真面目に働く

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 職場で体を痛めたようである。今まで経験のない感じなので病院に行きたいと考えている。
 
 そんな体調を周囲に訴えていると一人に言われた。「Nonoさんは真面目なのよ」と。
 
 真面目と言えば真面目なのかもしれないが、もともとは「オッケー、オッケー、大オッケー!」というセリフが出そうなくらいいい加減で座右の銘が「アバウト」なくらいだから不真面目なほうかもしれないと考えていた。
  
 ただ、こだわりは強く、他の誰が何を言おうと決めたことはどうしても曲げることができない頑固な面があるのも事実。つまり真面目ではなく、ただの頑固者なのである。
 
 こういった性格の場合、それを認めてくれるような環境に身を置くと居心地がいいが、そうでない場合は摘まれておしまいである。
 
 そもそも、「真面目」にやらなければ仕事が終わらないからそうしているだけなのに、周囲の「不真面目」な人はあまりに無責任。
 
 私は知っていた。「不真面目な人」がいかにのんびりと過ごしてサボっているかということを。注意喚起したこともあるが、ダメな人というのは常に存在する。
 
 そうした人たちとはある意味においての「信仰」が違うので、私は「真面目」だろうが頑固だろうがアバウトだろうが働くのである。
 
 それにしても体の異変に気づくも庇いきれなかった。自身のよき最大の理解者は自分である。理解者の言葉に真摯に耳を傾けるべきだった。だが、それでも主義主張まで曲げて働くのは嫌であった。
 
 こういう要領の悪い人間は社会において大成しないことは重々承知している。しかし分かっちゃいるけどやめられない。自分を捨ててまでする言動などを許容したら、一体何のために生きているのか分からない。自分が誰だか分からない。
 
 正義よりも大義の世の中に、散る花もあれば咲く花もある。種をまく人もいれば水やりをする人もいる。つまり、育てられる立場と育てる立場が存在する。どちらに属してもいいのであるが、世の中にとって、ささやかな放射状の影響を与えるべきである。それは水をまいているときに発生する虹のようなもの。
 
  
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