋番号はキーホルダーに手書きされており、「106なんですが」と見せると、従業員は「これはワン・オー・フォーだね」と笑った。「4」が「6」に見えたのである。手書きで雑に書くと確かにそう見えることもある。
 
 そして仕事で申込書の類を見ていると頭を抱えることがある。ミ、シ、ツの判別ができない。ン、ソ、リの区別が不可能。1と7、Ⅰ(ローマ数字の1)にl(エル)、I(アイ)はどれが正しいのか。0(ゼロ)とo(小文字のオー)とO(同大文字)、さらにはSと5、Zと2、0とUとCとLが分かりづらいものもある。9とP、8とB・・・・。
 
 PC上での文字を紙に転記するとき、O(オー)とゼロ、2とZの区別をするために、ゼロとZには斜線を引くように教わった。プログラムは1文字でも間違えれば正常に動かないからだ。
 
 外国人にとって見れば上記日本語は難解なものだろう。しかし憂うべきは、マス目に沿ってちゃんと練習したはずのカタカナなどが上手く書けない日本人が多いということだ。これではノンジャパニーズが悩むのも無理はない。
 
 小学校のころ、「練習帳」で上手く書けないと「書き直し!」と言って投げつけられたことがある。そこまでされる必要もないが、ケータイやPCの変換が便利すぎて、自分の字が綺麗でなくなっていることに愕然とする。しかし日本人に生まれてよかった。今から数千という日本語文字を学ぶのは絶対に嫌だ。
 
 あぁぁ、次々思い出す。漢字の「三」と「ミ」もややこしい。「・(センタービリオド)」「.(ピリオド)」、そして何となく打たれたただの”点”。あぁややこしい、ややこしい。。。。
 
 
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★ 外国人の悩み「ツとシの違いがわからない」(お茶妖精・08/3/8)
 
 

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恋愛のマニュアル

 
 かつてHot-Dog Pressという雑誌がありよく読んでいた。内容は若い男性向けの情報で、服、新製品情報、そして2月ともなれば、”一人暮らしバイブル”の特集が組まれた。そして”恋愛マニュアル”の見出しも躍った。
 
 当時の”恋愛マニュアル”で覚えているのは、その名も”リンゴ作戦”。気になる女の子とデート。食事などを楽しみ、別れるときに「ほら、これあげる」と言って、リンゴを渡すというものだ。リンゴを渡された女の子はそれが印象的になり、その彼を忘れなくなるというものだった。
 
 アダムとイブ作戦みたいな感じがするが、こういうストーリーをよく考えるものだと感心したものだった。リンゴ1つあげて好きな子をゲットできればこんな楽なことはない。これを読んで実際にリンゴを買いに行った若者はいたのだろうか。
 
 マニュアルというのは最初のとっかかりを掴むときには大変有効だ。右も左も分からないとき、フローチャートに従って動くのは間違いが無く安心できる。しかし言うまでもなく人の心というのはマニュアル通りに掴めるものではない。大切なのはマニュアルを土台とし、マニュアルに書いていない事態を予想し自分でマニュアルを完成させることである。それが個性である。
 
 テレビではマニュアル通りにしなかったのが事件・事故を引き起こしたかのように言われている。でも本当はマニュアル以上のものを想像する力がなかったから問題になるのである。
 
 好きな異性をつかまえることのできる人というのは、きっとマニュアルなんて持っていない。それまで生きてきた経験がマニュアルであり、からだひとつさらけ出して好きな人の目の前に立っているものだ。もちろん、リンゴなんて持っていない。
 
 
☆ 愛し合っているというのはお互い見つめ合っていることではない。お互いが同じ方向を見つめることだ。(サン・テグジュペリ)
 
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★ 女性はなぜ「私のどこが好き?」なんて聞くの? 模範解答は?(R25.jp・08/1/25)
 
 

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世界で1位 日本のブログ

 最初にブログを書き始めたのが2004年の9月であった。友人が「ブログを始めようと思う」と言ったことから負けてはならぬと始めた。始めたはいいが何を書いて良いか分からなかった。最初はこのブログもタイトルは違った。「Nono’s Diary」とブログの双方向性を意識した「Nono to friends」とかだった。
 
 タイトルは世にあるニュースを自分の言葉に置き換えて再生することから今のものに落ち着いた。エントリー本文最後に載せている名言・格言の類もいつの間にか入れるようになった。ただ、これには自分の中で葛藤もあった。他人の言葉を最後に載せることで体裁をよくしているような気がしたからである。しかし友人が「楽しみにしている」と言ってくれたことから続けることにしている。
 
 メールやネットで言葉のコミュニケーションが多くなった。手紙よりも手軽であるが、感情を上手に乗せるのは少々コツがいる。それゆえ、言葉が足りなくて相手に不快な思いをさせてしまう失敗もある。言葉の扱いは難しい。口で言うよりも考えてから表現できる手段とはいえ、一応記録に残るものである。責任があると思う。
 
