食事時のテレビ表現
昨年4月、東京都江東区のマンションで殺害された女性会社員(当時23)の判決を明日に控え、日本テレビの夕方のニュースでこれまでの公判内容を再現していた。法廷は5月21日から始まる裁判員制度を意識したもので、大小のモニタが複数設置されていた。
公判内容を傍聴していた司法担当記者の報告では、男性被告人(34)が被害者を性奴隷にする、両足のやけどのあとがコンプレックスになっていた、などとコメントした。
そして遺体の解体部分の再現では、マネキンが使われ、その様子が法廷の大きなモニタに映ったという。ところで、遺体の損壊状況の詳細を18時という食事時間のニュースに伝える必要があるのだろうか。過去には、宮崎勤元被告(昨年死刑執行)の供述内容で「骨を砕く」という部分などが残酷であるとして、新聞では一部割愛して法定内証言を掲載していた。
しかしニュースでは、体の部位の詳細に至るまでを夕食時に伝えた。表現が時代とともに変わっていくのは当然であるが、あの番組内容にゴーサインが出たのが不思議なくらいだ。伝えるならば夜のニュースで報じれば足りる。過激・センセーショナルな表現が必要以上に伝えられる必要はなく、知りたくもないことまで耳に入れられては迷惑だ。
テレビもラジオも広告収入減により苦戦を強いられている。多少過激な線を越えたほうが良いとでも思っているのだろうか。視聴者が見たい聞きたいのは客観的事実のみであり、猟奇的な表現まで詳細に伝えるのはニュース番組としてはふさわしくない。確かに猟奇的な事件だったとはいえ、それをいかに万人が見やすい聞きやすいように作っていくかがプロのやり方だと思うのだが。
☆ この世で人を疲れ果てさせるものは、自分を偽る心です。(アン・リンドバーグ)
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