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最近の報道で見える容疑者の顔

 最近ニュースを見ていると、警察署に入ったり出たり移送される容疑者の顔が報道されることが多い。かつては新聞でもニュースでも容疑者の顔は出たものであるが、その後は重大事件でない限りはあまり顔が公にならなくなった。しかし昨今は重大事件ではなくても顔が映される。
 
 裁判で有罪が確定するまでは推定無罪の原則があるから、容疑者の段階で顔を公表することは人権上の問題もあったのかもしれない。しかしあくまでも「容疑者」として扱っているので、報道側も昨今の犯罪情勢を考えて顔の公表に踏み切っているのだろう。
 
 多くの警察官に囲まれて報道のカメラを一瞥(いちべつ)する容疑者。ふてぶてしい態度の者もいれば薄ら笑いをしている者もいる。犯罪を行った割には堂々としているものである。
 
 顔の公表で犯罪の抑止力になればよいが、残念ながら法を犯す者にはあまり意味のない社会的制裁かもしれない。いつものことながら、ああいう映像を見て法を犯してはならないと考えるのはもともと犯罪行為と無縁の善良な市民である。
 
 容疑者の情報で重要なのは顔だけではなく住所も同じである。かつて関東地方のある地域でわいせつ事件が発生した時に、不審者情報が学校長から警察に知らされた。警察はその情報から一人の男を割り出してスピード逮捕にこぎ着けた。
 
 この男は以前にわいせつ事件で逮捕された時に住所が公表され、校長が男の住所が学区内であることを懸念し、「不審者がいたらすぐに知らせて」と保護者にあらかじめ連絡をしていた。それが奏功し早期逮捕につながったのだ。
 
 性犯罪に限っていうと、前科者の居場所を公表する取り組みは遅々として進んでいない。子供が被害者になる犯罪は増えているが外国並みにチップを埋め込むという方法や、住所を公開するという流れは日本では進んでいない。性犯罪被害者が一生苦しむかもしれないほどの害を被っているのだから、犯罪者にも同様の苦しみを与えるべきである。
 
 犯罪者のプライバシーを守ることは更生をする上で大切なことである。しかしそれが被害者のプライバシーを上回るようであっては絶対にならない。
 
 
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オバマ大統領「低姿勢すぎ」と酷評の米メディア きれいなお辞儀なのに

 飲食業や販売をする接客業などでは、お辞儀の練習から始まると言っても過言ではない。「会釈」がだいたい15度ほど上体を前に傾ける。敬礼が30度、「ありがとうございました」「誠に申し訳ございません」の最敬礼が45度くらいだが、場合によっては90度になることもある。会釈もタイミングが難しい。いつも頭を下げてばかりでは会話や場の雰囲気に余計な時間を作ってしまう。会釈が汚い人というのは、視線も相応に下げていないためである。相手を見ながら敬礼をしたら失礼である。
 
 来日していたオバマ大統領が天皇皇后両陛下の前で行った”最敬礼”が米国内で波紋を呼んでいるという。「低姿勢すぎる」「米国大統領として不適切」「ペコペコ頭を下げた」「日本人受けすると考えた」と、米メディアからは酷評が並ぶ。言論の自由が、首長の表現の自由にケチをつけた。
 
 何が問題なのかが分からないが、「郷に入れば郷に従え」の例えで、オバマ大統領はそれを忠実に成し遂げただけのことだ。日本人が会釈や敬礼、そして最敬礼をすることもよく知ってのことだろう。そんな大統領に敬意すら感じる。
 
 会釈や敬礼がきれいな人というのは決まっている。それは胸を張る姿もきれいなのである。オバマ大統領の演説は英語出版関係者によると垂涎ものであるという。それは説得力のある話し方、英語の言葉の選び方、そして堂々と語るあの姿勢。どれをとっても一流なのだという。そうした人には威厳を感じるし、威厳のある人が敬礼する姿というのはみっともないどころか、メリハリのある堂々とした社交マナーである。
 
 日本の大手企業・組織のトップが会見で頭を下げることが多くなった。それもほとんど最敬礼である。これから組織のトップになる人はお辞儀をマスターすることが必要になるようだ。お辞儀の仕方が分からなかったら、アルバイトに聞けばよい。
 
