美的感覚を磨くとはどういうことだろう

 習っているジャズダンスの先生の先生という人に質問をしたことがある。「ダンスをきれいに見せるためにはどんな努力をすればいいですか」という問いに対し、「きれいなものを見ること」だと教えてくれた。そこから先は自身のイメージトレーニングも必要になるだろう。
 
 プロのメイクさんにも同じ質問をしたことがある。すると同じ答えが返ってきて「美術館へ行ったり」という部分は前述の先生と同じキーワードがヒットした。さらにはファッション雑誌に写るモデルさんを見ることもあるが「同業者の仕事はあまり参考にならない」とのことだった。ちなみにスチル撮影の場合は化粧を濃くする傾向があり、ムービーの場合はナチュラルメイクにする傾向があるという。もちろん雑誌や番組のコンセプトによって色々あるだろう。
 
 さらにはプロのカメラマンにも話を聞いた。「デジカメ全盛の今ですが、何を撮ればいいか分からなくて」というと、そのかたは「きれいな写真をたくさん見ることです」という。理由は「音楽聴いたことのない人に楽器を渡しても作曲はできないのと同じで、写真を多く見ない人にいい写真は撮れません」とのことだった。大いに納得した。
 
 ド素人なので、綺麗な花のようにいい被写体があればいい写真になると思っていた。しかしそれはいい写真かどうかとは別問題で、きれいなものが写っている写真というだけだ。カメラマンさんの言うことに納得したのは音楽云々だけが理由ではない。
 
 昔から映像が好きで、みんながスチルカメラを持っているときにでもビデオカメラを回した。その時にいつも気にしていたのは、アングル(角度)だとか被写体に対する距離感でありタイミングだった。電動ズームは近づきかたが不自然なので可能な限り使わない。なぜスチルカメラやデジカメではなく、ムービーに興味を持ちだしたのか考えてみると、それは中学1年生の時に遡る。
 
 父親を説得して我が家にビデオデッキがやってきたのがその時だった。それからは片っ端からタイマー録画。好きなドラマは文字通りテープがすり切れるまで何度も見た。何度も同じ映像を見ているうちに、ドラマであれば俳優の表情、セリフの言い方、歌手であればのど仏が動くところや視線が向いているところ、衣装、そして光の当たりかた等々に目が行くようになった。
 
 何がいい映像でいい写真か、正確に言えば、何が自分の好きな被写体かが分かるようになってきた。つまり美的感覚を磨くということは、自分が好きな美しさを知ることであろう。先に述べたように、レンズの向こうに立っているきれいな人を撮ることがいい作品ではないのだ。そして何に美しさを感じるかは人によって違う。その感じ方が確立されればそれが個性となり、他の人には真似のできない美しさを表現できることだろう。
 
 こうしたような文を毎日ここで書いているが、ではよい文章とは、美しい文章とはどうしたら書けるのでしょう。
 
 
☆ 画家のパレットなど何の意味もない。すべては眼で決まる。(ルノワール)
 
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