子供のころは残酷だったと思う。アリを2匹捕まえて、シャープペンの芯ケースに入れる。そうすると戦い始めるが、ケースのふたを閉めた状態であったため、酸欠で死んでしまうのだ。アリの巣を見つけては、その入り口に水を入れて水没させたこともある。
いじめていただけではない。埼玉県の河川で遊んでいると、向こう岸の林の中からヘビが出てきていた。口にはカエルが片脚をくわえられた状態でぶら下がっていた。カエルは好きでなかったのだが助けたいという一心で、精一杯の正義感を持ってヘビに向かって投石をした。石が命中するとヘビはカエルを口から放した。
都内で幼少期を過ごした割には緑の多い場所で育ち、それは貴重で幸運な体験であった。昆虫や植物、そして小動物と接する機会が多く、人間より無愛想な彼らと見つめ合い、時間を空費していた。
沖縄県で県動物愛護センターに捕獲され、処分される犬の数が全国一である事が分かった。06年の統計では、その数6399匹である。同センターの1階には、収容されている犬・ネコの種類、保護・捕獲された日時、そして処分日が貼られている。処分日にはガスで処分される。
動植物と静かに同じ時間を過ごした経験があると、おおよそその価値のない時間が恋しくなってくる。だからふと植物に水をあげたくなるし、鑑賞してしたくなる。犬や猫を呼び寄せて頭をなでてやったりしたくなる。そうした動植物たちと同じ時間を過ごせたことは幸運ですらある。
自分の最期を感じ取った動物たちは、オリの中で何を考えて過ごしているのだろう。目をつぶって見えるものは何であろう。動物たちに最期を押しつけた、人間たちは今どこで何をしているのだろう。
☆ 「こんな田舎町でも何か起こるのかい」「ああ」「何が?」「バラが咲く」(映画・『乱暴者』)
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★ 犬の殺処分数全国一 問われるモラル、多い飼い主持ち込み(琉球新報・08/7/9)
年: 2008年
死刑には賛成だった。非情な殺され方をした被害者の無念を思えば、被告は命を持って罪を償うべきだ、法律公認の仇討ち制度だ、自分だけ人生やり直そうなんてずるい、そんな風に考えていた。
しかしそれも、付属池田小事件の被告の報道を、目の当たりにしてから考えが怪しくなってきた。元被告は死刑を望み、法廷でもふてぶてしい態度を貫いて最後まで反省の弁は述べることはなかった。そうすると、彼は自分の思惑通りに人の命をあやめ、望み通り極刑に処されたのである。
願わくは、幼い我が子を奪われてしまった、遺族のかたがたの悲しみが少しでも癒えることを。しかし、確信を持って事件を起こす人間を止められなくなってしまった。予防しようにも、難しい。
死刑存廃議論において、「死刑があると、えん罪だったときに取り返しが付かない」といった主張がある。現代の司法制度において、死刑になるには被告がその刑を受け入れなければ、上級裁判所まで持ち越される。警察から検察へ、そして地裁、高裁、最高裁と段階がある。
その間に事件の態様が精査されて、シロかクロかが決まる。「疑わしきは罰せず」という考えである、推定無罪の原則があり、且つ法曹界や一般市民が声を上げて、物事を言えるこの国において、えん罪で死刑になる可能性は低いと思量される。
「死刑は犯罪の抑止力にならない」という主張がある。確かにアメリカなどの例を見ても、死刑のある国や地域で、犯罪発生率が劇的な数値となって現れることはない。その一方で、死刑を適用する基準の厳しい国であるシンガポールやアラブ諸国において、マフィアのような犯罪組織が存在しないことは、死刑に一定の抑止力があると考えられている。ただしこれは、国や地域の人口などにもよるところがあり、死刑の有無が犯罪数を増減させる要因にはなっていない。
死刑の適用基準は難しい。何人殺したら死刑であるという、命を天秤にかける基準を設けるのもおかしいうえ、その態様が残虐であるという基準を定めるのも困難な作業だ。
では、死刑制度のある日本ではどうあるべきだろうか。日本では暴力団の存在もあり、また、死刑があるにも拘わらず、海外からの犯罪者が多く存在している。そして極刑を志願する犯罪者たち。
死刑に賛成する人は、被害者遺族の側に立ち、声を大にしてそれを主張すべきだ。
死刑に賛成する人は、加害者に向かってそれを主張すべきだ。
死刑に反対する人は、被害者遺族に向かってそれを主張してはいけない。
死刑に反対する人は、加害者に向かってそれを主張すべきだ。償いのために生きて、生きて、生き恥をさらしなさい、罪の重さに苦しみなさい、と。
来年には裁判員制度が始まる。一般市民の責任は、非常に、非常に、重くなる。
☆ 我々の憎悪があまりに激しくなると、憎んでいる相手よりも下劣になる。(ラ・ロシュコー)
