カテゴリー
ニュース

マインドコントロールが解かれる日は

 かつてオウム真理教の信者とジャーナリストや評論家がワイドショーで”対決”していたことがあった。現役女性信者が「児童相談所が勝手に連れ出した子供達を返して欲しい。国家による弾圧だ」などと主張した。これに対して、ジャーナリストの江川紹子氏が、「ならば、教団に連れて行かれた子供達を返して欲しいと訴える親の気持ちは分かりますよね」と畳みかけると女性信者は黙ってしまった。当時、教団施設に入所した若い信者を取り戻そうと、親御さんたちが何度も施設を訪れたが、教団側に「本人の意志だ」などとして門前払いの状態であった。
 
 ところで、マインドコントロール状態になっている女性がいたとする。その女性は、自称占い師と同居するという奇妙な生活を送っていた。女性は占い師の言うことを聞くが、それ以外の人の話は聞かない状態でいた。宗教問題にも詳しい、紀藤正樹弁護士はツイッターで、「脱会や精神操作の離脱にインスタントな方法はありません」と投稿した。
 
 同居していた占い師が法律で裁かれるとしたらなんであろう。何らかの理由をつけて、行動を制限していたのだとしたら強要罪にでもなるのかもしれないが、占い師が裁かれることよりも、解決すべきはマインドコントロールされている女性のほうである。よい教えは説かれるが、悪い教えは解かれなくてはならない。
 
 信じるものは救われる。しかしそれには、正しいことを信じるという前提がある。間違ったことを信じて心あらずの状態である女性を取り戻そうと、関係者による必死の説得が静かに行われている。早くなくてもいい、確実にみんなの元に戻ってくることを、祈っています。
 
  
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
★ オセロ中島、芸能界復帰に意欲 母”奪還”語る(産経新聞・12/3/6)
★ 貸主、本木雅弘 円満解決望む オセロ中島問題(産経新聞・12/3/6)
 
 

カテゴリー
ニュース

クラス全員年間無欠席 東海大学付属第四高等学校3年5組 目標達成まであと… 札幌

 スキージャンプの原田雅彦さんやモーグルの里谷多英さんら著名人を輩出した学校のようだ。東海大学付属第四高等学校(札幌市南区=白川裕久校長)の3年5組の生徒が1年間無欠席で卒業を控えている。同校の記録達成は1964年以降1度あるだけであり、目標達成まで残りの2日は、29日の卒業式予行練習と3月1日の卒業式のみとなっている。
 
 同校の学校通信「東海の風46号」を読むと、同クラスは昨年4月6日から25日までは無欠席が続いていた。5月26日には男子生徒側から病院遅刻か欠席という連絡があったが4時間目に登校。5月6日にはインフルエンザで出席停止となった生徒がいた。6月、女子生徒の親から「体調が悪く休みます」「大会前なので無理です」と連絡がある。
 
 担任の河上清孝先生はホームルームで「終わりました」というと、生徒は「は〜」と「怒りマーク100%」だったという。しかし、1時間目を終えたあたりでその女子生徒は登校。彼女は「なにさこれ〜!100%なんて、うちには関係ないし!こんなんで無理して学校来て身体壊したら誰が責任取るのさ!明日から大会だよ〜!」と話した。彼女に対してクラスの何人もが「休むなよ!」とメールやら電話をしていた。この日をきっかけに3年5組は一つになった。
 
 その後、40度近く熱があっても点滴を受けての登校や、インフルエンザか否かで高熱の中、病院と学校を行ったり来たりした生徒もいた。その生徒は結果的にはただの風邪だった。
 
 河上先生は「無理矢理に学校に来させるつもりは毛頭無かった。記録よりも目標への意欲、何か一つでもクラス全体で頑張りきった証(想い出)が欲しかっただけなのである」と語る。
 
 
 しかし3年5組のみなさん、常に上には上がいますよ。
 
 アフリカ大陸のキリマンジャロ(標高5895メートル)の登頂に成功した米国人男性がいるのです。彼の名前はカイル・メイナードさん(25)。彼は先天性四肢切断という障害を抱えています。「五体不満足」というベストセラーを出した日本人の乙武洋匡さんをご存じかと思いますが、カイルさんも生まれつき手足がない身体なのです。
 
 正確に言うと、カイルさんは両肘と両膝から先がない状態で、普通の人でも大変な山の頂を目指したのです。地上60センチの高さを這ってのぼるというのは想像を超えます。そしてついに登頂に成功したそうです。
 
