言葉のリサイクル

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弱者排除理論を排除する

 
 競争主義(competitive principles)が国を豊かにして人を豊かにするという一つの考え方である。競争があるからこそ、企業が品物やサービスの価格を安くすることに繋がり、消費者にも利益となる。競争した中で勝てない企業は衰退していく。
 
 例えばニュージーランドは人口430万人くらいの国である。国民性としてはのんびりとした部分があるようだが、人口が少ないために企業間での競争がなく物価は総じて高い。
 
 日本は人口が1億3千万人の国であり、競争が無ければ企業も個人も潤わないであろうし、前述のように消費者に還元されるものもないであろう。徹底的に競争をし、そのスタートラインに出遅れるような法人は踏みつぶされる。勝者こそが最も優れた地位にいることを約束され、足下にいるものを侮蔑できるような陶酔状態になるであろう。
 
 しかしそれは、スタートラインがあり、ゴールが設定され、全てがルールに則って行われるスポーツのようなものに限られる。
 
 競争主義、個人主義、契約主義などによって、分断された人の心はもはや生きているにもかかわらず、満足に意思の疎通も図れないようなロボットのようになってしまった。その場のデータが正しければ動く刹那主義の機械。
 
 負けていくものに対する哀れみの心もなくなり、労ることも寄り添うことも、それどころか言葉すら失ってしまった。
 
 言葉すら失う事件が相模原で起きた。
 
 弱い者は立ち去れなどという考え方が支配的であれば危険である。なぜなら、誰でも人生の後半戦にはつまずくことが往往にしてあるからである。体力や精神力、思考力も落ちてくる。後ろ指をさされて笑われるかもしれない。だんだん弱っていく人に対して、指をさしたり笑ったりする考え方の支配力の鈍さである。
 
 人間が弱者を排除したら残るのは何か。それは、そんな考えを持つ、人間だけ。無造作な人間しか残らない。彼らは個性に強弱もつかない一瞬の存在であるだけだ。
 
 
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