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★ 特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観(毎日新聞・08/7/4)
「2ちゃんねるは便所の落書きだ」と最初に言ったのは筑紫哲也さんだという。でも私のほうが早い。98年頃、「東芝クレーマー事件」というネット上の騒ぎ(「祭り」という)があり、そこに書き込みをした。ところが「反撃」を食らって頭に来た私は「こんな便所の落書き・・・」というフレーズを使った。2ちゃんねるがまだ分類化されていないころのお話。
イタリア・フィレンツェ市内、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に落書きをした女子大学生が厳重注意の処分を大学から受けた。そして他の大学生、高校の野球部監督も処分を受けた。少し厳しい気もするが、名前を書いての堂々の犯行の告白は放っておくべきではないだろう。旅行をすると開放的な気分になるのは分かるが、たとえ周りが落書きをしていても、真似してよい合理的な理由がない。
ところで、ツアー会社「エクスペディア」のアンケートで、ベスト・ツーリストとして日本人が堂々の一位を獲得していた。以下順位及び詳細。
総合順位 1. 日本人 2. イギリス人 2. ドイツ人 4. スイス人 6. オランダ人 詳細としては、「行儀のよい旅行者」、「礼儀正しい旅行者」、「ホテルで静かな旅行者」、「苦情の少ない旅行者」で一位となっている。
こんなに評価がよいとは知らなかったが、これは誇れることである。日本製品のみならず、日本人そのものに評価があるのは素直に嬉しいところだ。人間の素行はなかなか誤魔化せるものではない。見ている人はちゃんと見ているのだ。
しかし近年の日本では落書きが酷く、どこの商店街でも対応に苦慮している。海外から来た人たちが日本の街を見てガッカリするようなことはあってはならない。していることは犯罪であると知らしめる必要があり、断固とした措置が必要だ。
最近の落書きは手の込んだものが書かれているようである。最近、「へのへのもへじ」を見ることはなくなり、すっかり過去のものになってしまったようだ。
☆ えーい 紙をまっくろけにぬりつぶしちゃえ。なんとかなるだろう。物語はここから始まるのだ (手塚治虫)
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★ 99年「東芝クレーマー事件」の男、窃盗容疑で逮捕 福岡(本ブログ・09/7/3)
★ 旅行者のイメージ調査結果発表(08/7/3)エクスペディア)
★ 落書きの呆れた日本観光客について(レコードチャイナ
★ 「SANTA」の落書き犯逮捕(産経新聞・07/11/28)
問われるネットでの人権感覚
ジャーナリストの堀田貢得さんは、「ブログの発展が一番恐い。これまでテレビや映画、新聞が差別を拡大再生産させてきたが、もっとひどいことが起きてしまうのでは」といい、差別表現を指摘すると表現者から「言葉狩り」だと言われ、「表現の自由」を主張することについて、「井上ひさしさんは『表現の自由とはあくまで、権力に対する表現の自由。弱者に対しては、担保されていない』と指摘した。差別は人間を不幸にする。表現者は、差別とそれによる不幸を認識し、言葉による痛みを和らげる配慮を持つべきだ」とした。
確かにネット上では少数であることを理由にいわれのない差別が起きている。在日外国人への差別、身体障害者への差別、そして性差別に職業差別。我々は無意識のうちにいわれのない差別をされ、また、差別をしている。
人は誰でも他の人より優位でありたいと考える。勝ちたい、偉くなりたい、金持ちになりたい、と願う。しかしそれが叶わないとなると、その歪んだ考えの矛先を少数派に向ける。ネットであればその考えが希薄になり、群集心理も手伝って勢いが増す。
他人に何の落ち度もないにも拘わらず、言葉をいい加減に発する行為は断じて許されない。人としての権利を侵害できる方法は誰にもないのだ。差別も健全な競争がもたらすものであれば、それは悪意のあるものではなく、善良な区別であるといえる。運動会で順位が付くものががそうである。1位の者を称えて、優勝できなかった者をなぐさめる、そんな優しさを誰もが持っていたことは忘れたくない。
☆ 飢えている人々に食べ物を与えることができるのにそうしないものは、だれでも殺人者である。(ラムネー)
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★ 差別表現 ブロガーも問われる責任と人権感覚(ITmedia News・08/6/9)
★ 「2ちゃんねるなどで社員中傷、法的措置を検討」毎日新聞社 英文サイト問題(産経新聞・08/7/1)
「環境に優しい」も偽装か ~偽装エコロジー~
