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今年はネットで年賀状作って送ります・2

 今年の年賀状は全てネット上で完成させた。
 プリンタもなかったのでちょうど良かった。
 というわけにはいかなかった。
 
 mixi年賀状は、面識のないかたにも年賀状を送る事ができ、便利なサービスだなと思ったのだが、1人だけ受け取りを「辞退」した人がいた。元彼女だった。彼女いわく、「受け取るための住所を入力するときに、個人情報の扱いについて何も書かれていなかったのでやめた」とのことだ。
 
 個人情報の扱われた方に敏感なユーザーの声である。言うまでもなく、一度情報が漏れてしまうと回収は不可能だ。mixi年賀状は便利なサービスだと思いつつも、受け取り側にいちいち住所の入力をしてもらわなくてはならないところは、相手に不便をかけてしまう。
 
 もう一つ、So-netで年賀状を作成した。こちらは表面も裏面も自分で作る事ので、受け取り側の負担は何もないのだが、個人情報のことは気になる。私が気にしなかったとしても、受け取る人が嫌な思いをするかもしれない。来年はやっぱり自作の年賀状に切り替えなくてはいけないか。
 
 定期的にといってもいいほど、個人情報が流出するニュースを目にする。それを扱う人のモラルに依存しているので、こうなれば「個人情報管理者資格」でも創設したらよいのではないか。それ以外の人には、情報が行き渡らないようにすれば少しは安心できるし、情報を扱う者の意識も変わってくる事だろう。
 
 くだんの「受け取り辞退」した元カノと、「返答期限切れ」になった友人には別途手書きで送ろうと思う。年に一度の紙を使った手紙。作っていて思ったが、自筆のメッセージが入れられないのはちょっと味気なかった。近年は年賀状を書いてくれる人もだんだんと少なくなっている。手書きの住所が書いてあるだけでも、その人を想う事ができる。友人の個性的な文字を見ると、一年を無事に過ごせておめでとう、そう思えるのが年賀状だ。
 
 
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To be or not to be.

 
 物質を構成する最小のものが素粒子と呼ばれるもので、クォークとレプトンがそれであるという。素粒子が結合し陽子・中性子となり、原子核、そこから原子・分子で元素の元となり、物質を構成する。物質は細胞を構成して生物はそこから成り立っている。生物の上には人間がいて、地球、宇宙と続く。
 
 人間は構成されている生物の中で、恐らく中間的なものである。原子ほど小さくなく、地球のように大きくない。しかしこれは、人間含めた生物が存在しているはずである、という前提の上に成り立つ考え方だ。
 「我思う、ゆえに我あり」というが、ときに存在そのものが虚構のものではないかと考えることがある。自分が認識している自分や他人は、もしかすると存在していないのではないか、ということ。存在させられているのではないだろうか。目の前にいる人は見える。見えると認識している。認識していると知覚する。ではどうやって知覚しているのだろう。数の最小単位は涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)といい、1のマイナス24乗である。小さいことは難しい。
 むかし、「宇宙は一体どれくらいの広さなんだろう」ということを友人達と話し合ったことがある。物理学にも天文学にも全員が無知であるために、ほとんど漫画的な考察、推測、はたまたアイディアかヒントくらいのものしか出てこない、それは空虚なものだった。数の最大単位は”無限大数”で10の68乗。さらに仏典に登場する最大の数の単位が不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)といい、無限大数よりも想像できないくらい大きいことになる。大きいものも難しい。
 ノーベル物理学賞と化学賞を日本人が受賞した。その研究内容をテレビやネットで学んだつもりだったが、さっぱり分からなかった。分かりやすかったのは、米ボストン大名誉教授、下村脩さんの”クラゲ”だった。緑色蛍光タンパク質の光を利用して、他の細胞の動きが分かるというものだ。生命科学の分野の発展が期待され、長年に渡って研究された姿勢に頭が下がる。
 それにしても、人間は元が同じ素粒子であるはずなのに、どうしてこうも違うものなのか憂うとことではある。どこでどう違ってしまうのだろう。
 人間の存在は果たして大きいのか小さいのか。それを先祖から引き継ぎ、子孫に託すことで人間の存在は大きくなっていくのかもしれない。そして、賞が用意されていない功績を残している人たちも無限大数のように多くいるはずである。我々はそれを知覚すべく生きていくだけの存在である。そしてきっと誰かが知覚してくれるに違いない。
  
