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「笑っていいとも!」最終回 タモリさんの卒業

 お昼にやっているのが当たり前の番組になると、時々見なくなってしまうこともある。それでもたまにチャンネルを合わせるとお馴染みの司会者がテレビのスクリーンに登場する。
 
 「スクリーン」と書いたが、テレビと言えば「ブラウン管」が当たり前だった昭和57年という時代に始まった番組。当初は司会者であるタモリさんが「いいとも青年隊」と一緒に「ウキウキWatching」を歌っていたが、「司会者がいきなり歌い出すのはおかしい」という声が上がったことから歌わなくなった。
 
 かつてテレホンショッキングで「次のお友達」に電話をかけていた「ブッチャー小林」こと、小林豊氏(現:フジテレビジョン取締役)が雑誌で語っていたことがある。当時、「視聴率100%男」と呼ばれていた萩本欽一とタモリがタッグを組んだら面白い番組になるだろうね、という内容だ。
 
 しかし、2人が共演することはなかった。2人とも「お笑い」という括りではあるものの、その方向性が異なる。そのため同じステージに立つことはなかったが、2月に「テレホンショッキング」で萩本欽一がゲスト出演してビッグネーム2人が並んだ。
 
 
 そんな「森田和義アワー 笑っていいとも!」が最終回を迎えた。
 
 最終回の平成26年3月31日のオープニングはタモリが牧師に扮して登場。「今朝は涙が出まして・・・・花粉が凄くて」と言って会場を沸かせた。
 
 「いいとも最終回、いってもいいかな?」「いいとも!!」
 
 その後に通常のオープニングに切り替わり、横で踊る「Noon Boys」の2人が当初踊っていた「バック転バージョン」でタモリを迎えた。かつては歌っていた「ウキウキWatching」を久しぶりにタモリが歌った。
 
 その後、月曜のレギュラーメンバーが登場。次々とメンバー紹介が行われる中で、HKT48の指原莉乃が目を押さえて泣き出した。周りから「早いよ〜」といわれる。「もう、タモリさんが歌うの聞けないのかと思ったら」というと、タモリが「俺の歌唱力凄かったろ」と返した。
 
 三村が「慎吾君、何かしゃべってよ」とふると、「慎吾ちゃーん」という歓声の中で、香取慎吾は「いやもう、どうにか今まで通りにしてるんですよ」といっておどけた。渡辺直美はいいとも少女隊として登場していたときの写真が公開された。タモリは第一回の時の写真が出されて、「出すな、だから嫌なんだよこういうのは」と言って会場を沸かせた。
 
 テレホンショッキングにはビートたけしが登場。「表彰状」としてタモリを讃える。「ちなみにこの表彰状はゴーストライターが書いたものであります」と始め、最後まで会場を沸かせた。たけしが「では明日の友達を紹介します」というと、電話に出たのは明石家さんまだった。
 
 その後、「笑っていいとも」とタモリさんに対するギネス認定式があり、番組当初から関わっていたスタッフが登場。32年間ともに歩んできたカメラマンの「サイトウさん」の目にも光るものがあった。
 
 最後にタモリさんは、「32年間ありがとうございました」と客席に頭を下げた。そして「明日もまた見てくれるかな?」と言い、会場が「いいとも!」と応えてクラッカーと紙吹雪が舞う中のフィナーレとなった。
 
 その夜に行われた「笑っていいとも!グランドフィナーレ」では、歴代のお笑いレギュラー陣であった、ダウンタウン、爆笑問題、とんねるず、明石家さんま、ナインティナイン、ウッチャンナンチャンが登場した。ダウンタウンととんねるずが並んだ絵を見たのは初めてだ。
 
 欽ちゃん同様、上記のお笑いコンビが同時に番組をやるのは難しいと感じた。ただ、そうしたメンバーを束ねることができたのも、タモリの力である。
 
 その後、現役のレギュラーメンバー全員によるタモリに対する「感謝のスピーチ」が行われた。メイクをぐちゃぐちゃにして泣いてしまった柳原可奈子、”元ヤン”なのにタモリに褒めてもらって嬉しくて泣いてしまった木下優樹菜。そして”敬語を知らない”まま泣いてしまったローラのスピーチは本当によかった。
 