 
☆ マナーというものは、ソースをテーブルクロスにこぼさないことではなく、誰か別の人がこぼしても気づかぬふりをしているところにある(チェーホフ)
 
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★ 「低姿勢すぎる」オバマ氏の天皇へのお辞儀に批判(イザ!・09/11/16)
 
 
 

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老老介護の現実  進行する高齢化の問題

 このブログの中に「本日人気のあるエントリ」というのがあり、アクセスの多いものが並んでいる。最近は見なくなったが、かつては「南田洋子の認知症『介護は恩返し』長門裕之」がトップに上がっていた。テレビで見かけなくなった南田洋子さんが認知症を患っていたことに多くの人が衝撃を受けたことであろう。この様子はテレビで放映された。
 
 このテレビ放映に対して嫌悪感を覚えた方も多くいる。つまり、「認知症の妻をテレビで見せ物にするとは」というものである。本人の意思が確認できないのに、そのプライバシーを勝手に放映するとはよろしくない、ということである。長門さんに対する反発もあるであろうし、テレビ局に対してもそうであろう。その考えはよく理解できる。
 
 参考までにこのブログで「南田洋子さんのテレビ公開」についてアンケートを募ったところ、反対が7,賛成が16、どちらとも言えないが6であった。私は賛成である。南田さんの意思が不在であるのは認知症が進行している状態ではどうしようもない。そうであれば南田さんの代理人、すなわち成年後見人である長門さんの意思決定が重要になる。
 
 長門さん自身も高齢でありお金の問題もある。公開することで経済的負担をなくせる部分があることも本音だと推測する。とりわけ子供のいない長門夫妻が頼れる介護者はデイケアのヘルパーさんであり、長門さん自身である。
 
 家庭によっては施設に入院させることもできるであろう。しかし誰もがそれをできるわけではない。老老介護の現実を知る機会は少ない。6年後には日本の人口の4人に1人が65歳以上になる。これはもう一部の人の問題ではない。
 
 介護の経験をまとめた本なども多数あるが、映像のほうが分かりやすいことが多い。そういう意味で老老介護の現実を知る上で必要な情報の提供方法だと思う。そして夫婦で過ごせるという意味で南田さんは幸せだとすら思う。
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 
 
 介護が起因する悲劇は後を絶たない。その中で印象に残っているのが、2006年に京都で起きた承諾殺人である。
 
 京都市伏見区の河川敷で母親(当時86歳)を絞殺した50代の男性被告は、被告人質問で事件の経緯について語った。男性は介護のために仕事を辞めた。生活保護費の受給申請に福祉事務所を3回訪れたが申請は拒否された。生活費を削るもアパート代金すら払えなくなった。男性は母親に対して献身的な介護を続けていたが、経済的に困窮してしまい絶望した。母親を殺して自分も死のうと決意した。
 
 「母親に『僕と一緒にどこにでも行こうか』と聞くと、にっこり笑ってくれた。最後まで2人で行こうと思いました」、「この手は母親をあやめるための手か。心の負の遺産を作ってしまった」と涙ながらに述べると法廷は静まりかえり、傍聴席からすすり泣きが漏れた。
 
 検察側は「被告は母親をこよなく愛し、一緒に行きたいと思い、最後の瞬間まで介護を続け、被害者と心中に至った。しかし親族に援助を求めることなどもできたのに『人に迷惑をかけてはいけない』という自分の生き方を優先させており、命の尊さに対する理解が欠けている」とした。これに対して弁護側は「法的に非難することはできても、道義的に非難することはできない」と反論した。
 
 検察は被告を非難したと同時に「被告は母親を長年にわたって献身的に介護しており、2人で生活できる方法を模索したが、見つけることができなかった」と被告に有利な情状も述べている。
 
 06年7月21日に京都地裁で男性に対する判決が出た。承諾殺人と銃刀法違反の罪に問われた男性に対して、東尾龍一裁判官は懲役2年6ヶ月(求刑3年)、執行猶予3年の判決を出した。
 
 「被告は行政からの援助を受けられず、経済状態が急迫し、心身ともに疲労困憊となり、愛する母親をあやめた。その苦しみや絶望感は言葉では言い尽くせない」。「母親は献身的な介護を受け、犯行前日には、思い出のある京都市内の繁華街を案内してもらっている。恨みなどを抱かず、厳罰も望んでいないと推察される。自力で更生し、母親の冥福を祈らせることが相当」と述べた。 
 