何かおかしいな、本当に100%再生紙なのかな、と思っていたら、今年の1月に再生紙偽装問題が発覚した。大手製紙会社4社は再生紙商品のほとんどが偽装であったことを認めた。偽装や改ざんの問題が次から次へと明るみに出て、感覚が麻痺していたところの新たな問題であった。ついでにいうと、うちの自治体は結構な物を”燃やせるごみ”として捨てることができる。紙くず・生ゴミの他に、グローブなどの革製品、汚れの落ちないプラスティック製品、CDはケースごと捨てられる。
妙だなと思っていたのには、リサイクル名目でゴミを回収しても100%の純度が保たれることはない、そう素人考えで思ったからである。この、”100%”リサイクルにならないことを踏まえて環境問題を考えなくてはならない、そういう本が「偽装エコロジー(武田邦彦著・幻冬舎)」だ。
例えば「レジ袋は使うべき」、「割り箸は使うべき」、「バイオエタノール理由促進はただのエゴ」、「冷房28度設定は意味無し」、「温暖化で世界は水浸しにならない」、「石けんのほうが環境にいい、は誤解」、「ダイオキシンは危なくない」、「生ゴミを堆肥にするのは危ない」といった具合に驚くべき内容になっている。今まで知っていたはずのエコ対策が実に全否定である。
「レジ袋」は、石油でそれまでに使われずに廃棄されていた成分を有効利用したものであり、それをやめるとなると、エコバッグや当然に必要なゴミ袋を作るのに、石油の本成分を使うことになり、全く環境によくない、というわけである。
こうした”危機的エコ対策”にはどうすればよいか。著者であり、工学博士の武田邦彦氏はこう言う。
「好きな人がいれば、1杯のコーヒーでも夢のような2時間を過ごすことができる。もし好きな人がいなければ、電気街に行ってパソコンを山ほど買い、一人で家にこもるしかない」。
どういう意味かは本を読んでいただきたい。読んでみて分かったことは、本当の環境問題を考える上で、間違った知識は遠慮無くどんどん捨てるべきだということだ。
当ブログのタイトルも怪しくなってきた。。。。。
☆ 楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ(ブルデンチウス)
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★ 産経抄(産経新聞・08/7/2)
★ 【リサイクル再考】ペットボトル編(上)トラックは「空気」を運ぶ!?(産経新聞・08/6/24)
★ 【リサイクル再考】「ペットボトル」編(中)意識醸成へ割高も「我慢」 (産経新聞・08/6/25)
★ 【リサイクル再考】「ペットボトル」編(下)(産経新聞・08/6/26)
最近、声を上げて、腹を抱えて笑ったのはいつだろうと考えた。なかなか思い出せなかったが、一つ思い出した。今年のいとこの結婚式で、バージンロードを歩く新婦の父が、新郎と向かい合わせになって一礼、その時に互いの頭がぶつかったのである。新婦の父の頭がバーコード状態だったこと、ニヤリと笑った新郎も拍車をかけた。
確認しなければよかったのだが、隣に並んでいた妹と母も激しく肩を揺らしていた。妹は「ヒクッ」と殺した声を漏らしながら体が凄い早さで揺れていた。これで完全に笑いが止まらなくなった。「ヒクッ」といいながら、深呼吸をして息を整えようと思うのだが、この日はまずいことに寝ていなかった。つまりテンションが思いのほか高くなっていたのだ。賛美歌を歌うときになってようやく”公に”声が出すことができ、笑いも自然に収まった。
ここまで苦しくなるくらい、笑うことが毎日あったら楽しいとは思うが、なかなかそうはいかない。東京都庁の人事で、自ら望んで4つ降格して「主任」になった男性の記事があった。キャリアを捨てた後悔の有無を聴くと「何より笑って話が出来るようになった」とのこと。
動物で唯一笑うのは人間。でも、なかなか笑うことが出来なくなってしまった。小さいころは何故あんなに笑っていたのだろう。笑うということは人間にある花のことかもしれない。幼少期はヒマワリのように威勢よく遠慮もなく咲いていた。大人になると、水のタイミングや日当たりなど、花を咲かせるのに手間がかかるようだ。そして咲くか咲かせるかの違いが人によってあるようだ。であれば、他人の花を咲かせてみたい。
いとこの披露宴で、最後に新郎新婦が会場出口で並んでいた。「さっきは面白かった」というと、「ありがとうございます。笑いのツボが同じようですね」と新郎。いとこの新婦には「○○ちゃん、おめでとう。大きくなったね・・しあわ・・」
年を取るとなくなるようである。笑いのしまりも涙腺のしまりも。
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★ 【Re:社会部】都庁式スローライフ?(産経新聞・08/7/1)