 最後にタモリさんのスピーチがあり、「皆さんのおかげでここまで来ることができました。当時は不遜で生意気で。視聴者のみなさんのおかげで何となくタレントとして形をなした。32年間本当にありがとうございました。お世話になりました」などと言ってコメントをしめた。
 
 
 笑っていいともはいつでも見られるのが当然だと思っていたので、それが最終回を迎えてしまったことには大いなる悲しみが残る。青春時代を共に過ごしてきた番組であった。
 
 タモリさんには、燃え尽き症候群にならないように気をつけていただきたいと思う。タモリさんだけではない。この春、卒業を迎えたかた、長い勤めを終えたかたは全国にたくさんいらっしゃったことだろう。お疲れ様でした。
 
 東京・新宿の空はよく晴れた天気となった。タモリさんが着ていたスーツの色が街中でたくさん開花し、見ることができた。これからはちょっと寂しいお昼になるかもしれないが、それでもきっと、
 
 
 
きっと明日は、
いいとも♪
いいとも♪
いい Tomorrow ♪
 
 
 
 
 
 
 
 
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笑っていいとも!火曜&水曜最終回

 「笑っていいとも!」最初の最終曜日である火曜日(25日)の放送があった。この日は、通常のテレホンショッキングにDreams Come Trueの2人が出演。その後、レギュラーメンバーが1人ずつタモリとテレホンショッキングでトークをする展開となった。
 
 まずはバナナマンの設楽充。「遅刻レギュラー」として、必ずオープニングには登場しない理由を説明。前の番組出演地である東京・お台場(港区)からスタジオアルタ(新宿区)まで移動するので、どうしても遅れるのだという。地域によっては、前の番組が放送されずに笑っていいともは放送されるので、「なぜあいつはいつも遅刻するのだ」と言われるそうだ。最後に「人生の教訓になる一筆を」をタモリに依頼。タモリは色紙に何故か平仮名の「い」の字だけを書いて会場を沸かせた。
 
 2番手はバナナマンの日村勇紀。先週インフルエンザで休んだことを”いじられた”あと、「タモリさんにやってもらいたいこと」として、「テレホンショッキングあるある」として、タモリが番組でよく言うセリフを言って欲しいと懇願。「髪切った」と「これ貼っておいて」を言ってもらい満足していた。
 
 3番目はローラ。登場するや、「久しぶりだね」。「タモタモさんは、帽子が似合うって誰かが言ってたから、帽子買ってきたの」と言って、タモリにプレゼント。そして自分用の帽子も披露。タモリとお揃いだった。
 
 4番目は、さまぁ~ずの大竹一樹。「僕も最後なんで、タモリさんと普段撮らないような写真」を撮影。お互いの顔を両手で持った写真を撮影。さらに互いにおんぶをしあった所を撮影してもらっていた。
 
 5番目は、ハライチの澤部佑。名前の由来について、「親が北天佑のファンであり、大きな人に育ちなさいという理由で付けてもらった」と説明。タモリへのお願いとして、「今度子供が生まれる。タモさんに子供の名前を付けてもらいたい」とし、色紙にタモリが書いたのは、「い」。「澤部い、じゃだめですって!」と絶叫したところでCMとなった。
 
 最後は中居正広。「なんか照れくさいですね」。「みんながプレゼント持ってきていたので僕からも」というと、ポケットから取り出したのは「二千円」。「これで好きなものでも食べてください」と言って会場を沸かせた。自宅からビデオカメラを持ってきた中居は、「くじけそうになったときのビデオレターを撮りたい」として、BGMを用意して撮影。タモリは「中居、がんばれ」、その後ににっこりと微笑んで「何とかなるって」と言った。
 
 番組の最後は、火曜日のメンバー全員で記念写真を撮影。紙吹雪の舞う中の撮影となった。タモリがレギュラーメンバーに「ありがとうございました」と礼をし、会場にも「火曜日の皆さん、ありがとうございました」と一礼して終了した。
 
 水曜メンバーは栗原類以外は芸人さんということで、全員がネタを披露することとなった。
 
 トップバッターは栗原類。なんと、江頭2:50に扮してパフォーマンス。2番手のパンサー以降は全員コントや漫才を披露した。3番目はウエストランド。4番目はアルコ&ピース。5番目は柳原可奈子。6番目はタカアンドトシ。そして7番目には、タモリと爆笑問題の太田光が漫才をした。最後に漫才の途中で時間切れでCMに入ってしまった。
 