 「私は」といえばうるさく感じるかもしれない。「あなたは」といえば挑戦的だ。自分を語るのか相手に語るのか。どちらにしろ読み手に納得してもらうためには、考えが枯れるまで書き続けるしかなさそうなブログである。
 
 世界でブロガーは多いが、日本語で書かれているものがダントツの1位なんだそうである。
 
 
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★ 世界のブログのなかで日本語がダントツ1位! その理由は?(R25・07/7/19)
 
 

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29年前の手紙入りビンが漂着 青森

 千葉県銚子市で15年前の手紙が海底から発見されたが、今度は29年前の手紙入りのビンが青森で見つかった。ビンの”送り主”は鳥取大学附属中学の郷土研究部で、下関市沖から海流調査用として流した。29年ぶりの調査報告に中学校関係者は喜んでいるという。ビンの中には「海流調査のお願い」と書かれた紙と当時20円だったハガキの解答用紙。下関から青森までの1300キロを対馬海流に乗って旅したと見られている。
 
 いつでもどこでも送信できるメールが日常のやりとりを担うようになって久しい。このメール(mail)という単語ももともとは「郵便物」という意味の英単語であったが、e-mail(電子メール)の意味に使われることから、通常の郵便物は「カタツムリのように遅い郵便」という意味で、snail mailと言って区別されている。
 
 29年前の郵便物はもはや「カタツムリメール」よりも遅かったが、それゆえに感慨深いものだろう。銚子の例も青森の場合も即時性を必要とはしていなかった。未来に少しだけ希望を託したことが、忘れた頃に返ってきた。最近では手紙を書く文具なども逆に注目を集めている。万年筆から封筒や便箋に至るまでオリジナルの物を作ることができる。写真や名前を印刷できるのは、パソコンとの融合であろう。
 
 忙しい日常を送っていると、ふと昔が懐かしくなる。思い出に会うためにはアルバムをひらくか、その思い出の地に足を運ぶことになる。しかし今回のような例は、思いがけずにそれが現実のものとなった。早く時が流れるように感じる世の中に、あえて時間をかけて送られた手紙。自然とはなかなか粋な演出をすることもある。
 
 
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★ 青森:29年前の海流調査用ガラスビンが山口から漂着(毎日新聞・08/1/29)
★ ギョッ!魚の背中に15年前の手紙 川崎から犬吠埼まで“配達”(産経新聞・08/1/25)
 
 
 

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写真 わいせつか否か

 
 芸術本のコーナーにモデルとしての裸が載っている写真集がある。男性も女性も載っていた。アダルトコーナーに置かれている本とは違いわいせつな本とは感じなかったし自然に見ることが出来た。絵を描くときに難しいのは曲線だと美術の先生に言われたこともある。究極の曲線美は女性の裸体であり、普段服で隠されているがために描きたくなる部分なのかもしれない。
 
 男性器の写った写真集を巡り、輸入を禁止するか否かの訴訟上告審弁論が最高裁であった。出版社側は「当時既に国内で芸術的書籍として販売されており禁止は違法」とし、国側は「同じ写真が載った別の写真集を最高裁は『わいせつ書籍』と判断している」とした。
 
 性器の表現が芸術か否かという判断は難しい。ただ、アダルトコーナーの本は性交場面など、性的刺激をあおるものがほとんどであるが、芸術書籍にはそれを感じさせないものがある。一つの指標として考えられるのはその表現方法だろう。アダルト本のそれは女性が足を開き、または表情を作り見るものを興奮させる目的があることが分かる。カメラへの目線やカメラ側の目線がいやらしい。
 
 芸術書籍はとても”興奮できない”のである。表情はカメラを向いておらず、身体全体が被写体となり自然であり質素なものである。女性の胸が色々な形があって面白ければ、男性器も同じである。
 
 ヴィーナス誕生や小便小僧を見て誰もわいせつだとは思わない。芸術における新しい開拓はなかなか判断されにくいものである。
  
 
☆ 芸術家は人がその作品を見て、その作家を忘れる時にのみ真に賞賛される。(レッシング)
 
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★ 写真集:わいせつか芸術か 最高裁で弁論(毎日新聞・08/1/22)
★ 裸祭りポスター:JR東が「待った」…女性が不快感(毎日新聞・08/1/8)
 

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紙の思い出

 何もない紙に文章を書く時、とっかかりがあれば書きやすい。そこを突破口に文章をつなぐのだ。
 
 小学校1年の時、このとっかかりを作る授業があった。「お手紙交換」だった。ルールは折り紙に誰宛に何を書いても良いから一言メッセージを書く。それを相手に渡したら受け取った方は必ず返信しなくてはならない。最終的に多くの返信をもらった人が勝ち、というものだった。
 
 1番になりたかったが強敵がいた。クラスで1、2位の女の子に人気のある男の子だ。こいつだけには負けたくなくて書きまくった。内容は他愛のないもので、「○○ちゃん、家が近いし今度遊ぼう」「いつも仲良くしてくれてありがとう」といった一言である。帰ってきたメッセージは「何でNono君は私のことゴリラって呼ぶの?」や、お手紙交換の順位が上がってくると「がんばって!」というものもあった。
 
