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15年前の今日、オウム真理教による地下鉄サリン事件 風化させてはいけない未曾有のテロ

 15年前の1995年というと、いろいろな出来事があった。1月には阪神淡路大震災が発生、政令市を襲った早朝の地震では6400人以上のかたが亡くなった。夏には東京・八王子市のスーパーで、パート従業員だった女性と女子高生2人の合わせて3人が頭部を狙撃された。単なる物取りなら頭部など狙撃する必要がないのに、その事件の凶悪さは社会を震撼させた。年末にはウインドウズ95が発売され、パソコンが一部のマニアのものではなく、インフラとなる序章となったのだ。
 
 しかし3月20日、世間を震撼させたのは未曾有のテロ事件といえる、オウム真理教(現:アレフ、ひかりの輪)による「地下鉄サリン事件」だ。猛毒サリンをビニール袋に入れた信者数人が、営団地下鉄(現:東京メトロ)の霞ヶ関駅などでそのビニール袋を破った。サリンが散布された瞬間であった。日本の安全神話が崩壊した事件の象徴ともされ、毒ガスを使った初めてのテロとしてそのニュースは世界を駆け巡った。
 
 突然呼吸ができなくなる人、視界が小さくなる人、朝の都心はパニック状態になった。すぐさま付近の交通は遮断され、東京消防庁の科学機動中隊などの救急チームが路上に応急施設を作り、防毒マスクをした自衛隊の科学防護隊員らが出動してサリンを消毒した。
 
 この事件では13人の方が亡くなり、約6300人の方が負傷した。後遺症を患っている人の中には「目が疲れる」「身体がしんどい」、そして神経が麻痺した人は介護されながら生活を送っている。
 
 この事件のきっかけは、オウム真理教の代表であった麻原彰晃(本名:松本智津夫)が、警察の強制捜査を察知して、その前に司法関係者が集まる都心の霞ヶ関駅などでサリンを散布する指示をしたとも言われる。霞ヶ関駅周辺は、警視庁、警察庁、検察庁、地裁、高裁、最高裁などが集まっている。
 
 のちの同年5月16日早朝、山梨県上九一色村(現:富士河口湖町)に向けて、警視庁の多数の人員を乗せた特殊車両などが中央高速道路を走行、その模様はテレビで生中継された。捜査員およそ500人が迷彩服などに身を包み、防毒マスクを着用するなどした。この現場には自衛隊員も多数配置されていた。
 
 そして麻原彰晃ら40人ほどに対する逮捕状を用意し、殺人などの容疑で強制捜査に着手した。これと同時に、全国の教団施設にも一斉家宅捜索が始まった。午前9時45分ごろ、教団第6施設(サティアン)に潜んでいた麻原彰晃を逮捕した。
 
 この日はオウムの報復を警戒し、都心のターミナル駅などに1万人の警察官を配置して警戒に当たった。教団施設の捜索では、警視庁、地元の山梨県警、そして全国警察から多数の応援部隊が集結し、捜索や警備に当たった。
 
 今思うと、サリンがまかれた都心の映像といい、強制捜査が行われた山梨の映像といい、とても日本で起きた事件とは思えない。しかし現実に後遺症で苦しめられている人が多く存在していることを忘れてはならない。そして教団の名前を変えても、麻原彰晃を崇拝している信者が少なからずいることも警戒しなくてはならない。
 
 捜査当局や公安調査庁は継続して教団関係者の監視をしている。30日には、当時の警察庁長官、国松孝次氏狙撃事件が時効を迎える。警視庁はオウム真理教の犯行と見て、執念の捜査を続けているが、犯人を絞り込むことはできていない。
  
 オウム真理教関係者は189人が逮捕されている。しかし、男2人と女1人の3人は依然として逃亡中である。宗教を隠れみのにしたテロリストを許してはならない。
(文中、敬称等略) 
 
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★ 「目が疲れる」「現場に近づけない」 サリン被害者、症状継続 事件から15年(時事通信・10/3/15)
★ 【あれから、15年 地下鉄サリン事件(1)】今も消えぬ悪夢「地球がどうかなってしまったかと思った」(産経新聞・10/3/19)
 
 
 

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