  
☆ 人間と猿のDNAはたった3%しか違わないの。でも、その3%がアインシュタインやモーツァルトを生んだのよ。(映画「ミッション・トゥ・マーズ」)
 
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★ ノーベル化学賞:下村脩・米ボストン大名誉教授ら3博士に(毎日新聞・08/10/8)
★ ノーベル物理学賞:益川教授ら日本人3氏に授与(毎日新聞・08/10/7)
 
 

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活字媒体は生き残るか

 
 マガジンハウスは、40〜50代向けの雑誌「POPEYE」を12月上旬をめどに創刊する。その名も「POPEYE OilyBoy(ポパイオイリーボーイ)」。大人ではなく「大きな少年」ととらえて、ひと味違ったファッションや音楽、そしてグルメなどを紹介する。
 
 この雑誌の名前は、日本で初めてジーンズをはいたといわれる男性で、実業家の白洲次郎氏のイギリス留学中のニックネームから。大好きな車の整備のために、いつも衣服がオイルまみれになっていたことに由来しているという。
 
 インターネットやテレビの普及で雑誌や新聞の活字媒体が苦境に立たされている。アメリカでは多くのタブロイド紙が廃刊となり、「メディアに殺された」状態になっている。国内の夕刊紙、「日刊ゲンダイ」と「夕刊フジ」の2紙は部数低迷から10円値上げすることになった。人員整理によるキオスク店舗の減少なども原因のようだ。
 
 新聞や雑誌が苦戦しているが、テレビも広告費が削られて苦戦している。バラエティにそっぽを向かれた形となり、秋の再編ではドキュメンタリーなどの新番組をぶつけ、新たな視聴者の開拓に臨む。
 
 広告費がネットに流れているという状況は、ある意味において時代の流れをくむ形とも言えるが、一方で危険もはらんでいる。民放がスポンサーや大手プロダクションを気にして、関連する報道を控える傾向にあるのと同様に、ネットが広告費のみで運営されている現状は脆弱な部分でもある。
 
 無料で情報を探すことのできるネットは便利であるが、広告費のみで運営されれば当然、テレビのようにスポンサーが関連した不祥事などは伝えづらくなる。これは極めて危険な傾向だと言える。
 
 読売新聞サイト内にある「発言小町」が女性に人気だ。1人が質問を投げかけて、それに対して誰かがそれに応えたり、共感したり、反論したりするものである。他の掲示板などと違うところは、編集部のチェックがあることだ。不必要な誹謗中傷などは排除されるので、質問をするほうも読むだけの人も安心できる。
 
 発言小町は携帯版では月額105円を徴収している。このほか読売新聞のみならず、他の新聞社も有料会員向けの情報提供サービスをしている。紙面とネットという狭間にあり、力配分に気を使うところであるが、徐々に有料サービスは増えていくのかもしれない。または、タイトルだけは見ることができても、本文を読むには有料という道も可能性としてはある。
 
 そもそも何でもただで手に入るという風潮がおかしいと思うことがある。気軽にファイル交換などが行われているが、新聞記事も小説も音楽も全て無料状態でネット上に散らばれば、それを創作する人たちが育たなくなるのは至極当然である。
 
 消費者の財布のひもが固くなったこともあり、苦戦しているのはマスメディアだけではないが、家族揃ってテレビを見る時代はとっくに過ぎており、そうした分散した家族にどうやって情報提供していくかが、活字メディアの生き残りにつながるであろう。
 