 3年5組も、体調が悪かったり、点滴をしながら登校するなんて無茶だなと思いましたが、カイルさんも相当無茶。そんなカイルさんがアメリカで出版した本は「No Excuses(言い訳しない)」だそうです。目標達成を控えた3年5組のみなさんは、この1年間振り返って、何か言い訳することがありませんよね。
 
 卒業まであと登校2回。無欠席達成まであと2日。予行演習の29日は4年に一度の貴重な日ですね。卒業へのカウントダウンとして体調を整えておいてください。みんなと達成できる大切な日を忘れないで。そして翌1日には、いつか振り返ることのできるような、卒業の瞬間を。
 


 
★ 達成なるか、クラス全員年間無欠席 東海大四高3年5組(朝日新聞・12/2/26)
★ 東海大学付属第四高等学校 
★ 両手両足のないカイル・メイナードさんがキリマンジャロの登頂に成功! 前人未踏の挑戦にこめられた思い(ロケットニュース・12/2/26)
★ 2月29日(本ブログ・08/2/29)
 

カテゴリー
ニュース

ホイットニー・ヒューストンさん死去 48歳「ボディーガード」に出演 Queen Of Pops 突然の訃報

 80年代に世界のポップスシーンを席巻し、映画「ボディーガード」に出演した歌手のホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)さんが、米国カリフォルニア州ビバリーヒルズのホテルで死去した。48歳だった。死因は不明。
 
 ビバリーヒルトンホテルの関係者が蘇生術を試みたが現地時間11日午後3時55分(日本時間12日午前8時55分)に死亡が確認された。ビバリーヒルズ警察関係者によると事件性はないもよう。
 
 ロサンゼルスでは、第54回グラミー賞が行われる前夜であったという。ホイットニーもかつて第28回グラミー賞で、ベストポップボーカルパフォーマンス女性部門で受賞するなど、過去に同賞を6回受賞している。デビュー以来1億7千万枚以上のアルバムやシングルを売り上げ、80年代には”Saving All My For You」「How Will I Know」「All At Once」「Greatest Love Of All」などを売り上げて米ビルボードチャートで1位を獲得した。
 63年8月、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。母親は歌手のシシー・ヒューストン、いとこにディオンヌ・ワーウィックがいる。幼少期は教会でゴスペルを習い、その後モデルとして活躍。シンガーのバックコーラスなどを担当した後にデビューした。
 
 92年、映画「ボディーガード」ではケヴィンコスナーと共演。ホイットニー自ら歌手を演じ、劇中で「Always Love You」を歌いヒットさせ、同年に歌手のボビーブラウンと結婚し女の子を授かっている。
 
 ホイットニーは2000年に大麻所持で検挙され、薬物中毒治療のために2004年よりリハビリ施設に入所。その2年後の06年には離婚していた。
 
 歌手のグロリア・エステファンは「並外れた才能のあるエンターテイナーを亡くしてしまってショックです」と語った。音楽プロデューサーでもあるクインシー・ジョーンズは「非常に心を痛めている。彼女は類いまれな才能のある存在であった」と述べた。
 
 
 「ボディーガード」では自由奔放な歌手「レイチェル・マロン」を演じている。レイチェルは、「危機感のない者は守れない」という無愛想なボディーガード「フランク・ファーマー」に冷たい態度を取っているが、身に危険が近づいていることに気付いてフランクのボディーガードに協力的になる。
 
 いつしか「雇用者」と「被雇用者」の関係から恋人の関係になる二人。レイチェルにとってフランクは必要な存在であった。フランクがレイチェルの身代わりとなって被弾するシーンでは、”He is my bodyguard!”と叫ぶが、”No,no!! Stay with me, stay with me,Frank”(死なないで、フランク)と声をかけ続ける。
 
 最後のシーン。レイチェルが飛行機から降りてフランクにハグをするシーンは、ホイットニーの「Always Love You」が静かに流れる印象的なシーンであった。
 
 
  
 
 
 
 —– 「お別れのキスをちょうだい」 (レイチェル・マロン)—–
 
 
 
 
 
 
 
