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もっと飛べるかも

 跳び箱は危険であるというニュースがあった。小中学校で体育の授業における怪我の原因の1位が跳び箱であるという。組体操よりも死傷事故が多いようだ。跳び箱反対派は、「日常生活では全く使わない体の動きをすることに何の意味があるのか」と言い、跳び箱擁護派は、「できないことができるようになる達成感がある」などとした。
 
 組体操よりも受傷者が多いというのは驚いた。手首を捻挫したり、バランスを崩して頭から落下して上半身不随になる、跳び箱に腹部を強打して内臓破裂で死亡した例もあるという。
 

 桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部の松本格之祐教授は、「跳び箱は、両手をつき、体を前に投げ出す、という日常ではなかなかやらない動きが特徴。体の使い方に慣れていない状態で跳ぶと恐怖心を感じてブレーキをかけ,手に体重がかかる形になったりバランスを崩したりして事故につながることが多い」と指摘しています。身をかがめた人の背中に手を付き、跳び箱のように跳ぶ「馬跳び」を勧めます。子どもどうしでちょうどよい高さに調節できるうえ、助走しないために安全に体の使い方を習得できるといいます。(NHKニュース・2019/9/9)

 
 小学生の時、運動音痴な私が跳び箱を15段を跳んで英雄になったことがあるので、事故が多い理由で「廃止」などとなったらあまりに悲しい。松本教授の言うように「馬跳び」をオススメしたい。むかし、馬跳びをしたときに「Nonoが跳んだときは軽くて体重がかかっていなかった」と言われたことがある。その時はよくわからなかったが、その後大人になってその理由が少しわかったような気がした。
 
 ジャズダンスを習っていたときにバーレッスンの時間があった。バレイのレッスンでも見かけることのあるあれだ。あのバーには頼りすぎてはいけないというルールがある。あくまで軸足が立てているかどうかを見るものであるからだ。
 
 つまり誤解を恐れずに言えば、取っかかりを作るためのバーであり、バーがなければできないことではないのだ。あのとき馬跳びで「軽かった」と言われた理由としては、馬跳びも跳び箱も同様に、手をつくのは跳ぶための「取っかかりであるという意識」であって、手をつくことに気持ちが大きく依存する必要はないのだ。手をつくのは空中でバランスを整えるためのものであって、前方に跳ぶための勢いは助走と踏切板で構成されるのではなかろうか。
 
 馬跳びだと友だちの体に思いっきり叩くように手をついては申し訳ない。あまり触れないようにする意識をもっていたから「軽く」跳べた。
 
 ヒーローになった跳び箱は、開脚跳びではなくて閉脚跳びであった。最初は足が箱にぶつかる恐怖があったが、高さを低く設定され、「跳び越えるのではなく、箱の上に乗っかる」というのが最初の目標であったために恐怖心がなくなった。そのうち「これは跳び越えられる」と自信がついたことで次々と箱をとび越えた。
 
 しかし、1位はもうひとり男の子がいた。今もSNSで繋がっているが、こんな話をしたら彼は覚えているだろうか。運動神経のいい彼のことだ、体育の中の1つでしかない跳び箱なんて忘れているだろう。ならば忘れていてほしい。そんな小さいひとつの思い出くらい、一番でいさせて。
 
 
★ ”危険”なとび箱 どう防ぐ(NHKニュース・2019/9/9) 

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