  
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★ オヤジ版「ポパイ」年内めどに創刊 雑誌不況に挑戦(産経新聞・08/10/7)
★ 大手2紙が値上げ! 夕刊紙にも活字不況の波(日刊サイゾー)
★ 【eye】雑誌不況 底なし ネット台頭、紙代も高騰 (産経新聞・08/9/24)
 
 

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神様の力、身近なところで

 
 京都市営地下鉄の駅ホームで、酔っぱらいに立ち小便をさせないために1つのアイディアが役に立っている。該当場所に鳥居の絵を張っておくのだそうだ。さすがに神様に向かっての愚行は泥酔状態の客をも引き締めるのかもしれない。
 
 関西はこうした”ミニ鳥居”の存在が珍しくないようだ。あちらこちらにこうした鳥居が目を光らせているのだという。そういえば、都内で以前に住んでいた家の近くにも小さな鳥居があった。ある家の玄関横の植え込みに手製の鳥居があり、そこには「ここにゴミを捨てるな」とあった。
 
 見えない力に畏敬の念を抱くというのは大切なことだろう。特定の信仰をしていても、していなくても、「こんな事をしてはいけない」と自分を戒めるのは、こうした見えない力が働くことによる。「頑張れば報われる」と思うのは、自分の中に宿っている今の自分にはない奇跡を育む考え。それが導き出されるであろうという一種の信仰だ。
 
 そして「こんなことしてはバチが当たる」というのも、自分の中に宿っている今の自分にはない天罰を想像する信仰だ。
 
 東京・渋谷区の表参道はブランドショップやカフェが軒を連ねて、けやき並木が美しい通りであるが、この通り沿いにはゲームセンターやパチンコといった風俗店がない。なぜ風俗店がないかというと渋谷区でこの通り沿いを「文教地区」に指定してあるからだ。なぜ文教地区に指定しているかというと、「表参道」であるからだ。この大きな参道は明治神宮へつながっているのである。その参道に風俗店があるのはよろしくないからだ。
 
 10年前まで、表参道はクリスマスとなるとイルミネーションで賑やかになっていた。しかし、見物人の騒音やゴミの苦情が近所から絶えなかったことにより、そのイベントは廃止となった。もしあの時、この通りが参道であり、恐れ多い場所であることを大々的に告知していれば、そうした理由でのイベントの廃止は回避できたのかもしれない。
 
 
☆ 真実は行為で示され、 それを飾る言葉はない(シェイクスピア)
 
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★ プチ鳥居大集合
 
 

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車に乗らない若者

 「今の若者は車に乗らず、飲み会にも行かず、旅行もせず、趣味は貯金という寂しい世代」。
そんな文句が今春くらいに多く見られた。しかしこれは不気味なほど堅実な若者の姿であろう。金回りがよければ、勢い余って車でもオーディオでも買ってしまうのが若い男性の性というものだ。その自制が働いているだけ実に賢いと思う。
 
 そもそも高賃金は期待できず、年金は崩壊し、車に入れる液体も信じられないくらい値上がりしている。勢い余って車を買おうにも、最初の一歩が踏み出せないのは当然だろう。今は若い男性にとって我慢の時なのかもしれない。
 
 苦しんでいるのは若い男性ばかりではない。若くない男性も苦労しているようだ。一時期に比べて接待ゴルフは激減し、中高年のゴルファーが少なくなっているのだ。
 
 平成バブルの時に、誰もが好景気に浮かれていた中で、堅実に貯金をしていたのは女性だった。バブル崩壊後、マンションを購入する20代から30代の女性が多く見られた。女性というのはそういう堅実な才能があるようだ。
 
 昨今の若手プロゴルファーの活躍も後押しし、ファッショナブルな服装に身を固めて低価格となったゴルフをプレーする女性が増えているのだ。これまでゴルフに触れたことのなかったファッション雑誌もゴルフ特集を組んだ。
 