★ Singer Whitney Houston dies at 48(CNN・12/2/12)
★ 米歌手のホイットニー・ヒューストンさんが死去(読売新聞・12/2/12)
★ 米人気歌手、ホイットニー・ヒューストンさん死去(産経新聞・12/2/12)
★ ホイットニー・ヒューストンさん死去 米ポップス界の女王(時事通信・12/2/12)
 
★ Whitney Houston(Official Site)
★ ホイットニー・ニューストン(ソニーミュージック)




 
https://twitter.com/#!/shebop_aka_cyn/status/168711743487483905


 
 

カテゴリー
ニュース 映像写真

第146回芥川賞受賞の田中慎弥さん 終始憮然とした会見「とって当然」

 第146回芥川賞を受賞した田中慎弥さんは山口県下関市生まれ。県立下関中央工業高卒。平成20年には川端康成文学賞と三島由紀夫賞を受賞。地元で母(68)と暮らしながら、小説を書き続け、5度目の候補で受賞。
 
 会見では終始ぶぜんとした表情だった。「シャーリーマクレーン(Shirley MacLaine)だったと思いますが、アカデミー賞を何度も候補になって、最後にもらったときに『私がもらって当然だ』と言ったと思いますが、だいたいそういう感じです」と話すと、記者からは笑いと拍手が起きた。
 
 「4回も落とされた後ですから、ここらで断ってやるのが礼儀と言えば礼儀なのですが、私は礼儀を知らないので、もし断ったと聞いて気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱しますんで、都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる」と話した。候補作品について酷評した都知事への攻撃だったのか。
 
 記者が「(郷里である)下関の恩師や街のかたが喜びの声を上げていますが」については、「それはウソですね。教師に嫌われてましたから」と語ると記者からは笑い声が上がった。
 
「とっとと終わりましょう」、「(会見の前に)ワインを2杯飲んだ」とも話している。
 
 能力が認められずに「何を今さら」と言った著名人は多い。それが受賞することで認められるのか、数が多いからその質を認められるのか。時に本当に良質な物事を見極める方法を見失っていることがあるかも知れない。「誰かが言っていたから」ではなく、自分が信じたから、という物事を選びたい。根拠に基づいて判断したい。
 
 それにしても記者の方というのは質問する声が小さい。自信のある著名人は誰しも声を大きくして話をする。信念や宗教を持っている人というのは実に自信たっぷりに話すので、声の大きさは人の器の大きさを表す1つの指針になりうる。
 
 田中さんには「おめでとうございます」と書くべきなのだろうが、「とってつけたような言葉は要らない」とでも言われそうなのでやめておく。
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
★ 芥川賞に円城塔さんと田中慎弥さん、直木賞は葉室麟さん 第146回芥川賞・直木賞(産経新聞・12/1/17)
★ 「都知事閣下と都民各位のために、もらっといてやる」 田中慎弥さんの受賞会見(産経新聞・12/1/17)
★ 芥川賞候補作は「バカみたいな作品ばかり」 選考委員の石原都知事(産経新聞・12/1/6)
 

 
 

カテゴリー
その他

それはあなたたちが決めることです 家政婦のミタ 最終回

 冷たいロボットのようなスーパー家政婦、三田灯(松嶋菜々子)が阿須田家で仕事をするようになってから、阿須田家の面々は少しずつ変わっていった。過去を語るミタ。しかし阿須田家の面々はそんなミタを受け入れると言う。
 
 ミタに対して優しく接する阿須田家の面々。しかしミタにとって、人から優しくされることは辛いことであった。自分が経験してきた過去に対して愚直に従うミタ。その意思に反する優しさは辛かったのだ。
 
 ミタはただの家政婦ではなかった。本当に何でもできる家政婦であった。料理から洗濯に掃除、そして阿須田家の面々の気持ちをも静かに修復できる女性であった。そんなミタの誕生日は12月25日だという。クリスマスには決して派手ではないけれど、小さな灯りがつくことになるだろう。
  
 悲惨な出来事があってもそれをどう捉えるかにかかっている。自分の存在が周りを不幸にするということはありえない。そう考えてしまうのは自分の心が石のように冷たくなっているからであり、そうして自分を責めて感情を殺すことは、もはや自傷行為といえる。
 
 不幸な出来事があったら良い方向に向かうように意思を持つことが必要だ。その考えを持ち続けるためには強い意志が必要だ。そして冷たい石も、手のひらで強く握りしめば、必ず熱くなることを忘れたくない。
  
