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「私を死刑に」男性被告に懲役7年

殺人はいけない。しかしやりきれない事件もある。

 殺人事件というのは最も許し難い犯罪であることは言うまでもない。しかしながら、どうしても割り切れない、納得できない切なさが残ることもある。埼玉で殺人罪などに問われた男性被告(57)の例がその一つである。
 
 長男(当時27)は重いダウン症であった。知能は2、3歳程度であったという。生まれて間もなく医師に「20年ほどしか生きられない」と告げられた。それでも「子供に罪はない。20年を大切にしてあげよう」と夫婦で誓った。
 
 長男の世話をしたのは妻(当時53)であった。食事やトイレの世話で付きっきりの介護は過酷であった。自分の便を口に運ぶ長男を抱きしめて泣いたこともあった。成人すると長男は暴れたり、妻の髪の毛を抜いたりした。
 
 その後、妻が頭痛やぜんそくにかかり体調不良を訴えるようになった。男性被告も会社を定年退職したあとは介護を手伝う。しかし妻の体調はますます悪化、「3人で逝こう」と心中を望むようになった。
 
 昨年の8月、妻は果物ナイフを手に「私と長男を刺して」と言い、9月には遺書を書いたことを男性被告に告げた。その言葉に、説得を続けていた男性被告の心も折れた。
 
 9月10日午前1時ごろ、被告は就寝中の妻と長男の首などを果物ナイフで刺した。自らも手首を20カ所以上傷つけたが、死にきれずに110番通報した。
 
 被告は公判で「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」と主張していたが、さいたま地裁で裁判長は懲役7年(求刑同10年)の判決を言い渡した。
 
 裁判長は「長男がダウン症を持って生まれた来たことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある。残された人生を有意義に生きて欲しい」と諭すと、被告は「はい」と一礼して法廷をあとにした。
 
 「命は大切にしなければならない」という美談に酔いしれて、過酷な命との対峙について知らない自分がいる。27年間も介護を続けてきた妻も、自分の体力が衰えてきたことから限界が来たのだろう。それでも「最初に約束したではないか」と被告は妻を説得したかもしれない。
 
 いのちの灯火を消そうとした被告こそが、いのちの大切さをよく知っているはずだ。就寝中の長男と妻にナイフを振りかざしたとき、被告のいのちの灯火が、2人より先に消えたのである。
 
 
☆ 私達はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために(ルソー)
 
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★ 「私を死刑に」「あなたが生き残った意味必ずある」(朝日新聞・09/2/5)
★ たったひとつのたからもの(本ブログ・06/9/28)
 
 

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