 最後の週ということで、通常のレギュラー企画は一切排除されたラストいいとも。こういうのもいいですね。
 
 
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笑っていいとも! 安倍首相登場

 
 「笑っていいとも!」も残すところ6回となった21日春分の日、「テレホンショッキング」に第96代内閣総理大臣、安倍晋三首相が登場した。スタジオアルタ周辺は警備に当たる制服私服の警察官が多数配置され、スタジオアルタ内にもSPが常駐する中で行われた。
 
 タモリが「安倍晋三首相です」というと、ネームプレートを持った安倍首相が登場。会場からは「お〜」というどよめきが起きる。
 
 マイナス思考は良くない、という話になり、首相が「例えば(後ろに寄せられている)この花も、誰々さんが贈ってくれたのかありがとう、と思えばいいが、見方を変えると、何だ、あの人からは来てないじゃないかとも言える。だから、贈ってくれてありがとうというところでとめておくのが大事」というと、タモリと会場からは笑い声が上がった。
 
 時の首相がバラエティに出演することに批判の声も上がる。「何故この時期に」というが、どの時期に出演しても批判の声は出る。バラエティである「笑っていいとも」は長寿番組であり、終了も決まっていることから、日程調整をして出演したに違いない。バラエティであるから気張ることなく見れば良いが、何でもかんでも批判するのは、こちらが疲れてしまう。
 
 それにしてもタモリという人は誰が来ても臆することなく話のできる人である。それゆえに現役の首相も政治の話から離れて公の場にいることができたし、そういう首相を見ることができたのである。
 
 この日は首相が来る前に、一般参加者を募って”有名人のそっくりさんコンテスト”があった。朝から180人がアルタに列をなしたという。首相が来ると分かっている日に大勢の人の出入りをさせたのは、番組スタッフや警備関係者の苦労があったに違いない。
 
 
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相棒シーズン12 最終回「プロテクト」守りたいもの

 
 12年目の「相棒」第1話はファンにとって衝撃であったに違いない。本作の黎明期から「捜査一課」の1人として重要な立ち位置にいた三浦刑事(大谷亮介)が警視庁から去ることになった。
 
 捜査対象者である男を追跡していた三浦だったが、相手の反撃に遭い左脚をナイフで刺されて負傷した。その結果、杖なしでは歩けなくなってしまった。中園参事官(小野了)が「内勤で慰留」したが、三浦は辞職した。
 1話の後半では、三浦を見舞った伊丹刑事(川原和久)が廊下で嗚咽を抑えて嘆くシーンがあり、その後に三浦が病室で見せる切ない表情が印象的であった。
  
 シーズン12の最終回では、警視庁幹部に刺殺された、小野田公顕(岸部一徳)の残した疑惑が浮上することになる。特命係の杉下警部(水谷豊)と甲斐亨(成宮寛貴)の捜査が始まる。
 
 この最終回では、特命係が捜していた人物が別の名前で存在していることが分かる。さらに小野田公顕の名前の読み方が実は違うことが明らかになる。
 
 昨今、人の名前がないがしろになっているような気がする。あだ名やハンドルネームが気軽なぶん、本名が忘れられてしまうことがある。名前とはそんなに魅力のないものなのか。
 
 「次長、と言えば良いものを、『あなた』と言って距離を置く」と甲斐峯秋(石坂浩二)が息子の甲斐亨に向かって吐き捨てる。
 
 書類上存在する名前というのは、記号であり記録でしかない。人は、名前と人格が”相棒”となることで初めて社会に認知されるのである。罪を犯すものは、黙っていても愚かな行為をし続ける。名前も人格も放棄していく人生に負い目はないのだろうか。
 
 「相棒」のシリーズ12は最終回を迎えた。安定した視聴率を誇るこのドラマ。杉下の徹底した法令に則る姿勢が正義を支える。対する甲斐は、法令にも則っているが、時に感情が爆発することもある。この世の中は”相棒”の登場人物であふれている。特命の2人のような者、伊丹や芹沢(山中崇史)のような者、甲斐次長のような者、月本幸子(鈴木杏樹)のような者、笛吹悦子(真飛聖)のような者、そして顔は知っているけれど、名前の知らない人たちである。
 