 判決の後に同裁判官は「生活保護行政も問われている。事件に発展した以上は、対応すべきだったかを(関係者が)考える余地がある」と福祉行政について踏み込んだ発言をしている。
 
 東尾裁判官は最後に被告に対して「絶対に自分をあやめることはしないようにして、お母さんのためにも幸せに生きてください」と諭した。
  
 公判を傍聴していた男性(60)は「母親は4月に亡くなったが、自分も『母親と一緒に死にたい』と思ったことがある。こういう悲劇が起きなければ、介護で辛い思いをしている人の声が世間に届かないことが悲しい」と述べている。
 懸命に介護をしていても、それが犯罪になってしまう悲劇。手を下した男性は悪い。しかしそのきっかけを作った所に責任はおよばない。これは3年前の事件であるが、その後も同様の事件は続いている。
 
 
※ 「承諾殺人」の男性はその後に亡くなっていることが分かりました↓
 
★ 介護殺人その後 加害者も心に大ダメージ 社会復帰に壁(毎日新聞・2016/1/5)
 
 
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★ 南田洋子の認知症「介護は恩返し」長門裕之(本ブログ・08/10/4)
★ 消えていく記憶 認知症の南田洋子(本ブログ・08/11/3)
★ お年寄りと接する”常識”の変化(本ブログ・09/2/19)
★ 認知症妻介護役を好演 長門裕之 「ショカツの女・3」
※「京都の承諾殺人」参考=読売新聞06.6.22、06.7.6、06.7.21、06.7.22。
 
 

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逃げるよりも速かったツイッター 地震速報

 11日早朝の静岡沖地震のとき、ちょうどテレビを見ていた。テレビではのりピーの事件に続いて、北朝鮮で「アリラン祭」という祭りがやっていると放送していた時だった。
 
 ポロンポロンという音と共に「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」というアナウンスと共に「静岡 山梨 神奈川」と表示があった。前のエントリで「東京という表示を見たときは生きた心地がしなかった」と書いたが間違いだった。「山梨 神奈川」ということで、隣の東京にも来ると思い慌てたことによる。加えて静岡県に母が滞在していたので不安になったのだ。
 
 同速報時にPCを開いていたので、メールからツイッターに「静岡、神奈川、山梨で緊急地震速報、東京でも」と打ったところで揺れが来た。それと同時にメールを送信。あとで送信メールの時間を確認したところ午前5時7分54秒。ツイッターは速報に威力を発揮するのはこの手軽さにあると確信した。
 
 一部のブログサービスでもメールで送信・投稿ができるが、件名(エントリのタイトルとなる)と本文を入力しなくてはならず、ツイッターのようにメール送信時に「件名」にのみ入力すればいいというわけに行かない。なお、メールでツイッターに送信する場合は、件名欄か本文欄のどちらかでよい。
 
 家族や友人などの「モバイルツイッター」のページを保存しておけば、気になる人の「つぶやき」を確認できる。これも災害用伝言板代わりになるかもしれない。自分も「無事です」とつぶやけばよい。メールで安否を一斉送信するより楽だ。通話規制がかかると、携帯も固定電話も通話ができない。
 
 ブログやホームページの更新と違い、ツイッターは投稿時間が短くて楽である。速報を流すことに威力を発揮するので、メールとは違った使い方が工夫できそうだ。
 
 前回の繰り返しになるが、緊急地震速報が出たら、倒れそうなものから身を避け、火は消し、余裕があったら逃げるなどするしかない。実際にこの速報が出たら、できることはほとんどないことを実感した朝であった。
 
 
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今回は伝えたマスコミ 草なぎ君の逮捕

 
 SMAPの草なぎ君が逮捕されたと聞いた時に思ったのが、またマスコミはそろって及び腰になるのではないかということだった。というのも、平成13年に東京・渋谷で稲垣くんが公務執行妨害で逮捕された時、産経新聞は社会面の右ページ上段に比較的小さい扱いで報じていた。芸能人の”逮捕”ならば通常は社会面左ページの扱いであろうに。他紙は知らない。
 
 テレビも同様であった。交通事故でも伝えるかのような”ごくありふれたニュース”扱いである。それどころか、当時のテレビ朝日では容疑者呼称を付けずに「稲垣吾郎スマップメンバー」と呼んでいることに驚いた。他社も同様の扱いで、力を持つプロダクションなのは分かるが、日本のマスコミには正義のかけらもないものだと失望した。
 
