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懐かしい再放送「ザ・トップテン」キラキラしていた80年代

 この手の番組の再放送を見ることができるとは夢にも思わなかった。かつてのランキング形式の音楽番組で一世を風靡した「ザ・トップテン」が懐かしい。80年代を彩ったアイドルたちが懐かしく、四半世紀の時間経過を忘れさせてくれる。
 
 松田聖子、河合奈保子、中森明菜、堀ちえみ、小泉今日子、菊池桃子などの女性陣、チェッカーズ、安全地帯、吉川晃司、アルフィ、CCBなどの男性陣。歌手が歌う前に、司会者であった堺正章と榊原郁恵と一緒にする会話も楽しい。
 
 番組の魅力となったことの1つに「中継」がある。主に番組放送していた東京・渋谷公会堂に来られない歌手は、中継で渋谷とを結び歌を歌った。特に中継にこだわっていたのは「ザ・ベストテン」ともいえる。時間がない歌手が新幹線で移動していたときに、駅の停車時間というわずかな部分を拘束して中継で歌わせた。歌手によっては、新幹線が発車するぎりぎりまでホームで歌い、発車のベルが鳴ったときは新幹線に乗り込んで歌を歌い続けるという、今では考えられない”無茶な”中継が楽しかった。
 

 こうした中継について、当時の「ザ・ベストテン」の担当は、「ランキングを正確にするために中継にもこだわった」という。是が非でも歌ってもらうことで、ランキングというものに真実味を与えたわけだ。しかし番組開始当時は系列局の協力を得るのに苦労したという。「報道ならともかく、たかだか3分の歌のために中継車を出すなんて」というわけだ。しかし中継も後に番組の重要な位置を占めることになった。(※)

 
 ザ・トップテン番組中のハプニングとして、「日本航空123便墜落事故」(85年8月)の速報がある。番組冒頭に小林完吾アナウンサーが、同機が管制塔レーダーから消えたことを伝えた。番組は進行したが、何度か中断してこの事故の速報を伝えた。
 
 80年代後半に、トップテンやベストテン、「夜のヒットスタジオ」が相次いで番組の歴史に幕を閉じた。その原因として、視聴者の音楽嗜好の変化が挙げられた。そして大スターやヒット曲の不在、出演を拒否した歌手が続いたことも大きな痛手となった。
 
 この時期の音楽業界といえばレコードからCDへ移行した時期である。1曲聴くのに針を落として歌詞カードを読みながら音楽を楽しむという時間があったが、CD出現で忙しくても多少手荒に扱えるCDはテレビの前で好きな歌手が出てくることを待つ必要をなくした。加えて洋楽ブームが起きていたことも、当時の音楽番組離れを加速させていった。
 
 番組を支えたのは出演歌手のみならず、司会者も同じである。そして裏方さんの苦労も忘れてはならない。出演者のスケジュール管理、中継の手配、大きなセットの制作など番組を楽しく見られるために忙しく動き回っていた人たちに感謝したい。
 
 毎週が楽しみだった音楽番組。ランキング紹介でどの歌手が出てくるのかはとてもワクワクさせられた。そんな興奮を四半世紀ぶりに味わえるのも、再放送を有料で見ることのできる時代になったからであろう。”来週”はどんな歌手が出てくるのか楽しみである。それにしても童心に戻る。思えば放送当時、純粋にテレビを楽しめばよく、大人目線で見る必要がなかったことが実に楽しかったのだ。
 
 
(※)=参考・読売新聞東京版夕刊・92年11月24日
 
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★ ザ・トップテン(日テレプラス)
 
 

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