憎むべき銃の存在

 伊藤一長・長崎市長(61)が山口系暴力団会長代行の容疑者(59)に狙撃された。動機が今のところ明確ではないが、1メートルという至近距離から狙撃。市長は心肺停止の重体だ。
 
 前市長である本島等氏も発言が発端で右翼幹部に狙撃されている。言論の自由が、選挙の自由が、銃によってその標的になることは許されない。
 
 同じ日に、アメリカ・バージニア州のバージニア工科大学で、韓国人留学生が大学構内で銃を無差別発砲、学生ら32人が犠牲になった。犯人が自殺しており、はっきりした背景が分かっていない。
 
 銃というのは防具ではない。人差し指の関節を曲げることができれば誰でも発砲できる恐ろしい武器だ。そして銃による「落ち度のある被害者」など存在することは永遠にない。
 
 こうした行為や銃の存在を許さないのが、民主主義+法治国家=平和だ。
平和はゼロというフラットな状態を保っており、どんな偏った思想がかけ算をしようとしても、断固としてゼロを保ったままである。
 
 思想を撃ち込むのに、銃は要らない。
 
 
☆ この命に賭けて誓う。たとえ、皆が戦争について語る時でも、声の続く限り、私は平和を語る。(ロバート・エイトキン)
 
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★ 長崎市長銃撃(朝日新聞)
 
 

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