先日の記事で書いたように、私の通っていたのは非公認の教習所。要は「好きなだけ運転させてあげる。でもあとは自己責任」という所だ。
公認であれば、筆記や実技試験が運転試験場で免除(されるんですよね?)されるわけですが、それらをすべて試験場で受験しなくてはいけない。ここでのお金、結構かかりました。
教習内容ですが、本当に運転技術を教えてくれるだけで、シミュレーター、無線教習なんてありませんでした。
時代を感じてしまうのは、パワステ(パワーステアリング)じゃないんです。パワステなら片手でも右左折できますが(教習所でやったら怒られます。)、パワステじゃないハンドル、俗に「オモステ」はハンドルを回す回数を教わりました。
「はい、右に2回半きってー。」
オモステをハンドル切るのは結構大変。しかし、それをまっすぐに戻すのも大変な訳です。
パワーウインドウじゃないので、踏切ではクルクルくるくる窓を開けて、「電車が来ていないか確認する演技」をし、急いでまたクルクルくるくる窓を閉めて、ギア一速のまま発進です。
ちなみに私の得意科目。
縦列駐車
方向転換
坂道発進
これらは、教習所で習ったことが今でも生きていて、厳しかったけど体得できてよかったと思います。
そういえば、教習所内の車は「フェンダーミラー」でした・・・・。
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タグ: 交通
自動車の教習所というと「公認」のところが当たり前だが、私は「非公認」の所に行った。ここの宣伝文句が「最短で10日間で免許取得可能!」ということで、これならば、と思ったのである。
自宅近くの事務所から無料送迎バスが出ていて、そこから1時間ほどの教習所に行った。待合所はタイヤもとれてさび付いて壊れたバスの中。6月だったのであつかったが、クーラーも何も無し。ここで名前が呼ばれるのを待つのである。
ここの教習所は「好きなだけ予約して運転の練習ができる」というのが利点だが、非公認なので、学科試験も実技の試験も「運転免許試験場」にいって受験しなくてはならない。これが大変だった。
学科試験は独学で難なくパスしたが、運転実技試験が大変。運転免許試験場の試験官というと現職の警察官である。試験コースの中を指示通りに走行するのだが、怒鳴られたし、萎縮してしまって大変だった。
仮免は実に3回目で合格。
本免になると試験場の外を運転するのだが、ここでは仮免の時とうって変わって試験官は優しくなった。ところがうっかりミスを犯してしまい不合格となった。
後日の2回目も不合格。
「俺は運転する才能がないのでは」
そう、しょんぼりしてしまい、しばらく試験場に行くのをやめた。そして非公認教習所に通い始めてから5ヶ月。本免4回目でやっと合格できた。
そんなわけで、先日の免許の更新もそこの運転試験場は避け、新宿の更新センターに行ったという訳である。
ただ、何度も教習所で練習したこと、試験場では試験官に怒られたことがいい経験となり、運転そのものは自信がついたのである。
そこの教習所は残念ながら数年前に潰れてしまった。
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「席を譲らなかった若者」という記事・2
大学のある授業で、男子学生が二人遅刻して入ってきた。一人は先生の前を通過するときに「しゃがんで」さささっと通過。もう一人は先生の前をかがむことなく堂々と通過していった
別の授業で最初に先生が注意をした。「例年時々あることなんですが、私が話しているときに何を思い立ったか、突然席を離れて教室を出て行ってしまう学生がいます。それを見ると、何を話そうとしたか忘れてしまうことがあるので、理由があって外に出るときは事前に言って欲しい」。その先生は続けていった。「私たちの時代にもあったんですよ。途中で授業を抜けること。でも、その時は先生が板書をしていて学生に背を向けているときにこっそり抜けましたね」。
この例のように、何故か年上の方に対する礼儀とかそういうことに無頓着になっている若者が多い。自宅を出たらそこはもう公の場である。そのことを自覚すべきである。
らくださんのブログ記事「席を譲らなかった若者」に出てくる若者は、嫌味を言われてよほど頭にきての発言だったのだろう。しかし、この若者の発言の内容はともかく、座ったままで、サングラス越しに、立っている年配者に対して反論している画を想像すると、それが本当に主張するものがとる態度であるかどうか疑問に感じる。
年配者の中にも失礼な人たちは多い。若者の見本となるべき言動をとらない方もいる。しかしながら、この記事の若者は持論に酔い、年配者に「あんたら」「ジジイ」という言葉を使って話している。人と話すのに牙をむけて話す態度は理解ができない。
