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新聞記事に見る”紋切り型の表現”

決まり切った表現というのは飽きます

 「夕刊ガジェット通信」に「記事の最後で「興味深い」「注目だ」と締めても意味ないよな」と題した記事が載っている。そこではメディアアクティビストの津田大介氏のメールマガジンから、新聞記事などに使われる「締め言葉」について批評がある。メールマガジンに読者から質問のあった内容に津田氏が答えている。
 
 質問内容は「速水健朗さんのブックレビューで『興味深い』という締めは、やっつけ仕事観が強くてプロのライターとして最低」「ライターさんの中では『これを使ったら手抜き』というお決まりのフレーズはあるんですか?」といった内容だ。
 
 津田氏は以下のような内容を答えている。(矢印右は津田さんのツッコミ)
 
・「議論を呼びそうだ」→ お前が波紋を呼ばせたいんだろ。
・「ますます目が離せない」→ 一生離しとくな。
・「注視したい」→ 問題意識を持っているのであれば、今後ちゃんとアクション取れよ。
・「これからも勢いは加速しそうだ」→ とりあえずホメとけ、なやっつけ感満載です。
・「私だけだろうか」→ 本当はお前だけだとは思ってないんだろ。謙虚ぶるな。
 
 という具合である。
 
 新聞紙面はこうしたステレオタイプ(決まり切った型・新鮮味がない)表現が多い。「議論を呼びそうだ」は世論を煽っているとしか思えないし、がっかりした様子を表す「肩を落とす」、他にも、「眉をひそめる」、「嬉しい悲鳴」、「唇をかむ」などがある。
 
 いずれも表現していることは分かるのだが、毎回使われると事実と言うよりも、よくある情報という感じがして新鮮味がない。こうした表現が生きるかどうかは記事の内容にもよる。決まった言い回しが多いのは政治家の答弁などが代表的であるが、こうした事実を扱うときは紋切り型の表現もあってもよい。政治家の話し方は新鮮味がないからだ。
 
 しかし事件報道などの周辺住民への取材などでは、表現の仕方というのを多少なりとも工夫した方が良い。事件事故が悲惨になればなるほど、表現には注意が必要であり、残虐さや悲惨さを伝えるには”常識的な言葉使用の揺らぎ”が必要である。「唇を噛んだ」や「肩を落とした」というだけでは、いつもの表現過ぎてその事実に新しさがない。表現にツヤを求めないのであれば、ひたすら事実の羅列でもした方がましである。
 
 前述の表現の類が昔から嫌で仕方がなかった。ゆえに当ブログではそうした表現を使っていない。と思ったら「肩を落としている」という表現が1度だけあった。限られた紙面で物事を伝えるのは難しい。あらゆる出来事は無限である。それに呼応する術は型破りであるべきだ。
 
  
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★ 記事の最後で「興味深い」「注目だ」と締めても意味ないよな(夕刊ガジェット通信・12/2/28)
★ 津田大介の「メディアの現場」(メールマガジン)
 
 

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