警察窓口というと交番を思い出すが、そういえば消防署やその出張所にも受付窓口のようなものがある。現役の消防署員の訴えなどから、神奈川県小田原市の公平委員会が、受付業務などの廃止を含めた見直しを検討するように市に勧告したという。
公平委員会というのは、市町村が設置し、3人の委員が職員の勤務条件などに関する審査などをするというもので、そうしたものがあるとは知らなかった。
小田原市によると、同市消防本部管内の消防署や出張所などでは、毎日数人が電話受付や来訪者応対などを深夜にも行っているという。そのため「我々が過労死したら住民を助けられない」などと消防職員が訴え、公平委員会が廃止を含めた見直しを検討するように市側に勧告した。
行政サービスでも、消防や警察、そして自衛隊などは体が資本のサービスであり、職員の方々が疲弊すると国民生活が脅かされる危険がある。消防だけではなく、24時間体制の勤務を強いられる業務は効率化などを図って身体を休めていただきたいと考える。
民間でも、ファミリーレストランを運営する会社が24時間営業から撤退するという報道を読んだ。客のライフスタイルも変わり、深夜営業する費用対効果もよくないのだという。休める時には休み、効果的な人員配置で利益を出すようにできればよい。
お金が流れることでどんな営業方法論でも活用してきた経済だが、資本である人力が疲弊している。少子高齢化で、ライフスタイルというよりも人そのものの動き方が変わりつつある。行政も民間もそうした流れを注視しつつ、誰もが納得するような事業所運営をすべきである。
それには”顧客”の協力も不可欠である。普段から健康に気を使えば救急車のお世話になる確率は低くなる。火の元に用心すれば消防車を動かすコストは削減できる。トラブルにならないように日常生活を送れば、他人のストレスを作らない温和な社会を作ることが出来る。つまり、事業所単位ではなく、個人単位でできることはいくらでもある。
★ 消防署の24時間受付、廃止含め見直し勧告(読売新聞・2017/2/10)
月: 2017年2月
発音するとかっこいい英単語・41
counterintuitive(カウンターインチュイティブ)
意味:直感に反した
カウンターという接頭辞を使う言葉を最近耳にします。
proactive strategy(プロアクティブ・ストラテジィ)
意味:先を見越した戦略
先見性のある事業運営が重要。
health-centric (ヘルス・セントリック)
意味:健康重視の
酒やタバコなど身体に悪いことをしたがることもありますね。
downsizing(ダウンサイジング)
意味:小型化
何でも小型化にするのが日本製品の強み。
industrial giant(インダストリアル・ジャイアント)
意味:大企業
big playerともいい、こちらは人にも使う。
seasoned (シーズンド)
意味:(人が)経験豊かな、味付けした
意外な意味がありますね。
on the payroll(オン・ザ・ペイロール)
意味:雇用されて
payroll 「給与支払い名簿」に載っているので雇用されているという意味に。
revolving door(リボルヴィング・ドア)
意味:回転扉
リボルビングなんていうと銃を思い出します。
memoir(メモワール)
意味:回顧録、体験記、学術報告
若いころは想像図が描け、年を重ねると体験記が書ける。しかしいつの時でも両方書けるようでいたいですね。
ということで、今回はこの辺で。See you☆
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自由を守るための行動
人工透析患者を「殺せ」とブログで言い放った元アナウンサーが次期衆議院選挙に立候補するという。インターネットという公の場で人を「殺せ」というのにはまったく理解ができないが、こういう人が議員になろうとしていいのだろうか。
最近強く感じるのは、こうした”言葉の裸の王様”が増えているということである。米国大統領氏は移民を排除する、隣国を壁で隔てるなどと発言している。また、被害者を罵り19人を死に至らしめた相模原の事件は記憶に新しい。
言葉にも服を着せるべきである。過激な言葉を選んで大きな声を出した人が一番の世の中であるべきではない。マナーを持って言葉を運用する最低限のルールが失われつつある。声が大きくなくてもいい、言葉を発しなくても正々堂々と生きている人が評価されなくてはならない。評価されなくても、認められなくてはならない。生物が生きる権利というのはそうした基本的な考えに基づくものである。
そして、愚かな行動に対して、「それは間違っている」と感じたら、「それは間違っている」と声をあげ、「正しいのはこういうことである」と行動することである。誰でも不本意な生を授かったり、事件事故に巻き込まれたりして行動不能な病床に陥ることもある。そんな立場の弱い人に対して、大義の言葉の飾り付けをして、それを当然のごとく周知していいのか。
「殺せ」などと、自分ではなく他人の力を借りて祈念するのは誤りである。力というのは気にいらない相手を消し去ることにあるのではなく、消えそうな相手を救うことにある。最後には誰もが消える。消えるまでの自分の足跡や生き方はそれでいいのか。
声を大にしていうことで既成事実化させ、さも当然のごとく振る舞う昨今の傾向はどうにかならないだろうか。声なき声を救い、横暴な無駄な声には断固NOという声をかぶせるべきである。それでどうにかするのが本来あるべき事実である。
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