 机の上には折り紙メッセージがたまっていった。もう誰に何を書けばいいのかはネタ切れの領域に達していたが、それでも書きまくった。その男の子に勝ちたいがためにだ。しかし、最終的に2、3通の僅差で負けてしまった。紙に書かれる文字というのはその人の顔が見えて面白い。字の個性も人それぞれだし温かみがある。
 
 小学校の先生は、毎週わら半紙にクラス報のようなものを作り、保護者に配布していた。ワープロもなかった時代だったので手書きだ。ミニ新聞のような構成は子供の私が読んでも刺激された。質の悪いわら半紙は半年もすれば色あせてしまうし、消しゴムでこすれば破れてしまう。あの独特な匂いも幼い頃の思い出である。
 
 紙は伝達手段としてその役割を担っている。メールなどの電子化が進んでいても書いた方が速いことは多い。手に持ってじっくり読める本も味わい深い。紙は永遠になくなることはないだろう。そうなれば紙リサイクルの重要性は大きくなる。市販の封筒やコピー紙に含まれる古紙割合が偽装されていることが分かった。買うことで森林保護に貢献していたと思っていただけに、あの大学ノートもニセモノだったかと思うと残念である。
 
 偽造問題は何が偽物なのかではなく、誰がニセモノかということである。こうなると、天然素材のわら半紙が懐かしい気もするが、今となっては普通紙よりも割高なのだそうだ。
 
 
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★ 王子製紙の再生紙9品で偽装、古紙配合率「ゼロ」も(読売新聞・08/1/18)
 
 

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UFOはいるのか、いないのか

 
 ピンクレディの出したシングルで、一番売れた曲が「UFO」だという。当時は同名のインスタント麺も発売されてヒットした。
 
 この未確認飛行物体であるUFOを日本政府が公式に「確認していない」と見解文書を出した。また、町村官房長官は「UFOはいると信じている」と述べれば、”管轄”である石破防衛大臣も「ゴジラが来たら天変地異の類だから(自衛隊の)災害派遣だ」と持論を展開させた。どこかの大学の教授が聞いたら怒りそうな話だが、そもそも未確認飛行物体や、地球外生物というのは存在しているのだろうか。
 
 宇宙のことを知ろうとすると途方に暮れるが、生命、生物、物体、そして現在解明されている宇宙の存在というのも我々人間の解釈の上に成り立っている。人間が納得できる上で論理は進み、地球外生物やUFOの存在の有無が議論されており研究されている。
 
 すると、人間の解釈の及ばない理屈がこの宇宙に存在する可能性も否定はできない。我々が知らない・見えない・聞こえないだけで、そうした別次元にある生命体が街を闊歩していても不思議ではない。ひょっとすると気づかないだけで、いま隣に立っているかもしれない。
 
 そうした見えないものを対象に論議するのも結構だが、今やらなくてはいけないこと、目に見えて山積している問題について議員の先生には熱弁をふるってもらわなくてはいけない。さもなくば、どこかで地球外生物があざ笑っているかもしれない。
 
 
☆ 宇宙(space)に地球人しかいなかったら、スペース(space)がもったいない(「コンタクト」)
 
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★ UFO「確認していない」=政府が初の公式見解文書(時事通信社・07/12/18)
★ UFOめぐって閣内不一致?町村官房長官「絶対いる」(読売新聞・07/12/18)
★ 全米騒然の写真 毛むくじゃらの「ビッグフット」か(産経新聞・07/10/30)
 
 

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ロボットと人間

 ロボットに二足歩行をさせたのはホンダである。人にまた一歩近づいたと思ったが、ロボットの活躍もめざましくなってきている。広いフロアを隅から隅まで掃除する丸形ロボット、ビル内を動いて警備するロボット。彼らは人間の意のままに動いてくれる。
 
 何故ロボット開発が活発になっているかといえば、人間では作業の困難なところや単純作業もこなしてくれるからである。それが人の仕事を大幅に軽減してくれる。飲酒運転を検知したり、道案内をするロボットが登場していることで生活がますます便利になるかもしれない。
 
 ただ、ロボットにはできないことがある。彼らはイエス・ノーを答えることができるが、何故かと問われたときにそれを考える力はない。その部分はどうしても人間が補うことになるだろう。
 
 もしこれらの事までロボットができるようになれば、SFの世界のように人間の存在そのものが危ぶまれる未来もやってくるかもしれない。ロボットの進化よりもむしろ、イエスとノーしか話せなくなっている人間の退化のほうが気になる。
 ドラえもんの人気があるのは、可愛らしいネコ型ロボットだからではない。人間と同じように怒り、笑い、共に泣いてくれるからである。
 
 
☆ ときどき理屈に合わない事するのが人間なのよ(しずかちゃん・「どうして敵を助けるの」というロボットの問いに・『のび太と鉄人兵団』)
 
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★ ホンダ:新型アシモは接客上手、複数で共同作業も(毎日新聞)
 

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