 杉下の言った、「叶うのであれば聞いてみたいですね。どう反論するのか」であるが、たぶん返ってくる答えは、「お前は変わらないな」ではないだろうか。いつの時でも、守りたいものは自分自身と相手の人格である。名前というのは人格についている親心なのである。
 
 
 
★ 水谷豊(プロフィール・Yahoo!検索)
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★ 鈴木杏樹(JAPAN MUSIC ENTERTAINMENT)
★ 真飛聖(ワタナベエンターテイメント)
 
★ 川原和久(劇団ショーマ)
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真実の魅力

 他人の作曲であったり論文が盗用であったりと、何かと嘘の多い世の中のようである。こうしたウソ騒動というのは今に始まったことでもない。
 
 論文盗用はたびたび問題になっているし、ゴーストライターも芸能界ではさほど珍しい事案ではないようだ。消費期限の改ざん、産地偽造、食材の偽表示など、前から問題が公になっていたにも関わらず、発覚したら謝る、公にならないのならそのままでいい、という風潮は何故無くならないのだろう。
 
 誰でも公の場に身を置けば自分を演じることがある。しかし偽りの演技というのは評価されることはない。虚構の世に身を置く人というのは、己の真実に魅力を感じないのだろうか。
 
 先日、女優の遊井亮子さんに逢いに行くために秋葉原へ足を運んだ。一日消防署長を演じていた彼女であったが、ドラマで見る彼女と違って違和感があった。最初から最後までセリフがあって、歩き方から身振りまで全てが演技ではない。どちらかと言えばアドリブの方が多かったのである。
 
 彼女のアドリブとは、スタッフの人たちと談笑している姿であり、大きな帽子をかぶっててくてく歩く姿であり、お辞儀をしている姿は品格を感じた。
 
 我々は社会を構成する者として自分の役割を演じている。まずはそれを肝に銘じなくてはならない。学生なら勉強をし、親であれば子供の世話をし、役者なら演じ、歌手なら唱い、大臣なら国民のために動き、看護師なら倒れる人に手を差し伸べるべきである。
 
 しかしながら、大切なのはアドリブである。台本から遠ざかったとき、あなたは誰のための自分でいられるのか、ということである。
 
 
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★ 東京・秋葉原で消防演習 一日消防署長に女優の遊井亮子さん(本ブログ・14/3/7)
 
 

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【動画】東京・秋葉原で消防演習 一日消防署長に女優の遊井亮子さん





 
 7日午前、東京・秋葉原で地元の千代田区と東京消防庁による消防演習が行われた。同庁のハシゴ車が、JR秋葉原駅の商業ビル「アトレ」の上階から人を救出。またレスキュー隊員が上階からロープをつたって降りる様子が公開された。
 
 この日は、女優の遊井亮子さんが神田消防署の一日消防署長を務め、遊井さんの「放水開始!」という号令に合わせて、消防隊員が「アトレ」に向かって放水した。
 
 全国の消防本部では、東日本大震災を教訓に特殊な消防車両が登場している。愛知県岡崎市の消防本部には、泥水やがれきなどの悪路でも走行可能なキャタピラ式特殊車両が配備されている。人命救助や物資輸送に役立つのだという。
 
 さまざまな条件で活躍できる車両も頼もしいが、秋葉原のような訓練を重ねることで、隊員の皆さんの技術向上に加え、都民も安心して消防組織を頼ることができるのである。
 
 遊井亮子”1日署長”は消防演習のあと、起震車の体験コーナーや、外国人の帰宅困難者支援の現場に訪れていた。実際の災害発生時も、冷静で迅速な避難、そして的確な組織運営で多くの命が救われるに違いない。
 
 ということで、遊井亮子さんをどうしても拝見したく、秋葉原まで行ってきた。
 
 8時45分にJR秋葉原駅南口着くと、東京消防庁神田消防署員のみなさんがイベント準備に追われていた。署員のかたに「このイベントは何分くらいやるのですか?」と尋ねると、60分くらいだと回答を得た。付近ではTBSやフジテレビのカメラマンのかたも待機していた。
 
