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言葉のリサイクル

新年の方向性

 父は車を使ってあちらこちらに行く仕事をしていたので、おおざっぱな場所であれば地図など必要なかった。都内で有名な場所であれば、どこへでも行ける人だった。
 
 しかし、そんな父の晩年は見るに堪えなかった。「中央高速自動車道の八王子料金所を過ぎれば圏央道がでてくるので、そちらに入って」と言ったのに、「ナビが教えてくれなかったから圏央道には入り損ねた」というわけである。
 
 ナビがなくたって、これまでさんざん中央高速を使っていたのに、なぜナビの言いなりになるのだ、八王子を過ぎたら注意して圏央道に入れば良いだけのことではないか、と怒ったものである。
 
 そもそも、紙の地図も大して必要としなかったのに、ナビゲーションシステムができてから、調べなくてもいいような場所までいちいち音声案内に頼っていたのである。
 
 車の運転の楽しみはハンドルを握る以前に、どこまでドライブするのにどういうルートで行くのか事前の調査をすることである。
 
 機械の案内は必ずしも万能ではないが、それ以前に、時間をかけて自分の手で運転する楽しみを機械に託してしまったらあなたの存在意義は一体何なのか、と問いたい。道というのは他人に教えるために自分で進むのであって、教えて貰う物理的なものではないのである。
 
 
 本年も本ブログをよろしくお願いします。
 
 Nono
 
  
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