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コラソン・アキノ・元フィリピン大統領死去 フィリピン民主化のシンボル

 当時、夏休みに家族でフィリピンに旅行に行っており、その当日はマニラ市郊外の刑務所を見学していた。その帰りには幹線道路でバスが横転しており、その近くを通ると白バイ警官がピースをしながら通過していった。ホテルに到着、ロビーで新聞を読んでいると父がつぶやいた「アキノ氏が暗殺か」。当時は子供で訳が分からなかったが、1983年8月21日、危険を察知しながらも米国から祖国フィリピンに帰国した、人気政治家ベニグノ・アキノ氏はマニラ国際空港(現:ニノイ・アキノ国際空港)で暗殺されたのだ。
 
 「アキノさんって人が暗殺されたの?」と事情も分からず聞く私に父は「あまりでかい声出すな」と注意した。それもそのはず、宿泊していたホテルは当時のマルコス大統領の夫人、イメルダ氏の経営するホテルだったからだ。突然ホテルは停電、フィリピンの暑い夏の停電は不便を強いられたが、1時間ほどで復旧した。
 
 アキノ氏暗殺以降、フィリピンは民衆の力、そして軍の離反によってマルコス大統領の独裁政権を追い出す形となった。その後の選挙でアキノ氏の妻であるコラソン・アキノ氏が大統領に選出され、フィリピンの民主化を推し進めることとなった。「コーリー」の愛称で呼ばれたアキノ氏は、それほど政治手腕があったとは言われていない。軍や支援関係者の後ろ盾があったからこそその地位を守り続けられた。そうはいっても、フィリピン民主化に最初に手を入れた大統領であり、フィリピン国民の心のより所になっていたことに違いない。
 
 コラソン・アキノ氏が1日、マニラ市内の病院で死去した。76歳。結腸ガンを患い闘病中であった。フィリピンは経済成長を続けてきたが、官僚の腐敗や貧富の格差は無くなったとは言えない。島が点在するフィリピンは、地方自治を統括するのにも大変である。そんなフィリピンの一時代を築いた人が亡くなった。フィリピンは1つの区切りを迎えたことであろう。
 
 私が初めて飲んだカクテルは「チチ」で、前述のホテルのバーで飲んだ。子供だったのでアルコールを抜いてもらったが、ココナツの味のおいしいこと。帰国後も忘れられず、大人になってから至るところでチチを注文するも、あれを上回る味には出会えていない。ただ、チチを飲むとフィリピンを思い出し、暗殺されたアキノ氏、夫の遺志を継いだコラソン・アキノ氏に思いを馳せる。甘いが苦いフィリピンの思い出。
 
  
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★ 【評伝】アキノ氏、各国の民主化運動に多大な影響 運命を変えた夫の死(産経新聞・
09/8/1)
★ アキノ元比大統領死去:民衆の力示した 農地改革は進まず(毎日新聞・09/8/1)
 
 

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