 そうしていると、どこからともなく遊井亮子さんが登場。消防署の制服に身を包んだ遊井さんはとても凜々しいお姿。
 
 消防イベントが終わり、帰宅困難者受け入れの訓練のようなものに移る遊井署長。途中で報道関係者向けに写真撮影があった。マスコミのかたに紛れて邪魔にならないようにしゃがんで撮影。プロのかたはいい機材を持っているが、私はスマホ。
 
 「こちらお願いします」などの要請に「はい」と応える遊井さん。どさくさに紛れて「こちらもお願いします」と言いたかったけど我慢。
 
 こっち向いてくれないかな、と思っていたら奇跡が起きた。遊井さんがしゃがんでいた私の方に目を向けてくださった。わずか2秒でしたがラッキーでした。
 
 その直後に遊井さんが目の前を通過。あまりに近すぎて混乱してしまいうまく撮影できなかった。もう死んでもいい!(いや、死にたくない)
 
 考えてみると当たり前なのですが、普段はドラマでいろいろな役を演じる遊井さんであり、その素のお姿を拝見することはありません。そういう意味で、普段の表情を垣間見ることできたのは幸運でした。この手の撮影をして思うのは、ご本人を撮影したい反面、直接見て記憶に残したいという気持ちとの葛藤があることです。
 
 とはいえ、大好きな女優さんを拝見できる機会もそうたくさんはないので、とても楽しい一日になりました。
 
 私のことを知る人は、「Nonoはいつから遊井さんのファンになったんだ」と思うかもしれませんが、ドラマの再放送を見て一目惚れ。こんな早期に生遊井さんを拝見できて内心大はしゃぎでした。
 
 秋葉原というとAKB48でも有名です。ファンの人たちは、好きな女の子たちに会うために足繁く通う。そんな感覚が理解できる気もしました。あまり芸能人に熱を上げて行動するという経験が無いので、とても新鮮な時間を過ごせました。
 
 また機会があれば、もっといい映像を撮りに伺います。
 
 遊井亮子さんのますますのご活躍をお祈り申し上げます☆
 

 


 
★ 遊井亮子(BOX CORPORATION)
★ @yuuiryoko0810 (遊井亮子・ツイッター)
 
 
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第64回紅白歌合戦で完結した「あまちゃん」

 「あまロス」という言葉が出てくるほど、昨年のNHKの朝の連ドラ「あまちゃん」は好評であった。「あまちゃん」の最終回は、「北三陸鉄道」の線路で走り出す天野アキ(能年玲奈)と足立ユイ(橋本愛)の希望に満ちた映像でエンディングを迎える。
 
 「あまちゃん」本編では、アイドルを目指していたが上京を果たせなかったユイがいた。そして、女優・鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)が歌が下手であったため、アイドルを目指していたアキの母、天野春子(小泉今日子)が彼女の影武者として人知れず声だけデビューしたのであった。世間に春子の存在が知られることはなかった。
 
 第64回紅白歌合戦で和田アキ子が歌を終えた後、アキが所属していた、GMT featuring アメ横女学園が「暦の上ではディッセンバー」を歌う。アキがステージ上でユイに「ユイちゃん、こっちへ来ていっしょに歌うべ!」と呼びかける。すると、「北三陸市」にある喫茶店「梨明日」から「あまちゃん」メンバーがアキに話しかける。するとユイが出てきて、「アキちゃん、すぐ行くから待ってて!」と言う。
 
 ステージ上のモニターには「第157回 おら、紅白にでるど」とタイトルが出てオープニングテーマ曲が流れる。パラパラアニメでユイが電車とタクシーを乗り継いでNHKに入る絵が登場。すると実写に代わり、ユイはアキの父である黒川正宗(尾美としのり)運転するタクシーで駆けつけ、アキと同じステージに立つ。二人は「潮騒のメモリー」を歌う。ユイが上京を果たした形となった。
 
 二人がワンコーラス歌い上げるとアキが、「2番は大好きなママが歌います」というと、会場からはどよめきが起き、「天野春子」名義で小泉今日子が登場。同曲を歌い上げた。アイドルとしてステージに立てなかった春子の夢が叶った形となる。小泉今日子が紅白で歌うのは実に25年ぶりとなった。
 