この若者がもし席を年配者に譲った上で持論を展開させたのであれば、きれい事ではなくもっとまともな主張に聞こえたかもしれない。それをしなかったのは、公の場で空間を共有するものとしての手抜きとすら感じる。
☆ あらゆる法律は老人と若者によって作られたものだ。老人は規則を欲しがり、若者は例外を欲しがる(ゲーテ)
★ らくださんのブログ、らくだのひとりごと「席を譲らなかった若者」
★ 本ブログ「席を譲らなかった若者という記事」(05/4/28)
免許の更新に行ってきました。
都内ですと例年、「府中運転免許試験場」に行っていましたが、今回は最近新設された、都庁第二庁舎二階の「運転免許更新センター」に行ってきました。
受付を済ませ、収入印紙2800円(優良区分。一般区分は3150円)を購入し、視力検査に臨みました。
前々回はセーフだった。
前回はうまくいった。
しかし、今回は自信がなかったので、メガネを持って行きました。
10年前から視力が衰えているのです。
最初はあの「C」を「右!」と言っていましたが、次からもう分からなくなり、適当に言ってみました。確率25%・・・。
しかし、すべてハズレ。
検査官「あれ~?じゃあこれはどう?」
私「すみません、わかりません(汗)あの・・メガネかけていいですか?(汗」
検査官「うん、かけて~。これじゃあ『0.2』しかないんだもん。」
(0.2??・汗・一昨年大学の健康診断では「0.5」だった。落ちている。)
メガネをかけたら、右も上も下も左もちゃんと見えた。
検査官「あの、バイク(原付)もってるから、メガネはずしてやってみて。」
私「はい!」
バイク用の「C」は太字で大きくてメガネなしでも分かった。
検査官「バイクはいいけど、車の運転の時はメガネかけてくださいね。」
私「ははい!」
あぁ。白紙だった「条件等の欄」に「眼鏡等(原付・小型特殊はのぞく)」がついてしまったぁ。
しかし、最後の違反が6年近く前になることから、初めてのゴールド免許を手に入れることができた。嬉しいです。もう駐車違反はしません。
前回更新の講習時には「シートベルト着用法制化」が伝えられたが、今回は「携帯電話は運転中禁止」の話があった。受付から免許証を手にするまで45分。いつもこう早いといいな。
☆急いで行こうと思ったら、古い道を行け(タイの諺)
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★ 全国主要運転免許試験場ガイド
「席を譲らなかった若者」という記事
「らくだのひとりごと」という、らくださんのブログに、「席を譲らなかった若者」という記事がある。
内容を一部引用させていただくと、
座席に茶髪の若者が2人座っている。その前に、ハイキング帰りと見られる60代半ばの3人の男女が立った。その高齢者組は「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」「ちょっと前は罪悪感からか寝たふりをしたもんだが、最近じゃ寝たフリもしないからふてぶてしい」と嫌味っぽく発言した。
それに対して若者が反論した。
「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ」
という具合である。
ブログ主のらくださんは、
・ お年寄りを大切にしよう、というのは「昭和のキレイごと」なのか。
・ 世代間の断絶というか格差を思い知らされた。
・ 戦後の復興と日本経済の躍進を引っ張ってきたお年寄りが「よく働いたんだからゆっくり楽しもう」「若い人から尊敬されて当たり前」と思っているのも理解できる。
・ 一方、若者世代は、自分の納めた年金保険料は自分のための積み立てじゃなく、現在支給されている年金の原資。自分が受け取る年金なんてこの少子化社会で支えられるはずないって分かっている。将来に悲観的になるのもムリはない。
といったことを書かれている。
驚いたのは、この記事に対するコメントである。「若者支持」のコメントが想像以上に多いのである。「若者にエールを送りたい」「若者に拍手したい」といった具合である。
確かに、この記事にあるように、高齢者組が嫌味っぽく言ってきたら立腹するかもしれない。しかし高齢者に席を譲る行為と、登山や年金問題は別問題ではないだろうか。
60代の方に「高齢者」という言葉は不適切だと感じるくらい、今の60代の方は元気である。しかし、両親を見ていると足腰はやはり「ガタ」がきているし、電車内で立っている行為と登山に使う運動能力とはその方向性が全く異なる。
「キレイごと」というのは、時代をまたいででも声を大にして言うべきである。昔の名言や格言が今でも残っているのは、それに共感する「なにか」があるからである。私のブログもひたすら「キレイごと」を書くようにしている。キレイごとをいえなくなれば、豊かな思想は形成されない。豊かな思想がなければ、ヒトは「考える足」ではなくなり、ただの下等動物になってしまう。