 こう考えると、男性は不景気を乗り切る策において、女性を見習った方がいいかもしれない。苦難の時代をさらりと乗り切っているのは女性なのだ。
 
 車がステータスであった時代、誰もが立派な車に乗っていたわけではなかった。中古車もあれば軽自動車もある。それでも「家まで送ってあげる」と言えば、大抵の女の子は喜んだ。車の種類ではなく、あの狭い空間に女の子と二人きりになることのできる口実が車だった。あの空間をコミュニケーションの一つとしていた。今はそのコミュニケーションの手段が、携帯になり、メールになり、ネットになっただけに過ぎないのだと思う。
 
 いつの時代も男は大変です。
 
  
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落書きと日本人

 「2ちゃんねるは便所の落書きだ」と最初に言ったのは筑紫哲也さんだという。でも私のほうが早い。98年頃、「東芝クレーマー事件」というネット上の騒ぎ(「祭り」という)があり、そこに書き込みをした。ところが「反撃」を食らって頭に来た私は「こんな便所の落書き・・・」というフレーズを使った。2ちゃんねるがまだ分類化されていないころのお話。
 
 イタリア・フィレンツェ市内、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に落書きをした女子大学生が厳重注意の処分を大学から受けた。そして他の大学生、高校の野球部監督も処分を受けた。少し厳しい気もするが、名前を書いての堂々の犯行の告白は放っておくべきではないだろう。旅行をすると開放的な気分になるのは分かるが、たとえ周りが落書きをしていても、真似してよい合理的な理由がない。
 
 ところで、ツアー会社「エクスペディア」のアンケートで、ベスト・ツーリストとして日本人が堂々の一位を獲得していた。以下順位及び詳細。
 
 総合順位 1. 日本人 2. イギリス人 2. ドイツ人 4. スイス人 6. オランダ人 詳細としては、「行儀のよい旅行者」、「礼儀正しい旅行者」、「ホテルで静かな旅行者」、「苦情の少ない旅行者」で一位となっている。
 
 こんなに評価がよいとは知らなかったが、これは誇れることである。日本製品のみならず、日本人そのものに評価があるのは素直に嬉しいところだ。人間の素行はなかなか誤魔化せるものではない。見ている人はちゃんと見ているのだ。
 
 しかし近年の日本では落書きが酷く、どこの商店街でも対応に苦慮している。海外から来た人たちが日本の街を見てガッカリするようなことはあってはならない。していることは犯罪であると知らしめる必要があり、断固とした措置が必要だ。
 
 最近の落書きは手の込んだものが書かれているようである。最近、「へのへのもへじ」を見ることはなくなり、すっかり過去のものになってしまったようだ。
 
 
☆ えーい 紙をまっくろけにぬりつぶしちゃえ。なんとかなるだろう。物語はここから始まるのだ (手塚治虫)
 
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★ 99年「東芝クレーマー事件」の男、窃盗容疑で逮捕 福岡(本ブログ・09/7/3)
★ 旅行者のイメージ調査結果発表(08/7/3)エクスペディア)
★ 落書きの呆れた日本観光客について(レコードチャイナ
★ 「SANTA」の落書き犯逮捕(産経新聞・07/11/28)
 
 

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「環境に優しい」も偽装か ~偽装エコロジー~

 
 何かおかしいな、本当に100%再生紙なのかな、と思っていたら、今年の1月に再生紙偽装問題が発覚した。大手製紙会社4社は再生紙商品のほとんどが偽装であったことを認めた。偽装や改ざんの問題が次から次へと明るみに出て、感覚が麻痺していたところの新たな問題であった。ついでにいうと、うちの自治体は結構な物を”燃やせるごみ”として捨てることができる。紙くず・生ゴミの他に、グローブなどの革製品、汚れの落ちないプラスティック製品、CDはケースごと捨てられる。
 