 だが今回は違った。時間を割いて積極的に報道していたのは日本テレビのように感じたがどうであろう。NHKですら夜7時と9時のニュースではトップで報じた。他局も同様であったが、報道ステーションの冒頭のニュースは「北京で洋服チェーン店オープン」であって驚いた。なぜこの日に中国国内の地域ニュースなどを冒頭に流す必要があるのだ。そこで消したので、後は分からない。
 
 今日になっても草なぎ君事件はどこでも報じていた。公然わいせつ罪にしては異例の報道体制だが、犯罪の態様そのものよりも、あの「草なぎ君が」という部分が大きいのだろう。
 
 鳩山総務相は草なぎ君の逮捕に際して「最低の人間だ」との発言を撤回した。「彼は日韓友好にも尽力している。あの時ははらわたが煮えくり返っていた。人は多面的に評価しなくてはならない」とした。
 
 総務相のお兄さんである、民主党の鳩山由紀夫幹事長は「逮捕され、すぐ自宅が捜索される。そこまでやる話なのか」と、草なぎ君事件について述べた。これは小沢代表の公設秘書が、西松建設の違法献金事件を巡って、検察批判を繰り返している中での発言のうち、「どんな基準で立件する、しないかを国民、少なくとも政治家に提示する義務がある」と発言した後のことであった。
 
 そして何故かいつも「この人は・・・」と言われて画面が変わって登場する石原都知事は、草なぎくん逮捕について「ストレス発散したいこともあったんでしょう」と微笑んだ。
 
 ところで処分保留で釈放された草なぎ君は、24日夜に記者会見をした。黒のスーツ姿で弁護士と現れて「この度は、ファンの皆さま、各関係者の皆さま、スマップのメンバーのみんな、本当にご心配をおかけしました。たくさん迷惑をかけてしました。本当にすみませんでした」と頭を下げた。
 
 「僕はたくさんお酒を飲みまして、自分でも訳が分からなくなるくらいになりました。僕の弱さです。大人として恥ずかしい行動を起こしてしまいました。とても反省しております」「メンバーには、ごめんなさいと話しました」とした。
 
 もういいよ、草なぎくん。謹慎期間が過ぎたらまた頑張ってね。
 
 
☆ 過去は安い本と同じ。読んだら捨ててしまえばいい(『ヤングガン』) 
 
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★ 草なぎ容疑者逮捕「そこまでやるか」 民主・鳩山氏が批判(読売新聞・09/4/24)
★ 鳩山総務相「最低の人間」発言→撤回 草なぎ容疑者逮捕で(読売新聞・09/4/24)
★ 「大人として恥ずかしい」草なぎさんが謝罪会見(読売新聞・09/4/24)
 
 

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時効成立 井の頭公園バラバラ殺人

 容疑者も真相も時効とともに闇に消えた。平成6年(94年)4月23日に、東京・三鷹市の都立井の頭恩賜公園内で、近くに住む一級建築士、川村誠一さん(当時35)の遺体がバラバラにされて見つかった事件は、24日午前0時に公訴時効が成立した。
 
 この事件は気になっていた。事件発生当時も今も、京王井の頭線沿線に住んでいる。時々この公園を散歩することもある。そして一番気になっていたことは、都内でも名高いこの公園で起きた猟奇的な殺人・死体遺棄事件の続報が当時は全くと言っていいほど無かったのである。しかし産経新聞の記事を読んで納得した。この事件の3日後に名古屋空港で中華航空機が墜落、264人が死亡する大事故が起きたのだ。報道紙面はそちらに割かれた。
 
 そして捜査していた警視庁だが、翌年3月に未曾有のテロ事件である「地下鉄サリン事件」が起きた。当時捜査一課の元刑事(61)はいつものように捜査本部のある三鷹署に向かっていたが、「築地署に向かって欲しい。霞ヶ関で大変なことが起きている」と電話連絡を受けた。捜査一課員は全員招集され、三鷹署捜査本部は解散になったという。
 