「席を譲らなかった若者」に出てくる若者や、彼らに共感する人たちというのは、自身が60歳になったときに、電車内で若者に席を譲るつもりだろうか。
☆謙虚は一つの装飾である。ところが人はこの装飾をしないで外を出歩く(Franz Grillparzer)
★ らくださんのブログ、らくだのひとりごと「席を譲らなかった若者」
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昔、上鷺宮(かみさぎのみや)小学校でマラソン大会があり、東京と埼玉の都県境にある、多摩湖まで走りに行った。その帰りの電車内での出来事。
私たちは急行の西武池袋行きに乗車した。そしてしばらくすると気づいた。
「先生!僕たち『富士見台』で降りるんですよね?この電車、急行ですよ。富士見台に止まらないですよ!」
富士見台駅は各駅停車の電車以外は止まらない。
「やっべぇよ。このままじゃ池袋まで行っちゃうよ!!」
ざわめく児童たち。しかし、先生たちはニコニコしている。
富士見台駅が近づいてきた。
すると、止まらないはずの急行電車は富士見台駅で停車した。
車内アナウンス。
「上鷺宮小学校の皆様、ご乗車ありがとうございました。富士見台でございます。お忘れ物の無いよう、お気をつけてお帰りください。」
小さな歓声が上がったのを今でも覚えている。
これは鉄道会社の粋な計らいであったが、こういうことがなくても、私たちが望んでいるのは安全第一。いつもの時間に乗って、窓から見えるいつもの風景を運んでもらえることを期待もしないくらい、自然に、無意識に乗っている。
兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故は、「安全第一」、「いつもの当たり前の」を逸脱してしまった。事故現場では車両が信じがたい姿をさらしている。すでに、人が乗車できる空間はその車両からは見て取ることができない。
「ミスだった」という。しかし、ミスとは「思い違い」、「手違い」のことを指す。規定の速度を超過してカーブに進入した瞬間、それはミスではなくなり、未必の故意になる。
多くの方が亡くなり、負傷されました。ご冥福と早期ご回復をお祈り致します。
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’05 春の交通安全運動実施中
現在、春の交通安全運動期間中だ。政府のポスターには卓球の福原愛ちゃんが登場、「愛・おもいやり・ゆずり愛」と標語が掲げられている。警視庁のポスターには松平健さん、「交通ルールとマナーを守るのが、僕の安全リズムかな」となっている。
警視庁のもう一つのポスターが「便利になった」「危険になった」という文字が大きく書かれているポスターである。
私たちは利便性を追求し、空間・時間短縮を可能としてきてそれを受け入れてきた。便利なことはいいことである。もっと昔からあれば・・・というものも少なくない。そして、それを扱う最後の人は生身の人間である。使い方を間違えないように、短縮されて見落としてしまったものも気づくようにしてみたい。
☆乗り物は速くなったが、人は孤独になった。知識は増えたが、豊かな感情をなくした。(映画「独裁者」)
★ 警察庁 平成17年春の全国交通安全運動
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タクシーの運転手さん
昔の話しになるが、タクシーに乗ったとき運転手に大いに自慢されたことがある。
「これ、オートマなんだよ~。」
「あー、そうですか、すごいですねー。」
「これはね、ドアミラーが開閉するんだよ。」
「へー、楽しいですね。」
そんな自慢話を聞かされて目的地までついたことがあった。
別のタクシーの運転手さん。
飛ばすのである。乗っていて恐ろしいくらい。しかも蛇行運転している。
(もしや、居眠りでは・・。)
そのあとも赤信号なのに突っ込みそうになったり、とても生きた心地はしなかった。
そして最近の話。
「○○までお願いします。」
「○○ですか・・ちょっと分からないんで教えてもらえますか?」
「え(汗)分かりました。まず、○○通りに出てください。そのあとまたお知らせします。」
目的地近くにて・・。
「そこ右に曲がってください。」
「これは・・曲がれないなぁ。」
「え(汗)じゃあ、ここでいいです。」
誰も一発で曲がってくれと入っていない。切り返せば曲がれるところである。そもそもプロの運転手さんならどうにかしようっていうものだ。
そんな感じで、一昔前に比べて「道を知らない」「曲がれない」という運転手さんが多くなった。
それでも、深夜など「足」がないときはお世話になるのがタクシーである。道ぐらいは勉強して欲しいというものだし、あと、安全運転でね。
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