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御巣鷹、23年目の夏 JAL123便墜落事故

 
「日航機がレーダーから消えた」、
「墜落と決まったわけではない」、
「ジャンボが簡単に墜ちるわけがない」、
「ほぼ満席で500人以上が乗っている」、
「JAL123便の大阪着予定時間を過ぎました。事故発生はほぼ間違いない」、
「我々(自衛隊)は要請がないと出動できない。早く要請を出して欲しい」、
「位置が確認できないから出動要請ができない」。
 
 
「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて群馬・長野県境に消えた」、
「急に巨大な飛行機が、低空で飛んできた」、
「長野県佐久市内に墜ちた」、
「現場は群馬だ」、
「まだはっきりした状況は分かりませんが、長野県警から『落ちた』という連絡を受けました」、
「これから(群馬県上野)村へ、警察官千人を入れる」、
「どんな大事故でも生存者がいるもの。人命救助を第一に努力したい」、
「県境東700メートルに墜落物体発見」、
「生存者がいる」。
 
 
「確認されないうちは言えない」、
「お前ら、名前調べてどうするんだ」、
「姉さん、本当に乗っていたの?あんた知っているなら教えてくれよ」、
「キャンセルした形跡がないんです。間違いであればいいんですが」、
「こんな時になんだ」、「まだ死んだと決まったわけじゃないんだぞ」、
「やはり乗っていたのか。嫌な予感がしたんだ」。
 
「早く説明しろ」、
「ちゃんと整備はしていたのか」
「何人が乗っていたと思うんだ、ジャンボだぞ」、
「現場に行くバスを日航は出してくれるんですか」、
「細かい説明が何もない」。
 
 
 85年8月12日の事故発生当時、日本航空123便機内ではコックピットで機長以下3人のクルーが、なぜ操縦不能になったか分からない状態の中、懸命な航空機の立て直しをしていた。客室ではパーサーやスチュワーデスが乗客に酸素マスク着用を指示し、救命胴衣着用のアナウンスをしていた。
 
 奇跡的に生存した4人の女性の一人で、当日は非番であった日航客室乗務員は、機内は冷静で、乗客がパニック状態になってはいなかったという。しかし、不穏な動きを続ける機内で、覚悟を決めた乗客の一部は家族宛に遺書を書いた。字の乱れが切迫した状況を物語っていた。
 
 123便の事故以来、国内の航空会社が大きな事故を起こした例はない。しかし、大量輸送の時代を迎え、交通事故や脱線事故など、交通機関の事故はなくなっていない。交通機関に安全第一を要望すると同時に、我々も安全運行を妨害するようなことをしてはならないであろう。電車の駆け込み乗車が悲惨な事故の伏線とも成りうるからだ。そして後世にこうした過去があったことを伝え続けなくてはならないだろう。過去は修正できないが、未来を創ることはできるはずだ。
 
 今年の夏も暑い。無名だった御巣鷹の尾根は、今年も遺族を受け入れた。
 
 
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★ 亡き人再会への道 日航機墜落から23年(読売新聞・08/8/12)
 
※参考文献
日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時 (朝日文庫)
 
 

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