 妙だなと思っていたのには、リサイクル名目でゴミを回収しても100%の純度が保たれることはない、そう素人考えで思ったからである。この、”100%”リサイクルにならないことを踏まえて環境問題を考えなくてはならない、そういう本が「偽装エコロジー(武田邦彦著・幻冬舎)」だ。
 
 例えば「レジ袋は使うべき」、「割り箸は使うべき」、「バイオエタノール理由促進はただのエゴ」、「冷房28度設定は意味無し」、「温暖化で世界は水浸しにならない」、「石けんのほうが環境にいい、は誤解」、「ダイオキシンは危なくない」、「生ゴミを堆肥にするのは危ない」といった具合に驚くべき内容になっている。今まで知っていたはずのエコ対策が実に全否定である。
 
 「レジ袋」は、石油でそれまでに使われずに廃棄されていた成分を有効利用したものであり、それをやめるとなると、エコバッグや当然に必要なゴミ袋を作るのに、石油の本成分を使うことになり、全く環境によくない、というわけである。
 
 こうした”危機的エコ対策”にはどうすればよいか。著者であり、工学博士の武田邦彦氏はこう言う。
 
 「好きな人がいれば、1杯のコーヒーでも夢のような2時間を過ごすことができる。もし好きな人がいなければ、電気街に行ってパソコンを山ほど買い、一人で家にこもるしかない」。
 
 どういう意味かは本を読んでいただきたい。読んでみて分かったことは、本当の環境問題を考える上で、間違った知識は遠慮無くどんどん捨てるべきだということだ。
当ブログのタイトルも怪しくなってきた。。。。。
 
 
☆ 楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ(ブルデンチウス)
 
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★ 産経抄(産経新聞・08/7/2)
★ 【リサイクル再考】ペットボトル編(上)トラックは「空気」を運ぶ!?(産経新聞・08/6/24)
★ 【リサイクル再考】「ペットボトル」編(中)意識醸成へ割高も「我慢」 (産経新聞・08/6/25)
★ 【リサイクル再考】「ペットボトル」編(下)(産経新聞・08/6/26)
 
 

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人々がブログを書く理由

 
 ブログを書き始めた理由は自然の流れであることを前に書いた。それでも時々聞かれることがある。「何でブログを書くの?」。それに対する答えは簡単で、書くのが好きだからである。そもそもこの類の質問は少々妙である。
 
 一般に、音楽活動をしている人になぜ音楽やっているかは聞かないし、絵を描く人にその質問をする人も少ない。どんな創作活動でも「嫌で嫌で仕方ないがやっている」という人は稀であろう。そうしたアーティスト達の根底にあるものは自己満足だ。頭にある感覚を形にしたいから必然的に活動することになる。あわよくば、それらの作品が人に触れられる事があれば嬉しいことであるに違いない。
 
 しかし、この作業を続けて行くにはジレンマがある。食べていかなければならないので、1日の時間全てを自己満足に費やすことは往々にして困難であるということだ。それを仕事とすることができれば幸せかもしれないが、今度はそれらの作品が売れないと生活できないという事態に直面する。そうなると、彼らの一部は商業的成功を意識して作品制作に取りかかる。これは恐らく辛い作業に違いない。
 
 そうしたアーティストではなくても万人に共通するものがある。例えば人に話を聞いて欲しい人がいる。話すほうは自己満足であるが、相手に理解してもらえるように話を進める。こうした行為はアーティストの根底にあるものと全く同じものだと思う。
 
 本当に人を感動させる文や絵も音楽も、決して単なる勝手な自己満足で終わることはなく、相手に伝えたいというささやかな思いやりが作品に散りばめられているものである。
 
 
☆ いや、こちらが与えにゆくんです 。(岡本太郎・海外で個展を開く前、「今度あちらへ行かれて、何を得てこられるのでしょうか?」と尋ねられ)
 
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★ 岡本太郎の巨大壁画、東京・渋谷へ(朝日新聞・08/3/18)
★ 岡本太郎:「明日の神話」東京・渋谷に設置決定(毎日新聞・08/3/18)

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