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デジタルメディア観

 
 デジタルメディアが一般に普及したことにより、対面的なアナログコミュニケーションに加えて、「バーチャル」でのコミュニケーションも盛んになってきた。ブログやmixiに見られるように、目の前にいない友人・知人、または面識のない人たちとも盛んに交流ができるようになったのは、一昔前では考えられなかった現象である。
 
 そうしたものや、メールやチャットで面と向かっていえないような感情を吐露することができるようになったのはよい側面である。
 
 一方で、ネット上というのは公道、すなわち公の場でもあるにも関わらず、その交通ルールを無視して「運転」しているものが少なくない。ネット上の掲示板では、犯罪予告なるものがその実効性の程度に関係なく書き込まれ、新たな犯罪の温床ともなっている。
 
 公道であるネット上は、慎重に運転をしなくては事故につながる。例えば、ブログで他人のエントリにコメントを書き込むときに、不快な表現を用いればブログの管理者のみならず、他者がそれを読んでも不快感を覚えるだろう。
 
 これはネット上を「仮想空間」、すなわちゲームの空間として勘違いしているものが多いからである。ゲームは敵がいて、その敵を抹殺しても実在する人間の誰も傷つくことはない。しかし、ゲームもPCも同じモニタに向かっていると、ゲームとネットを混合して考えているものがまだまだ多いのである。
 
 加えて、携帯電話の普及で昭和の時代、アナログな時代は考えられなかった事件がわざわざ起きているような感もある。以前は小学生や中学生が見知らぬ大人と出会うなどということは考えられなかった。それも今は出会いサイトに接続すれば、いとも簡単に見知らぬ大人と出会うことができ、またそれが不毛で危険な関係に導かれることの多い昨今である。
 
 こうしたデジタルメディアの普及は便利になる反面、そうした新しい産物の隙間をついた犯罪が置きやすくなる。以前は「伝言ダイヤル」なるものが存在し、本来のメッセージのやりとりを「工夫して」、若者たちが知らない人とコンタクトをとる手段として社会問題となった。今で言う出会い系サイトのようなものである。当時もよからぬ輩によって、若い世代が事件に巻き込まれることが会ったのだ。
  
 新しいメディアというのは現在過渡期にあるものと思われる。次々と新しいハードやソフトが作られるのはいいが、それを享受しているのは国民すべてというわけではない。それでも、総務省の統計によれば8500万人がインターネット(携帯も含む)を利用している現実は、あらたな生活スタイルやビジネスチャンスを秘めていることであろう。
 
 しかし前述のように、過渡期であるこのデジタルメディアには、それまで主流であった本や新聞などの紙媒体のような利用のされ方が確立されていない。そのため、小学生でも有害なサイトにアクセスすることができ、また「ネットリテラシー」能力に乏しいものが有害な情報を垂れ流し、また詐欺被害にも遭う現状がある。
 
 こうした現状に対して有効なのは、インターネットの教育である。ネットをどう有効活用するのか、やっていいこと悪いことを子供のころから教育することが不可欠である。
 
 それは我々が幼いころに「こんなテレビを観てはいけない」「こんな本を読んではいけない」と道しるべを作ってもらったように、その方向を示す必要がある。また、プロバイダなども、子供が有害な情報に触れることのできないように工夫する必要があるだろう。
 
 ネットリテラシーは見る、見ないだけの問題ではなく、本などの査読を通ったものと違って、放り投げられた情報の真偽を見極める目が大切な役割を持つ。あげられた情報が必ずしも正しいわけではない。何でも鵜呑みにしてしまう姿勢は非常に危険である。
 
 日常生活と深くかかわりのある、こうしたデジタルメディア環境で我々の生活は大きく変わった。ただ、情報の即時性のみを追及することで、時間的な制約が暗黙のうちに作られてしまい、メールが着たらすぐに返信しなくてはならないような強迫観念も感じる。
 
 子供のころ、コンピュータが普及すれば仕事は早く片付いて、生活にゆとりが生じるものだと感じていた。しかし実際のところは、空いた時間に次々と新しい案件が舞い込んできており、仕事量も個人のキャパシティを超えているような現状がある。
 
 デジタルデバイドの問題もある。ITを使いこなせるか否かで個人の就職や賃金に格差が出ている現象である。いとも簡単に金儲けができそうなイメージが蔓延しているが、ひとつの会社を立ち上げるのに、当然リスクが伴う。そして、デジタルメディアと縁のない人たちに不利な社会生活に馴染めない場合もある。行政もこうした問題について真剣に考える必要があるであろう。
 
 デジタルを操るのは、我々人間である。そして我々人間はアナログな思考を持ってデジタルに接するように心がけなければ、こういった便利なデジタルメディアを感受する資格はないであろう。
 
 デジタルメディアがこれだけ普及したのは、その操作性、携帯性、即時性などがあるが、頭の中でしか想像できなかったものが、現実として、バーチャルとして創作できる部分に魅力があるのだ。ソフトやハードの進歩は留まるところを知らないが、その波に飲まれないように、うまく波乗りする必要が今後の課題である。
 
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