 周りにいる冷たいと思える人たちが、本当に冷酷なのか、実はそうではないのか。それは、”あなたが決めること”。そして、人との別れには涙よりも笑顔のほうが良い。なぜなら笑顔は、流れた悲しい涙を中和することができるからである。
 
 
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
★ 松嶋菜々子(seventh avenue)
★ 長谷川博己(ヒラタオフィス・右上)
★ 相武紗季 オフィシャルWEBサイト
 
★ 忽那汐里オフィシャルブログ&プロフィール(beamie/オスカープロモーション)
★ 中川大志のプロフィール(スターダストプロモーション)
★ 綾部守人(ジョビィキッズ)
★ 本田望結(上から4番目/テアトルアカデミー)
★ 白川由美(seventh avenue)
 
★ 家政婦のミタ(日本テレビ)
★「家政婦のミタ」にみる笑えない人たち(本ブログ・11/11/26)
 

カテゴリー
ニュース

リポーターの奥山英志さんの遺体を都内で発見 DNA鑑定進める 警視庁(2011.12.10)

 リポーターとして活躍し、3月11日の東北地方太平洋沖地震〔東日本大震災)発生直後に行方不明となっていた奥山英志さん(失踪当時61)=川崎市多摩区=とみられる遺体が東京都内で見つかっていたことが9日、産経新聞の取材で分かった。その後の12日、遺体は奥山英志さんと確認された。
 遺体は4月に、東京都調布市の神代植物公園にある個室トイレで首を吊った状態で発見された。司法解剖の結果、事件性はないと判断された。発見当時は身元不明であったが身体的特徴などの周辺情報から奥山さんの可能性が浮上した。警視庁でDNAや指紋の鑑定作業を行っている。同公園は奥山さんの自宅から多摩川を挟んで5キロほどの距離になる。
 奥山さんは川崎市内のマンションで1人暮らし。震災の直後には安否が確認できていたが、今年5月に所属事務所の吉本興業が家族から「連絡が取れない」と知らせを受け、家族とともにマンションを訪れたところ、室内は無人だった。その後連絡が取れない状態となっていた。
 奥山さんと親交の深かった、芸能レポーターの前田忠明さんは「もし自分の命を絶つようなことがあればその痕跡があるはず。それがない」とし、同じくレポーターの武藤まき子さんは「取材で自殺をした人の事件の現場に行っても、『ああいうことは絶対にいけない』と大きな声で言う人だから自分で命を絶つことは考えられない」と語っていた。
 
 奥山さんは震災直後に行方不明になったが、故郷が南相馬市だったこともあり、現地に赴いているのではないかと前田さんらは推測。家族や所属事務所関係者が神奈川県警多摩署に捜索願を出していた。奥山さんと断定されたのは、所持品や指紋照合などによるもので、家族が所持品を確認した。
 
 
★ リポーター奥山英志さんと確認、公園で自殺か(読売新聞・11/12/12)
★ 奥山英志さん遺体? 発見は神代植物公園(産経新聞・11/12/11)
★ TVリポーター・奥山英志さん不明 奥山さんとみられる遺体、公園で首をつった状態で発見(FNN・11/12/11)
★ 行方不明の奥山リポーターの遺体か 警視庁で身元確認進める(iza・11/12/10)
★ どこに行ってしまったの? 大分・北海道・川崎 行方不明になった人(本ブログ・11/9/15)
 
 

カテゴリー
その他

「家政婦のミタ」にみる笑えない人 たち

 テレビを見ていてある人を思い出した。その人は病名は分からなかったが、笑うことができなくなってしまっていた。原因は人間関係である。軽い抑うつ症状も出ていた。
 
 しかし全く笑えないわけではない。ある日その人がくだらないことを言い、その内容がツボにはまってしまって私が腹を抱えて大爆笑、5分間くらい泣きながら笑いが止まらなかったことがあった。その人はそんな私を見て口元だけ少し微笑んでいた。声を上げて笑ってもおかしくない状況だったが、その人の笑顔はそこまでだった。
 
 日本テレビ系列ドラマ「家政婦のミタ」で主人公の三田灯(みた・あかり=松嶋菜々子)は笑うことができなくなってしまった人である。現時点でその理由は分かっていないが、かつて夫と息子が亡くなったことに関して三田に負い目があり、2人の葬式の時に義母から「もう2度と笑うな」と激高されて以来笑わなくなっているのではないかと推測できる。
 