 オウム関連事件・捜査はその後収束するが、捜査一課が三鷹署に再び戻ることはなかった。都内では新しい事件が次々起きている。凶悪事件になれば所轄署に捜査本部が設置され、捜査一課が捜査支援に乗り出す。元刑事も三鷹署ではなく、別の捜査本部に行くことになったのだ。新たな物証などが見つからない限り、捜査本部体制での再捜査は行われない。三鷹署だけで継続捜査するしかなかった。
 
 地下鉄サリン事件の4ヶ月後に発生した「八王子スーパー強盗殺人事件」、平成12年12月の世田谷一家殺人事件の2件は、継続捜査されている稀なケースであるという。そして所轄の三鷹署管内でも「居酒屋副店長強盗殺人事件」「薬局店内強盗殺人事件」の少なくとも2件の強盗殺人事件が未解決のままだ。
 
 05年1月1日の法改正によって、殺人のような死刑に該当する罪に対する時効が15年から25年に伸びた。しかし、法律の不遡及、つまり遡って適用しないという大原則があるため、05年より前に発生した殺人事件の時効は15年のままだ。
 
 井の頭公園はそのほとんどが三鷹市に属するが、一部は武蔵野市にも属している。近くには都内有数の繁華街を持つJR吉祥寺駅がある。賑やかな公園ではあるが、夜になると街灯があるとはいえ暗くなる。園内を通過する地域住民以外に、外部の人間がいたとしても分かりにくい。
 
 そしてどうしても分からないことがある。なぜ犯人はこの公園に被害者を遺棄したのであろう。仮に現場から離れたところから車で来たとして、駐車スペースから園内の複数のゴミ箱に遺棄する事はかなりの手間に思える。
 
 時効で終結した今回の事件。しかし本当は時効よりも、断続的に物証や目撃証言が見つからなかったことが残念でならない。被害者である川村さんの無念さを思うと非常に残念なことである。そしてどこかに潜伏している犯人が憎らしいし、日常生活を送っていると思うと腹が立つ。警視庁によると、捜査1課が特捜本部を設置した殺人事件のうち、昨年だけでも6件が時効を迎えた。時効が成立してその壁が無くなるのは犯人だけだ。残された遺族にとっては、壁のままであり続けてしまうのである。
 
 
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★ 【衝撃事件『未解決』の核心】異常さ際立つ猟奇的犯行 なぜ捜査は暗礁に…井の頭公園バラバラ殺人事件(上)(産経新聞・09/4/18)
★ 【日本の議論】時効の壁はなくせないのか?(産経新聞・09/3/29)
★ 「終わらせない」 井の頭公園切断遺体事件、23日時効(朝日新聞・09/4/22)
 
 

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紙一重の紙メディア

 広告収入の減少によりアメリカの出版各社がリストラを強化している。経済誌「フォーブス」では50人の人員削減、1週間の無給休暇などを通告した。新聞社もロサンゼルス・タイムズなどを傘下に持つトリビューン社が破綻、ニューヨーク・タイムズも報酬カットや社屋売却、AP通信は人員の約1割削減に追い込まれた。
 
 不況による広告減収だけが原因ではない。数年前からアメリカのみならず日本でも新聞や出版社が苦戦し続けている。それは情報受信者である購買層がテレビやインターネットに流れてしまったことが大きい。アメリカの一部の新聞は「ネットに殺された」と表現している。
 
 テレビも苦戦している。広告収入減も一因だが、タレントが騒いで楽しんでいるだけのような、在り来たりの番組作りに視聴者がそっぽを向いてしまった。昨年秋の改変期には、視聴率が好調であるNHKの「クローズアップ現代」のようなドキュメンタリー番組の放送に着手した局もある。
 
 しかしながら、テレビ番組には放送倫理違反を勧告されたテレビ朝日の「報道ステーション」や偽証問題で社長が辞任をした日本テレビの「真相報道バンキシャ!」といった具合に、テレビ番組が過去にやらせやねつ造で非難を浴びたのにもかかわらず、自浄作用が機能していないことも視聴者をあきれさせたと言える。
 
 話しを紙メディアに戻すと、不況と活字離れが指摘されているにもかかわらず、部数を伸ばしている雑誌が「Hanako」(マガジンハウス)だ。歴史ある雑誌が休刊や廃刊に追い込まれる中で、確実に部数を伸ばしているという。昨年のリニューアル時期に編集長に就任した北脇朝子氏の手腕が大いに発揮された。写真選びとレイアウトに時間をかけて「よりビジュアルを重視した紙面構成」を構築した。
 
