上がる介護ベッド

 
 介護をする人は屋内だけではなく利用者の家まで迎えに行き、そこから丁寧に車に乗せてデイケアの事業所まで連れて行く仕事もある。介護を必要とする人たちの多種多様な要望に応えられなくてはならないだろうし、専門的な知識を基にしたムダがなくミスのない動きが求められる。デイケアサービスでは、歌を歌ったり踊ったり何かを作るなどをして過ごすが、屋外に散歩に出てそのまま外食をすることもあるそうだ。
 
 そうした介護とは別に、病院のような施設内での介護もある。ベッドに寝たままの利用者をじょくそう(床ずれ)が起きないように体位を変えるが、このときに利用者に苦痛を与えてはならないし、介護者自身も体を痛めないようにしなくてはならない。
 
 介護用のベッドは昇降機能付きである。介護しやすい高さまで上げておくことができるので、無理な体勢で力をかけなければいけないことから開放される。昇降だけではなく、頭の部分だけ、また足元だけ上下に動く機能もついている。エアベッドは寝ている利用者さんの体を包み込むような寝心地でとても快適なようだ。
 
 
 
 
 「年を越すことは難しい」から「いつどうなってもおかしくない状況」という表現に変わった。そして昨日午前に来ていただいた訪問看護のかたから、「お別れのときが近づいている」と言われ、「もし会っておきたい人がいるようであれば呼んでください」と直接的な覚悟を要求された。
 
 訪問看護のかたは、患者さんを診るだけではなく、我々家族の体調や行動も気を使っていただいた。つまり、家族のほうが倒れることを防ぐためである。
 
 完治する見込みがない病態の場合、まず家族がその事実を受け止めなくてはならないという忠告を事前にされる。奇跡は起きない。大丈夫、それは以前に経験がある。看護の方はさらに、「このあとに呼吸が荒くなります」と言われ、「最期の直前、大きな深呼吸を2回します」と教えてくれた。そういえば以前に「泣き出した後に大きく深呼吸をして亡くなった」と、遭難したかたのコメントを本ブログで扱ったことがある。
 
 ベッドの上で横になる母は一回の呼吸で大きく体が動くがそれは体が痩せてしまっているからだ。通常の呼吸で肩が大きく動く。頻繁に行っていたこととして、声をかけて反応があれば唇に大好きだったお茶を湿らせた。意識があったうちは口の中にまで小さいスポンジで当ててやり、葉を磨くような感じで流し込んだ。気持ちいい、と言っていたのは2日程度で、その後は「アーン」と私が言っても母が口を開けることが少なくなった。
 
 ほとんど無反応になってしまってからは、声をかけつつも唇を濡らすことをした。わずかに空いたままの口。もう水を飲み込む仕草もしなくなった。
 
 就寝後の未明、親族に起こされた。母の呼吸が弱くなっている。その場にいた親族全員でベッドの上の母に声をかける。私は、「俺だよわかる?」と言ったのだがその直後に「あぁ」という小さな声と吐息が聞こえた。これが最期の深呼吸なのだろうか。指先が紫色になるチアノーゼが出た。この時点で訪問介護のかたを呼び出した。そしてその指先が白くなった。
 
 駆けつけた訪問看護のかたは、「脈も停止していますし、心臓の音も聞こえません。目も反応がありません」と言ってから医師を呼ぶことになった。医師が到着すると訪問看護のかたと同じ事を確認した。そして同様のことを我々に伝え、午前6時2分に亡くなったことが告げられた。母は目の前で旅立った。
 
 亡くなった母は、病院の治療だけではなく独自にいろいろ調べて関連書籍も購入。免疫力をつけるための食事、辛い痛さと和らげるためのあらゆる手段を試した。残念ながら快方に向かうことはなかったが、自分で希望を持ってあちこち動いて試したことは本当に良かったと思っている。
 
 「経験があるから大丈夫」というのは間違いであることに気づく。当たり前なのだが、母親を亡くすのは初めての経験だからだ。母と暮らしたささやかな日常は楽しかった。一緒にする家の中の掃除、庭の刈り込み、小鳥が水浴びをしている様子を伝える。幸せというのはそんなに派手である必要なないということを知った。
 
 人生を振り返ると母のためになんにもしてあげることができませんでした。寂しい。悲しい。こんなにつらいことはありません。
 
 長い時を愛情たっぷりに育ててくれてありがとう。愛情を持って接してくれてありがとう。入院前に食べたステーキは美味しかったね。
 
 下がった介護用ベッドの上の母の亡骸を見て、近くにある思い出を一つ一つ拾って、母が生きていた証を忘れないように。
 
 
 
 

 
 
 
 


 

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