 三田が家政婦として送り込まれた阿須田家は子供が4人いるが、父親・恵一(長谷川博己)の不倫が原因で母親・凪子(大家由祐子)が自殺。そのことが引き金となって家族は空中分解していた。
 
 そんな中で三田は喜怒哀楽の表情を一切表に出さず、冷酷なロボットのように「承知しました」の一言で仕事を引き受ける。業務命令なら何でもこなし、伝言をする際も相手からの文言を完璧に覚えている。ある日長男・翔(中川大志)が「やらせてくれ」というと、「承知しました」と言って服を脱ぎ出すほどである。
 
 しかし、笑えという命令には「どうしてもと仰るのであればお暇を頂きます」と言い、自身の過去のことについても「個人情報はお伝えできません」と拒否する。それ以外であれば基本的に何でも行い、長女・結(忽那汐里)が「私を殺して!」と懇願すると「承知しました」と言って包丁を上から振りかざすように持って結を追いかける。恐ろしくなった結は物を投げつけるが、何故か全てはねのけてホラー映画並みに執拗に結を追い回した。
 
 阿須田家の家族が「三田さん、どうしたらいい?」と言うと、「それはあなた(たち)が決めることです」と突き放す。しかし三田も徐々にではあるが、質問に対して忠告をするようになっていく。
 
 「家政婦の三田」に笑う日が訪れるのだろうか。そして阿須田家全員が笑うことのできる日が来るのだろうか。
  
 心の闇に感情を閉じ込めてしまった人は笑わなくなる。笑う感情よりも強い責務がのし掛かってきた時にそうなってしまう。冒頭に出てきた「笑えない人」がその後どうなったかは分からない。ただ笑うという人間だけの感情表現を早く取り戻していたらと願う。私を笑わせたのであるから大きな前進だったに違いない。
 
 重いストレスを抱えると笑えない。暗い話が明るくなるのは何がきっかけになるのか。最初に笑顔を見せるのは誰なのか。笑顔を見せるきっかけを作ってくれるのは何なのか。そのきっかけは作れるものなのか。
 
 笑顔は人を笑顔にし、笑い声は相手の全身に心地よく響く振動だ。同じ人生を送るのであれば、笑う時間を人生で長く持っていたいものである。怒っている人や泣いてる人を一転にして楽にする、笑顔にはそんな力が働く。そして笑顔は必ず相手に伝染する。僕たちはそれを、生まれたときに覚えた。泣いて生まれてきたのに、笑顔で迎えてくれた。
 
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
★ 家政婦のミタ(日本テレビ)
 
 

カテゴリー
ニュース

大樹を失う悲しさ 立川談志さんの死

 桂三枝さんは、「世間の師匠のイメージと僕が見た師匠は違いまして、若いころからかっこよくてずっと憧れていました。亡くなったことを嘘と思いたい」。そういうと三枝さんは目頭を押さえて「申し訳ありません」と泣いた。
 
 立川志の輔さんは、「自分の良しとしない姿は弟子にも見せないというダンディズムだったのだろう」「国会議員になったり、自分の流派を立ち上げたり、自分でデッサンを描き続けた人生だった」と語った。師匠の死を知らされたのは密葬が済んだ後のことだった。
 
 桂米朝さんはコメントを発表。「彼はまた、そのわがままな性格から、色々と世間に物議を醸したことがありましたが、実は”無茶”を演じていたような気がします。ああ見えても、談志は神経の細やかなところがあるんです」「もっと色々と話しておきたいことがあったのに・・。なんや心に穴が開いたようです」と語った。
 
 落語家の立川談志さんが21日に亡くなった。75歳。破天荒の人生だと報道では言われている。しかし未曾有の存在でもなければ毒舌でもなかった。ただひたすら立川談志であったこと、それが人々を魅了した。談志師匠という大樹に寄りかかっていた人たちはどうすればよいのか。木陰になり、寄りかかることもでき、そして見上げることのできる大樹が消えてしまった。
 
 これからは、見上げれば青い空に、人を想う気持ちが映えることとなる。多くの人が泣いた分だけ、故人の人柄が偲ばれる。
 
 
★ 落語家の立川談志さんが死去(iza・11/11/23)
★ 談志さん死去:桂三枝さん「うそと思いたい」と涙(毎日新聞・11/11/24)
 
 
☆ 人気ブログランキング(国内ニュース)に参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。
 
 

モバイルバージョンを終了