 さらに、1冊の特集に社員編集者1人が1つの特集を全て担当することで、特集テーマの軸がぶれずに紙面に統一感が生まれるのだという。これは読者に媚びてモノを作ろうとするものではなく、「これが今号のHanakoです」と自己主張させることで読者を引き寄せるコツなのだろう。この自己主張に読者が少しずつ共感を覚えたに違いない。
 
 この手の雑誌の広告も凝っていることが多く、一見すると広告なのかコンテンツなのか分からないことがある。そんな異次元の世界に引き込むのがこうした雑誌である。しかし読者を夢中にさせるのはビジュアルを重視することだけではない。
 
 つまるところ、どんな媒体でも大切なものといえば情報である。人は情報を求めてあらゆるメディアに接しようと試みる。取材スタッフが苦労して手に入れた情報であれば報われるだろう。しかしそれは必ずしもスクープや目新しいものだけではない。大衆の目が行きがちである情報と、それとは違う何かを取り入れることで、同じ内容を扱うにしても情報の鮮やかさは違ってくるものである。
 
 インターネットの情報は便利であるが、真贋を見定める力量を養わなければならない。それを補完してくれるのはテレビの情報であり、その責任が半永久的に残るであろう紙メディアである。ページを1枚めくるときに、読者が望む内容がそこに含まれているかどうかで紙媒体の価値が決まる。すなわち紙一重であることをないがしろにしてはいけないのであろう。
 
  
☆ 我々はものを生み出すためだけでなく、時間に価値を与えるために働くのだ。(Eugene Delacroix)
 
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★ 新聞社の次は出版社=広告急減で業績悪化 米メディア業界(時事通信・09/4/3)
★ 『Hanako』が絶好調 ”雑貨化”する女性向け情報誌とは!?(日経トレンディネット・09/3/30)
★ 新聞の発行部数と世帯数の推移(社団法人日本新聞協会)
★ テレビ朝日に放送倫理違反 放送人権委員会が勧告(産経新聞・09/3/30)
★ 「バンキシャ」偽証容疑者、テレビ朝日でも証言(産経新聞・09/3/24)
★ デジタルメディア観(本ブログ・06/7/10)
★ 新聞を読まない私たち(本ブログ・07/3/14)
★ 活字媒体は生き残るか(本ブログ・08/10/8)
★ ブログを書く人の気持ち(本ブログ・08/4/13)
 
 

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食事時のテレビ表現

 昨年4月、東京都江東区のマンションで殺害された女性会社員(当時23)の判決を明日に控え、日本テレビの夕方のニュースでこれまでの公判内容を再現していた。法廷は5月21日から始まる裁判員制度を意識したもので、大小のモニタが複数設置されていた。
 
 公判内容を傍聴していた司法担当記者の報告では、男性被告人(34)が被害者を性奴隷にする、両足のやけどのあとがコンプレックスになっていた、などとコメントした。
 
 そして遺体の解体部分の再現では、マネキンが使われ、その様子が法廷の大きなモニタに映ったという。ところで、遺体の損壊状況の詳細を18時という食事時間のニュースに伝える必要があるのだろうか。過去には、宮崎勤元被告(昨年死刑執行)の供述内容で「骨を砕く」という部分などが残酷であるとして、新聞では一部割愛して法定内証言を掲載していた。
 
 しかしニュースでは、体の部位の詳細に至るまでを夕食時に伝えた。表現が時代とともに変わっていくのは当然であるが、あの番組内容にゴーサインが出たのが不思議なくらいだ。伝えるならば夜のニュースで報じれば足りる。過激・センセーショナルな表現が必要以上に伝えられる必要はなく、知りたくもないことまで耳に入れられては迷惑だ。
 
 テレビもラジオも広告収入減により苦戦を強いられている。多少過激な線を越えたほうが良いとでも思っているのだろうか。視聴者が見たい聞きたいのは客観的事実のみであり、猟奇的な表現まで詳細に伝えるのはニュース番組としてはふさわしくない。確かに猟奇的な事件だったとはいえ、それをいかに万人が見やすい聞きやすいように作っていくかがプロのやり方だと思うのだが。
 
 
☆ この世で人を疲れ果てさせるものは、自分を偽る心です。(アン・リンドバーグ)
 
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