中ノ森BANDが解散
カラオケに行くと友人がよく歌うグループがあった。最初は全く興味がなかったが、歌う愛嬌のあるきれいな顔立ちに惹かれて、負けじと歌うようになった。それは友人が歌うのだけを聴いてメロディを覚え、実際の歌声を聞くのは後になってからという変わったアプローチであった。
「中ノ森BAND」のボーカル&ギター、中ノ森文子の特徴は少しだけのハスキーボイス。デビュー曲「ラズベリーパイ」はプロデュースが外国人。曲の仕上がりは洋楽ポップに仕上がり、若さが大人に追いつかんばかりの可愛らしさがある。元気で明るい色はまさに「ラズベリー色」。
「Oh My Darlin’」は女の子がバンドをやっています、そういう躍動感が伝わる歌であり、PVでは広い部屋で練習するような雰囲気の演奏風景で歌っている。
「音楽性の違い」をグループ解散の理由に挙げていた中ノ森BAND。音楽をやる上で、その方向が同じでないと作業は辛い。メロディを楽器にその表現を託し、表現者になることの苦しさ。そして芸能界という特殊な場所で、思うようにいかない閉塞感が突然の解散宣言になったのであろう。
自分より年下のアーティストを応援することが多くなったが、彼らはその中で最年少であった。中ノ森文子はまだ23歳であり、他のメンバーもまだ若い。芸能界という社会でデビュー、そして解散という歴史はなかなか経験できることではない。バンド生活という楽譜に一つの区切りを付けた若いマイク、ギター、ベース、キーボード、ドラムは全休符のしるしを付けた。
☆ 色々な人に支えられているので、愛って素晴らしいなと思いました。(中ノ森文子)
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★ ayakoman0404 (中ノ森文子)ツイッター
★ ayako nakanomori (myspace)
航空機内で心肺停止状態の男性に蘇生措置をしていた女性が、周りにいた野次馬の乗客に携帯カメラなどで撮影され、恐怖心などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。中高年の日本人男性乗客らが「テレビと同じ」「やめたら死ぬんでしょ」といって撮影、女性は中年男性が集まる場所で過呼吸の症状が出るようになった。シャッター音が恐ろしくなり、携帯のカメラを使えなくなったという。
野次馬が撮影というと、秋葉原の事件が頭をよぎる。あの事件のとき、多くの人が携帯電話のカメラで撮影していた。そのため、犯人が警察官と対峙する瞬間や逮捕直後の画像を見ることができた。人が集まる歩行者天国だからそれをなしえた。新聞やそのサイトでは多くの写真の下に「視聴者提供」と記されていた。
携帯電話にカメラが付くようになり、誰もが現場のレポートをできるようになった。マスコミよりも早く、現場にいることのできる人たちが増えたのだ。
私は映像を撮ることが昔から好きで、友人と遊びに出かけるときはいつもどこかにカメラを向けている。だから、この野次馬根性はよく分かる。私も”現場”にいれば間違いなく撮影していたであろうし、きっとブログに掲載していたに違いない。
そしてカメラを回していると気付くことがある。よくマスコミのかたが、カメラやマイクを持っていると怖くない、ということがあるが、それと同じ気持ちになるのだ。”危険”ギリギリまでレンズを向けようとすら思う。
人は大きく分けると発信型の人と受信型の人がいる。発信型は常に「教えてあげる」と、何かを伝えようとする人であり、受信型の人は常に「教えてください」と何かを知ろうとする人だ。人間関係の根本にはこの2つが大きく作用していると思う。
教えてください、という人がきっといたに違いない秋葉原の事件現場は、撮影することに意義があると思う。しかし冒頭の航空機内での女性の話、映像や写真を「見せて下さい」という人がどれくらいいるだろうか。
写真などを記録しようと思うのは、曖昧になる人間の記憶を補完するためである。撮影することに意義が無ければ、プライバシーや肖像の権利を侵しているといわれても仕方のないことだ。航空機で救命措置中の女性を撮影した中高年の男性がた、あなた方の行為でPTSDになった女性がいることも記憶として残しておいていただきたい。
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★ 飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影でPTSDに(産経新聞・08/6/25)
★ 【勿忘草】もしも秋葉原で(SANKEI EXPRESS・08/6/23)
★ 秋葉原無差別殺傷事件 “記念撮影”する傍観者たち(産経新聞・08/6/18)
★ この”事件”の詳細はこちら。真ん中の「症例」をお読みください。