 春子が歌い上げると、演奏がスローテンポになり、春子が手をセンターに伸ばす。和服でステージに上がってきたのは「鈴鹿ひろ美」名義の薬師丸ひろ子であった。またしても会場はどよめいた。薬師丸ひろ子は、レポーターなどで出演経験があるが、歌手としては紅白初出場である。
 
 鈴鹿の歌が終わるとアキの「北三陸さ、帰りてぇ」の映像が出て、「梨明日」にいたメンバーも全員登場、劇中で歌われていたGMTのデビュー曲、「地元に帰ろう」を全員で歌う。最後はアキが「撮影に協力して戴いた地元の皆さん、ありがとうございました」と言葉を述べて終わる。
 
 この「あまちゃん第157回」は約14分。ほとんど本編一回分を放送したのと同じくらいの時間である。ドラマという仮想の中の「あまちゃん」が紅白歌合戦という実体のあるところと繋がった。思えば「あまちゃん」本編はオマージュやパロディがちりばめられており、紅白でそれをやってのけたと考えることもできる。これで「あまちゃん」は完結した形となった。
 
 一方、リハーサル時から失敗が懸念されていた、紅組司会の女優・綾瀬はるか。最初の浜崎あゆみの曲紹介でとちった。その後もセリフを噛んだり、ゲスト審査員であった美輪明宏との掛け合いを”無視”してしまう失敗もあった。
 
 しかし初めての紅白司会であり、健気にやっていた姿は見ていて楽しかった。前半が終わる前に「特別企画~東日本大震災復興支援ソング『花は咲く』」を歌うコーナーがあった。綾瀬が被災地に訪れた映像が流れた後に綾瀬が、「今回出会った大熊町の子供たち。辛い境遇でも、夢を抱き・・」と言ったところで感極まって泣いてしまった。大きな瞳からぽろぽろ落ちる涙。その後なかなか言葉にならなかったが、会場からは「頑張れ!」の声や拍手が贈られ、「花は咲く」を出場者有志と共に歌い上げた。綾瀬さん、優しい人。
 
 番組の最初に「紅組司会・綾瀬はるか」とテロップが出たが、「花は咲く」を歌い出したとき、改めて「綾瀬はるか」とテロップが出たのはとてもよかった。
 
 昨年泣いた人、笑った人、どんなかたにもよい一年でありますように。
 
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 
 
 Nono
 
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その他

演技する人たち

 
 俳優・坂上忍が子供たちに演技指導をする番組を見た。彼は実際に子供向けに演技指導の学校を運営している。子供たちは「怒り役」「笑い役」「泣き役」に分かれて、与えられた台本の台詞を読む。しかしなかなか怒れず、笑えず、泣けずと苦戦が続く。十数人いた中で、彼は1人の男子児童に声をかけた。「演技をしていて本当に楽しいか?」と。
 
 私事だが高校生のころ半年ほど劇団に通っていたことがある。発声練習、そして簡単な演技、さらには殺陣まで経験した。物覚えが悪いので、一番辛かったのがこの殺陣である。今思えば単純な体の動きであるにも関わらず、この”振り付け”を憶えるのに精一杯で、顔の表情など満足に作れなかった。
 
 演技がうまくなれればテレビに出られて有名になる、というほど甘くないのが芸能界という世界だ。世の中には多くの芸達者な人がいるが、そんな中で大舞台に立てるのはほんの一握りだ。何かオーディションがあれば積極的に参加してチャンス獲得のタイミングを狙う。
 
 俳優だけではなく、我々も普段演技をしている。家から出れば通勤通学の顔を作り、学校や職場に行けば学生または社会人に変身する。いいたくも無いことや、やりたくもないことを積極的にしなくてはならないという部分で俳優活動と符合する点がある。
 
 坂上忍が声をかけた男子児童は結局芝居の道をやめるようである。「正直言って演技はあまり好きではない」と言っていた。坂上忍は彼らの母親に対して、「主役は子供であり、お母さんはお母さんでいてください」と声をかけていた。子供のマネージャーは別の人がやれば良い。お母さんは母親という大役さえ務めればそれで足りるということであろう。
 
 世の中は主役や脇役でいっぱいだ。だから、”芝居をして”社会から家に戻ったときに、心の支えになるのはきれいな台詞ではなく、心のこもったアドリブであるに違いない。
 
 
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