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対岸のいじめ

 沖縄県内の公立小学校に勤務する40代男性教諭が、児童の顔に落書きをするなどのいじめをしていたことが発覚した。児童は嫌がっているにもかかわらず、「宇宙人」というあだ名で呼ぶなどされていた。
 
 児童はストレスが原因で情緒不安定になっていると診断され、自傷行為や嘔吐などの症状が出ているという。男性教諭もこの問題の発覚後に体調を崩して休職しているとのことだ。
 
 いじめの問題は昔からあるのだが、この男性教諭はいじめ問題に対する意識はなかったのだろうか。セクハラ、パワハラ、モラハラなどの嫌がらせもそうであるが、常に当事者意識を持っていればこういう問題は起こりえない。なぜ自分が加害側になるかもしれないという意識を持って人に接しないのか。
 
 ささいな一言が人を傷つけることがある。言葉というものが相手の心を傷つけ、それに気がつかない加害者は有形力の行使によってさらに人を傷つけるのである。
 
 冒頭の問題はそうしたことを教えるべき場所である学校で起きている。全国でたびたび露呈するいじめの問題の根本解決は、他人を尊重することから始まる。しかし権利意識の高まりで、自分を尊重することを優先する者があまりに多い。
 
 こうした記事を読んで「対岸の火事」だと思っていたら危険である。対岸の手前に流れているはずの川は常にきれいとも限らず、それどころかきれいでない世の中では川すら流れていないことの方が多いからだ。つまり、飛び火は簡単に起こるということである。 
 
 

 
★ うるま市の小学校教師が児童の顔に落書きや宇宙人とあだ名呼ぶ(ニュース速報Japan・15/1/22)
 
 

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言葉のリサイクル

今日の短歌・92

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 空を舞う
 
 雨が六花(りっか)に
 
 変わる夜に
 
 研ぎ澄まされる
 
 人のこころが
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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言葉のリサイクル

今日の短歌・91

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 夢を見て
 
 足りないものを
 
 布団から
 
 想像してる
 
 空の色と空気
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ピントボケして写る人の世

 先月の記事になるが、大阪の生活保護受給者らが国らを相手取り、生活費切り下げの取り消しなどを求める行政訴訟を準備しているという。受給者は「弱者の切り捨てだ」と声を上げている。「憲法で保障された最低限度の生活を侵害された」と主張するつもりであるという。
 
 医療保険も75歳以上の高齢者に保険料を軽減している措置について原則的に廃止する医療保険改革を厚労省が考えている。さらに東京新聞によれば、昨年11月の非正規労働者は2012万人であるという。
 
 収入の少ない人には生きづらい社会になってしまっている。景気回復が実感できない中で、弱者の切り捨てと言われても仕方のないことであろう。これでは何のために働き生きていくのか実感できない人たちが多くなる。というよりも、実感している余裕すらなくなる危惧である。
 
 日本国憲法第二十五条には、「全ての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。まるで25条は形骸化したザル法のようにしか読み取れない。国民が幸せを実感できるような政策が急務であるが、政治と国民の間にある需要と供給が一致していない状況はまだまだ続いているがそれでいいのか。 
 
 ネオンがきれいだった街中にスマートフォンのカメラのレンズを向ける。輝くネオンにピントを合わせると、背後を通る人たちへのピントがぼける。生きている実態がぼやけているようで何とも言えない気分になったのである。
 
 
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★ 民意どこへ:2014衆院選 生活保護、なぜ切り下げ 食費1日800円、入浴週1回 受給者、取り消し求め提訴へ(毎日新聞・14/12/5)
★  雇用安定の要求切実 非正規2000万人「正社員と溝」(東京新聞・14/12/27)
 
 
 

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言葉のリサイクル

今日の短歌・90

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この星は
 
 飛び交う電波
 
 より多く
 
 からみあってる
 
 赤色の糸
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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言葉のリサイクル

新年の勉強

 
 2014年11月下旬にインドを観光で訪れた日本人女性が、現地の男数人に性的暴行を受けたうえ、現金を奪われる事件が起きた。現地警察は男5人を逮捕した。インドでは性的犯罪に対する厳罰化が叫ばれているが、事件の発生がなくなることはない。
 
 性犯罪に限ったことではないが、例えば、人を殺せば死刑になりますよ、といっても殺人事件が減ることはない。やってはいけないことを知っているはずなのに、なぜ事件は減らないのであろうか。
 
 事件の態様によっては情状酌量の余地もあるのだろうが、いずれにしても事件の被害者には心身共に傷として残り、その人生までもが奪われてしまうのである。
 
 法令がどんなに人の生活を縛り付けようと、人の暴走は止まることはない。性犯罪に限って言えば、男性なら誰でも魅力的な女性にあこがれる。ついつい、見とれてしまうが、通常はそこで終わる。そこから腕を引っ張って事件を起こそうとは考えないのが普通の人の考え方である。
 
 昨年も悲しい出来事が日本国内外で発生した。我々が学ばなければならないのは、理性である。人は理性を失えば、野生の猛獣と何ら変わりはない。この理性の勉強を毎日意識すべきである。
 
 人を敬い、憧れ、好きになることがあれば、その人の腕をつかむのではなく、相手を見つめて語りかけることから始めたい。それは挨拶から始まり、他愛のない会話へ進み、相手の動向を探ることになる。本当に愛する人であると悟ったとき、その後の展開は自然に進むはずである。
 
 言葉の使い方一つで人との関わり合いは変わってくる。本年も本ブログは言葉を選びつつ、読者の方に投げかけていきたい。初詣に行っておみくじを買ったが小吉だった。吉があるだけ幸運である。それは今年を占うばかりではなく、自分の新たな決意を決める聖なる考え方でいたい。
 
 本年も「言葉のリサイクル」をよろしくおねがいいたします。皆様にとって、よい一年になることをお祈り申し上げます。
  
 
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